第329話 パパ

「……いつぶりだろうな」


 黒い世界に、いくつも散りばめられた鏡。

 見渡せば、合わせ鏡に映った自分が遠くまで続く。


 自身の心の中。深層心理。

 アビリティ、碧鏡の我エルゴニドの能力だ。


「それを持っていたのはドラゴンだけのはずだ。

 なら、お前は」


 後ろを振り向くと、あの灰色のフードの少女が映し出された。

 少女がフードを外すと、宝石のように輝かしい、澄んだ青色の長髪が揺れる。

 邪視の瞳に近い色だ。

 だが、彼女は邪視とは無関係の存在だと俺は知っている。


「わたしはエレミア」

「エレミア・ジェバイド・ドラゴン……」


 かつて絶望として俺の目の前に現れ、一時は力として喰らった竜。


「お前は、ベリルに殺されたはずだが」

「それはママ。わたしじゃない」


 子どもがいたのか。

 ということは、こいつはベリルの子じゃないか?

 でも、俺のことパパって呼んでたような。


「なら俺はお前のパパじゃないが」

「パパに付き従えろってママが言った。だからパパ」

「ああ、それはたぶん、旦那様とかご主人様って言うべきものだな」

「……パパ」


 直さないんだな。

 つまりは、エレミアを絆喰らいで従えたことで子供にも変な影響を与えてしまったわけだ。

 思いもよらない副産物、と言えば聞こえはいいが。


「俺をこの場所に呼び込んだ目的はなんだ。

 弱いとか本物じゃないとか言っていたが」

「匂いが違う。嘘の匂い。

 いまのパパは本性を隠した匂いをしている」

「どんな匂いか知らないが、俺はそんなこと」

「わかってる。別の獣の匂い。汚い誰かが何かした」


 エレミアが指差す。見ると、小さなころの俺がいた。


「だから取り戻して、パパを。

 生きた全てをもう一度見つめて、己が全てを受け止めて」

「……まて、まさか」


 俺はこのアビリティの効果をよく理解しているつもりだ。

 だからエレミアがしようとしていることがわかる。

 が、それは俺にとって危険だ。かつてのクラヴィアカツェンのように自身を見失えば――


「最悪、俺が消える」

「それはその時」


 言うなればトラウマ。

 思い出すのも嫌になる過去。


「やめろ、その頃の記憶は見たくない」


 しかし、小さな俺はニコリと笑い腕を伸ばしてきて、俺を鏡の中に引きずり込んだ――


***


「……」


 玄関の前。

 古びた木造アパートの2階。

 木のドアの前で俺は立ち尽くす。


 できることなら、このドアを開きたくない。

 そんな感情が喉元まで湧き上がっていて、気を抜けば大声で叫んで走り出してしまいそうなほどの圧迫感があった。

 しかし、帰らなければ。

 目の前の家に入らなければ。


 ドアを開く。


「ただいま」


 小さな声で呟く。

 同時に酒瓶が飛んできた。

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