第266話 光が失われて

「はっ……はっ……」


 息を荒くしながら、オウカは夜の街を駆けていた。

 アイテムボックスから取り出した学院のパーカーを羽織り、フードで耳を隠す。尻尾まで気が回っていなかったが、夜の街を歩いている者などいなかったので問題はなかった。

 宿まではそう遠くない。


 ――はやく、ツムギ様に。


 走りながら、しかしなんと言えばいいのかわからないでいた。


 原因は、己が妖狐族であるから。ただそれだけだと自覚していたから。


 主に助けを求めて、それでこの場がなんとかなるとしても、今後同じ場面に出くわすかもしれない。


 酸素が足りない脳裏に、学院での声が響く。

 殺せと、何度も叫ばれたあの光景が。

 誰もいないはずの夜から聞こえる幻聴がオウカを責め立てていた。


 ――ツムギ様、ツムギ様!


 恐怖が主の名を呼ばせる。

 この感情を取り除いてくれるのはあの人しかいないと。

 あの人に包まれて守られていたいと。

 

 ――戦うって、決めていたのに。


 オウカの決意はツムギがいてこそのものだ。

 その全てをツムギのためだとしたからこそ、彼女は戦う意志を持っていた。

 しかし、今向けられている敵意は全てオウカ自身に向けてのものである。


 オウカは目頭が熱くなる。

 迷惑ばかりかけている自分が情けなくなる。

 それでも、彼女が頼れる人は彼しかいないのだ。

 心を許せるのは彼しかいないのだ。


「ツムギ様!」


 宿へと戻り部屋の扉を勢いよく開いた。

 しかし中はものけのからで、ベッドも空いたまま。


 ――まさか、まだダンジョンに……。


 出かける直前に、ダンジョンを見に行くと言っていたことを思い出す。あの時浮かれていた自分を殴りたいとオウカは奥歯を噛んだ。


 ――今からダンジョンまで、でも。


 思考に意識が集中した時、

 オウカの視界に赤色が舞った。

 

「あっぅ!?」


 首元に痛みと温かさが込み上げ、咄嗟に振り返るとラセンが立っていた。その手に握られていたナイフが赤く染まっている。


 動脈を切られた。

 オウカは手で抑えようとするが、流れ出す血は止まらない。

 焦りが意識を朦朧とさせる。

 ふらついた足が床に引っかかり倒れそうになる――が、ラセンが彼女の髪の毛を掴んで持ち上げた。


 そして、無言のまま、ナイフを右肩に差し込む。


「――ッ!?」


 根元まで差し込まれた痛みに声が出ず。

 オウカはそのまま身体を壁に押し付けられる。


 さらにナイフが差し込まれ、壁に食い込むほどの勢いで押し込まれていく。


「つ、ムギ、様……」


 一本。また一本と。


 そうして何本も刺されたオウカは壁に磔のような状態になった。


 その瞳からは光が失われていた。

 代わりに、涙が一滴だけ流れていく。


「これでいいんですよ。これで人類は幸せに、平和に暮らせる。

 邪視は滅ぶべきで、


 ラセンはメイド服のポケットから瓶を取り出して床に叩きつける。

 割れた瓶からは液体が飛び散った。

 さらに鉱石を取り出して魔力を流し込むと、鉱石の先端に火がつく。

 それを床に落とす。


 一瞬にして部屋は炎に包まれた。


「さようなら、忌まわしき妖狐族」


 ラセンは窓から飛び出して夜の街に消えていった。

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