第342話 ありふれた日常を

「……」


 あまりのことに言葉が出なかった。

 ここまで来るのに生徒や冒険者が倒れているのを見てきている。死人だっていた。

 だが、この場で、この状況を作り出したのはオウカで間違いないのだろう。


 俺の知っているオウカは、誰かを傷つけるなんてことの出来ない子だ。

 俺なんかと一緒にいたから、モンスターを倒すことも魔族と戦う覚悟も持っていたし、実際にこれまで戦えてきた。

 でも普通の人には少し人見知りするような子で、人と敵対したらまず俺のことを守ろうとするような子だ。

 そんなオウカが、この状況を作り出したのか……?


「……ツムギ、様」

「オウカ!」


 オウカがこちらに気付いて顔を上げたので駆け寄る。

 青い瞳に、尻尾は二尾。

 顔にも返り血を浴びていた。

 床に転がっている生徒達が呻き声をあげて、各々が足や腹部を押さえている。

 殺したわけじゃないんだ。

 襲ってこれないように怪我をさせたのか。


 冷静に考えれば当然だ。

 こいつらは魔族に操られているとはいえ、オウカを殺す気で襲ってきていたはずだ。

 そんな状況でオウカが誰も傷つけないなんてのは甘すぎる。


「大丈夫だったか?」

「ツムギ様……記憶が」

「ああ、おかげで戻ったよ」


 俺のことなんて心配することなかろうに。

 いや、一種の現実逃避か。

 すぐにオウカは自身の状態を見て顔を青ざめた。


「わ、私、みなさんを……。

 こんな、こんなはずじゃなかったのに、そんなつもりはなかったのに」


 血で汚れた指先を震わせながら顔を覆い隠す。


「大丈夫だ、ここにいるのは死んでない」

「だけど……そうだお姉様、シオンお姉様!」


 オウカは慌てた様子で室内の隅に向かう。そこには気絶したシオンが倒れていた。


「シオンお姉様、ごめんなさい、私」


 しゃがみこみ、シオンを抱きしめながらオウカは涙を零す。

 オウカが回復魔法をかけるとシオンの表情が少しだけ和らいだように見えた。


 やはり彼女も魔族に操られてオウカを襲ったのだろう。

 仲のいい相手に殺されそうになるというのはオウカにとって辛い、なんて言葉じゃ片付かない。


 その現れが今の姿か。


 記憶を奪われているあいだのオウカは山吹色の髪をしていた。たぶんまた生え変わりがあったのだろう。それから1ヶ月くらいしか経ってないのにまた変わるなんてことはさすがにないと思う。

 ただ、過剰なストレスで髪が白くなるなんて話は聞いたことあるが、だからといって尻尾も含めた全てがなるなんてことあるのだろうか。


「オウカ、何があった」


 率直に問いかける。


「……邪視が、私の中の青い鳥が。

 いいえ、違います。これは、私が選んだことです」


 オウカはパーカーの袖で涙を拭いながら答える。


「生きたいと願いました。

 ツムギ様のところに行きたいと思いました。

 そして、邪視に頼りました」


 いまの姿からして想像していた通りだ。

 ベリルとの戦いの時のように邪視を解放して、そして今回は制御出来なかった。


「私は、世界から嫌われて当然だったんですね。

 この力に頼って、人を傷つけて。みんなから疎まれて……」

「ッ……違うだろ!」


 思わず声を張り上げてオウカの肩を掴む。

 無理やりこちらを向かせて視線を交わす。


「その力も含めてオウカのはずだ。

 それにこんな状況、魔族の策略にハマっただけだ。

 誰もお前のことを嫌ってなんかない」

「でも、これまでも、妖狐族は嫌われて来ました。同族だってみたことありません。

 どこにも居場所が、ないんです!」


 この世界がオウカを必要としていない。

 前もそうだった。

 いつかの、学院の生徒がオウカを殺せと叫んだ光景を思い出す。


 それがなんだ。

 ふざけるな。


「少なくとも、俺はお前のことを嫌ってない。

 居場所なんて作ってやる。だから」

「でも」

「いい加減、くよくよすんじゃねえ!」


 思わず肩を揺らすと、オウカが驚いた様子でこちらを見た。


「生きるって決めたんだろ。なら貫け!」

「でも、私が生きようとすればもっとみんなが傷付くんです!」

「んなの知るか!

 それが悪だっていうなら俺が全部喰らってやる!

 それが罪だって言うなら俺が全部背負ってやる!

 俺はお前の主だ! 全部まとめて俺に背負わせとけ!

 つべこべ言わず生きろ!」

「――ッ!」


 勢いあまりすぎて何言っているのか自分でもよくわからない。

 だが、いまのままではオウカが潰れてしまう。それだけは避けたいと思った。


「前に言っただろ、ずっと隣にいてほしいって。

 考えてたんだ、一年経ってオウカが奴隷を辞める時どうしようか。

 それで決めている。俺はその時、改めてオウカをパーティメンバーに誘おうって」

「ツムギ様……」

「さっさと魔族なんてぶっ潰して、いつもの冒険に戻ろう。

 毎日依頼を受けて、少ない報酬で飲み食いして、時には大きなモンスターと戦って。

 そんなどこにでもある、ありふれた冒険でいいからさ。

 オウカが隣にいれば、それでいいから」

「……はい……はい」


 オウカは俯きながら頷く。

 床にポロポロと大粒の涙を零しながら。


 本当にそんな生活に戻れるとは思っていない。

 もうありふれた日常を望むことすら許されてはいないはずだ。

 だけど、それは俺の問題だ。

 オウカは戻ってもいいはずだ。

 いや、戻るだけじゃない、進むんだ。

 妖狐族が嫌われない、


「話はまとまりましたか?

 残念ですがイチャイチャはここまでです」


 周囲を警戒してくれていたリーの声音は重々しいものだった。 


「敵が近いですよ」

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