第287話 つまらぬ男

『ふははは!』


 返事は笑い声だった。


『闇が平地? 笑わせるな。

 全て影ならばそれはもはや我輩の胃袋であるッ!』


 殺気が全身の肌を掠めていく。


『人類の脆弱な眼では影の中で生きられまい!

 貴様にはもう攻撃が見えないだろう』


 振るわれた剣に、俺は自分の剣をぶつけていた。


『なっ』

「残念だが、見えてるよ」


 甲高い音とマスグレイブ驚嘆が重なる。

 しかも、


「下手だ」


 俺が剣を弾くと、マスグレイブの呻き声が僅かに漏れた。

 ドラゴンが剣術まで身につけていたらチート過ぎて人類勝てないし。


『何故見えた!?』

「次、右だろ?」


 会話しながら右に振るわれた剣を受け止める。弾き飛ばせていたとしても、影でできた剣なのだから何本でも用意できるか。


『これは日高き時に見た……いや、巻き戻しではないな』

「そう、これは未来予知だ」

『なるほど――その数字か!』


 俺の首元に刻まれた数字。


 ――01


 俺が使っているのは、両木のアビリティだ。


「左の足元に来る」


 交信によって脳内に流れてきた両木の声に従って剣を振るう。

 次の攻撃も受け止めた。


「そもそも、真似事で俺に敵うなんて発想が幼稚だ」

『ほぅ、我輩が幼稚』

「そうだ。好奇心旺盛で人類に興味があるだけの子供だよお前は。

 まあ、遊びすぎて壊さないという点では、人類の子供とは大違いだ」

『世界は常に時を進める。それを楽しまずして命を腐らせることに意味があるかッ!』

「相手、大きくなるよ。上から爪がくる」


 両木の言葉通り、上から風圧を感じてすぐに横へと避ける。


「お前の意味なんて俺には興味無いし関係ないんだよ」

『ならば貴様は何に興味があるというのか』

「俺は――」


 当たり前のように出てきそうだった言葉が、まるで空のグラスをひっくり返したように空虚として口の中を転がった。

 何を言おうとしたのだろう。


『ふむ、記憶を失ってつまらぬ男になったな!』

「記憶?」


 マスグレイブから予想外の言葉がでて、一瞬体の動きが鈍った。

 しまった、と思った時には相手の剣を受けきれず俺が数メートル弾き飛ばされる。


『神に至るには今の貴様では意味が無い。

 いいだろう、少しばかり興に乗じてやろう』


 視界の闇が薄れて景色が戻ってくる。

 夜闇石の効果が切れたか。

 一瞬視線を周囲に移した――間に、マスグレイブらしき影が街へと向かって飛んでいった。


「逃げられたか……」


 いっそのこと喰らおうと思っていたんだが、俺自身も遊びすぎたようだ。



***



 オウカはその晩、街の中にある古びた倉庫で眠りにつくこととなった。

 レイミアの屋敷ではメイドたちが厳しい視線を送ってくる。

 そんな状況で置いておけるわけがないと、レイミアが使っていない倉庫を貸してくれたのだ。

 中は埃が積もり、雨風しか凌げないが、主人不在の奴隷であるオウカにはありがたいはからいだった。


「明日には、王都をでなきゃ……」


 自分のやることが決まっているオウカは、今後の予定を頭の中で巡らせる。


 その時だった。


 ズズズ、と、何かの這う音がした。


 気づいて振り返ると同時に扉が勝手に開き、黒い影がオウカをすり抜けた。


「な、にっ!?」


 自身の身体を見つめるオウカ。

 しかしそのどこにも異常は見当たらない。


 ――でも、何かが入ってきたような。


「おお! 素晴らしい! やはり貴様が世界を狂わせる者で相違ない!」


 声だ。


 ――私の声だ。


 振り返る。

 そこには黒い影でできたオウカがいた。


「お初お目にかかります。

 我輩はオウカ……と、これは既にやったことがあるな。

 改めて、我輩は十の竜が一頭、マスグレイブ・ターフェアイト・ドラゴンである。

 奴隷の少女よ、主の記憶を取り戻すため――力は欲しくないか?」


 その影は、冬の風を少しだけ運んできていた。

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