第297話 興味のない色

「は? なんだてめぇ」

「ちょっと二人で壁に寄ってくれればいいんで」


 目の前の先輩に怯むことなく、その生徒は冷たい眼差しを向けていた。

 っていうか、この子中学から一緒の紡車くんだ。喋ってるの初めて見た。


 紡車くんは相手のこと知らないんだ。

 目の前の先輩はこの学校でも相当な権力を持っている。理事長の知り合いの息子らしい。

 そんな相手に歯向かえばどうなるか……。


「うるせえよ!」


 先輩の蹴りが出て紡車くんが後ろに倒れる。手に持っていた教材の束が地面に広がった。

 紡車くんは何も言わず教材を拾い集めた。

 だけど、


「はっ! 今取り込み中なんだ、お前がどっか行け!」


 紡車くんの手を先輩が踏みつけた。

 傍から見ても痛々しい光景。

 なのに、


「痛いですけど」


 見上げてきた紡車くんの目は冷酷なまでに黒に澄んでいた。

 それはもう美しいとまで言えそうな程に。


「ッ……」


 その視線に先輩も言葉が出ないまま足をどける。

 紡車くんは全ての教材を集め終えると、静かに「いいですか」と呟く。

 先輩が無言のまま退いたので、紡車くんはそのまま歩いていった。


「あっ……」


 何かを言いかけて言葉が出てこなかった。

 だけど、その僅かな声に紡車くんは振り返った。


 紡車くんがわたしの目を見た。


 まるで興味のない色で。

 雑踏の中をちらりと見るかのように。

 わたしをわたしと認識せず、風景に紛れた人の群れを眺めるかのように。


 背筋を何かが這っていった。

 それは恐怖だろうか。

 あるいは興奮だろうか。

 純粋なる興味だろうか。


「……♡」


 わたしは笑みを浮かべていた。

 彼はわたしを中心に生きていない。

 わたしの世界から外れた存在。

 そして彼自身も中心ではなく、一人孤独な位置に潜む人間。


 今まで見たことがなかった。

 出会ったことがなかった。


***


「だから興味を持った……のか」

「うん」







 ええええええええなにその恥ずかしい男子!?

 厨二病なんですけど!? 痛々しいよそれ! 誰だよ俺だよ!


 顔から煙が出そうなくらい恥ずかしい。


「わたし、その後聞いたんだ」


 ヒヨリが立ち上がって俺に近づく。

 そして俺の頬に手を重ねる。


「君が裏で『親殺し』だって噂されているの」

「……」


 その言葉に恥ずかしさ以上の何かが押し寄せて冷静さを取り戻す。

 ヒヨリには知られたくなかったことだ。

 まあ、結構な人が知っているかもしれないから仕方ないかもしれない。

 


「ツムギくんにとっても、元の世界は生きにくいんじゃない?

 この異世界の方が堂々と、自由に暮らせるんじゃない?

 なら、戻る理由なんてないと思うんだ」


 さて、と彼女は頬に添えた手を胸元へとスライドさせていく。


「こんなお話、する予定じゃなかったんだけどね。

 わたしもストレス溜まっちゃってたのかな?」


 ヒヨリはくすくすと笑い声を漏らしながら続ける。


「でも結局、ツムギくんもわたしの玩具になっちゃった。

 こうなっちゃったらなんか――つまらないよね、君」


 胸元を強く押されて、俺は後ろに数歩下がる。

 彼女の視線は冷たくなっていた。


「孤独なだけのただのぼっち。

 人と関わる努力を怠って、それで自分を守ろうとしただけでしょ?

 数日一緒にいても、根本的な部分は変えられないし。

 好きなものが好きなだけっていう、それだけの単純な男の子。

 あーあ、つまんない」


 飽きた玩具に言いつけるように吐き捨てられた言葉は、しかし俺は自然と受け入れてしまう。

 俺はつまらない。

 ヒヨリがそう言うのだから、そうなのだろう。

 疑う余地はない。


「わたし一人で寝るから。

 ツムギくんは……そうだね、トイレで寝ればいいんじゃないかな?

 あ、今日の話は全部忘れてね? この前のも消したけど、私に不都合な記憶は残してほしくないの。

 アビリティ――花千華アイモネア


***


 朝。

 目覚めた俺は、なぜかトイレにいた。

 

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