第355話 憤怒

 光が収束し、景色が戻ってくる。

 俺の目の前にいたはずの、リーの姿はなかった。

 しかし、


「こ、こ、」


 ゾ・ルーの姿はあった。

 いや、あれは本当にゾ・ルーなのか。

 テニスボールサイズの小さな塊が蠢いている。


「す、精零スロウダウン……精霊、を、根源、へ、と戻す。きんき。

 し、かし、吾をも゛、どす、には、足り、ないよ、うでし、た、ね」


 舌足らずな、途切れ途切れの言葉で精霊は笑う。

 リーは自らも犠牲になる魔法を使った。

 それでも、ゾ・ルーを道連れにするには少しだけ足りなかった。


「こ、れく、らい、再構築、すれば、まだ」

「……させるわけないだろ」


 俺はゾ・ルーの前まで歩み、それを見下ろす。


 怒りは、あると思う。

 しかし、リーの言葉を思い返す。


 一度、目を閉じて、息を吐く。

 再度、目を開いて、精霊を見た。


「音、が、美しい、お、と?」


 塊の中に残っていた眼球が俺を見る。


「なん、で、む、おん」

「悔やむことも、復讐することも、俺がすることじゃない」


 それはすべて彼女たちが選んだ行動であるのだから。


「だから俺は最初の目的通り、お前たち魔族を滅ぼすだけだ。

 そこに感情なんてないんだよ。

 それに、このアビリティは感情を喰らう」


 俺の言葉を聞いていたゾ・ルーが何かを感じ取ったのか、視線を下に移す。

 塊の下で、俺から伸びた影が蠢いていた。


「絆喰らい」


 精霊の足元に牙が生え、その中へと飲み込まれていく。


「ば……」


 塊は抜け出そうともがくが、動けば動くほど影の中へと沈んでいく。

 これは取り込むための喰らいではない。

 怒りは自ずと身を亡ぼす。これは打ち止めの力。


憤怒カルナ

「せい、れ、い、の、吾、が……」


 もはや何もすることの出来ない、太陽の名を持つ精霊は、静かに影の中へと沈んでいった。


 これで。


「全て倒したようだな」


 後ろからの声。

 振り返れば、オールゼロが何事も無かったように立っている。


「ゾ・ルーまで倒すとは思わなかった。

 君が精霊を従えていることは知っていたが、まさか自らを犠牲にするとは潔い」

「そんな言葉で片付けるんじゃねえよ」

「これは失礼した。

 ここまでの戦い見事であった。敬意を表する」


 オールゼロはわざとらしい言葉を並べながらも「しかし」と続ける。


「後ろで眺めているだけの勇者候補諸君のなんと無様なことか」


 言われて、クラスメイトたちが顔を上げる。

 その表情は恐怖に支配されていた。


「半年前に召喚され、今この時まで何をしてきた?

 戦いを学び、能力を試し、己を育てる時間はいくらでもあったはず。

 にも関わらず、ゾ・ルーの魔法を受けた者たちはただ呻き這いつくばっていただけ。

 心底失望したよ。

 唯一この世界に適応して戦えているのが、そこのツムギだけだ」

「そりゃどうも。どっちにしろお前を倒せば、そんなこと関係ないけどな」

「そうか、期待はずれだったようだ」


 オールゼロのローブが伸びていき、擦れた裾も新品のように綺麗になる。

 そして脚が現れ黒いブーツが履かれ、さらにローブの袖から黒い腕を伸ばして広げた。


「では最後としようか。

 我が連れてきた魔族はすべて倒された。

 よって約束通り、君たちの相手は我がしよう」


 その後ろに黒曜石で出来たような椅子が現れる。

 それはまるで魔王の玉座。

 移動したオールゼロがそこに座って足を組んだ。


「真の魔法師はすべての魔力を我がものとする。

 ならば無意味な動作は必要ない。

 さあ――我を倒したまえ?」

「……」


 相手のあの余裕はなんだ?

 まだ何か隠しているのか。


「ツムギ様」

「やるしかないですよ」

『主殿、我輩に命を』


 俺の両隣にオウカとクラビー。

 その後ろにダアトが並ぶ。


「もう後戻りもできないし、後悔もできない。

 突き進むしかない。

 背負うものは大きいぞ」

「覚悟の上です」


 オウカが答える。

 俺も小さく頷いた。


「よろしいかな?

 では、物語を始める準備といこう」

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