第265話 妖狐族だから

 水を弾く音。窓の近く。


「そこか!」


 レイミアが水球を放つと、それはナイフによって大きく逸らされた。

 同時に、その場にラセンの姿が浮かび上がる。


「おかしいとは思いませんか、レイミア様?

 貴族であるあなたが、奴隷の、しかも妖狐を助けるなど」

「レルネー家は奴隷を重んじる一族であり、彼女は未来の旦那様の所有物だ。怪我をさせて返すわけにはいかない」

「なるほど。

 ですが、

「戯言を!」


 再び魔法が放たれるが、ラセンは一瞬にして避ける。

 部屋に張り巡らされた水が音を発するが、それ以上の速さにレイミアの視線が追い付かなかった。


「妖狐族は邪視を持っています。そしてそれは発現するまで呪いとして潜む。

 誰が邪視持ちなのかは分からないのです。

 レイミア様、自分のお顔を鏡でご覧になりますか?

 今あなたの瞳は何色ですか?」

「私は呪われていないよ」


 事実、レイミアの瞳は花紺青のままである。邪視の青とは程遠い。

 レイミアは否定を口にしつつも、しかし完全に否定しきれない気持ちもあった。

 呪いはステータスに表示されない。

 自身のステータスを確かめたところで存在を確認することはできない。それが可能なのは、すでに邪視に飲み込まれたときだけだ。


「私はレイミア様の為に言っているのです。

 いまここで妖狐を殺さなければ、大きな災いを呼ぶでしょう」

「あの子が災いを? あんなにも幼くか弱い少女がか?」

「仰ったではありませんか。旦那様は厄災に愛されていると。

 彼女自身がその厄災ですよ」

「なぜそこまで彼女を嫌う?

 今日までそんな素振りはなかっただろう」

「もちろん、旦那様がいたからです。

 私では旦那様に敵わないことは学院での一戦で理解しています。

 だから、この機会を逃すわけにはいかないのです!」


 殺気。レイミアは思わず周辺を見渡す。

 どこにいるか分からない。


 ――いや、もう外か!


 割られた窓から外を覗くと、目の前の柵の上に立ったラセンが月明かりに照らされていた。


「これは誰でもない、レイミア様の未来のためです」

「私を理由に殺めていい命などないぞ」


 その言葉にラセンは返さず、夜の市民街へと消えていった。


「追わなければ!」

「待って!」


 レイミアが部屋を出ようとする所を、シオンが腕を掴んで止める。


「時間がないんだ。シオンくんはここで待って――」

「なんで……助けないといけないの?」

「……は?」


 想定外の言葉に、レイミアの思考が一瞬止まる。


「何を、言っているんだ?

 意味もなくオウカくんが殺されそうになっているんだぞ!」

「でも、あの子は妖狐族だから……嫌われて当然じゃない」

「君は!」


 レイミアは思わずシオンの胸倉を掴む。シオンが小さな悲鳴を上げて目尻に涙を浮かべるがお構いなしだ。


「種族を理由に蹂躙が許されていいわけがない!

 それにオウカくんは……彼の、ツムギくんの奴隷だ。

 彼の悲しむ顔が見たいのか? 君も好きなのだろう?」


 しかし、僅かに瞳を開いたシオンが、曇りのない素直な表情で答えた。


「あたしは……好きじゃないわよ。

 いままでがおかしかったのよ!

 あたしもきっと惑わされてたのよ!

 きっと、あの妖狐が!!!」

「君は……」


 レイミアの腕から力が抜けて、シオンが床に落ちる。


 ――何がどうなっている。


 二人の突然の変化に、レイミアは呆然とした。

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