第252話 小さな一つの終わり、大きな戦いの終わり。

 どこまでも透き通りそうな白い世界。

 ぽつりぽつりと、不規則に置かれた大きな鏡たち。


 足音もなく、目の前の少女は前を向いて歩き出す。

 それに続く俺は、一つ違和感を覚えた。


「姿が、ないな」


 この空間には、宙に浮いていたり、地面に倒れていたりと様々な鏡がある。

 しかし、そのどれにもオウカの姿が写しだされていない。


「鏡がどうかされましたか?」

「あの鏡には、その人のあるはずだった未来が映し出されるんだ。

 だけどオウカには――」

「ああ、簡単なお話ですね」


 言いながら気づき、彼女も頷く。


「この子には、一つの道しかなかった」

「そ……」


 そんなことがあるのだろうか。

 未来の分岐、可能性というものは無限大にあるなんて話もよく聞いた。

 にも関わらず、オウカにはそれがひとつもない?


 オウカにはドラゴンと戦わない選択があったはずだ。

 学院に入らない選択があったはずだ。

 冒険者にならない選択があったはずだ。

 俺と一緒にならない未来が、冒険者にならない可能性が――。


「俺が……可能性を消した?」


 吐き気に襲われる。

 

 オウカが奴隷となって売られ俺が買うまでの間、彼女に選択権はない。

 そこに彼女の意志はない。

 なら、いまの全てを選んでしまったのは俺だ。

 俺がオウカを購入して冒険者にしてしまったことで、全部が決まってしまった。


「違います。そうではありません」


 しかし、目の前の少女が俺の考えを否定した。


「何がどうあっても、あの子があなたと一緒になり、そしてここに辿りつくと決まっていた」

「決まってた……?」

「たとえ細かな変化があろうと、最後にここに辿りつくのなら、小さな可能性なんて必要ないのです」


 彼女の脚が止まり、こちらへと振り返ると一歩だけ横にずれる。


「ほら」


 その向こうには、鳥の巣のようなものがあった。

 木の枝のような何かで出来たそれは、人ひとりを納めるくらいの大きさがあり――。


 そこに、オウカが眠っていた。


「オウカッ!」


 俺はすぐに駆け寄りオウカの頬に触れる。

 何事もないような小さな寝息。

 俺がこの世界の朝で何度も聞いた幸せな音。

 間違いない。オウカはここにいた。


「オウカ……」

「んっ……?」


 黒い髪を優しくなでていると、小さな呻きと共に瞳が開かれた。

 そして、眠たそうな表情で俺を見つめ、徐々に大きくなる。


「ツムギ……様! ツムギ様!」


 オウカが上半身を起こして俺に飛びついてきたので、両手でしっかりと受け止めて抱きしめた。

 温かい。オウカが目の間にいるのが嘘じゃないとわかる。

 こんなにも、大切な人の温度が愛おしく思えることがあるだろうか。

 こんなにも、聞きたかった声に震える時があるだろうか。


「ごめんなさい、私、ツムギ様を守れなくてぇ」

「まだそんなこと気にしてたのか。大丈夫だ、お前のおかげで無事だよ」


 大粒の涙を零すオウカの瞳を指先で拭い、鼻と鼻をくっつける。


「ありがとう。俺なんかの為に怖い思いをさせたな。

 ごめんな、俺こそ守れなくて。失わせてしまって」

「ええぅ……でも、ツムギ様はすごいです。

 ここまで、私を迎えにいてくれました」

「俺だけじゃ何もできなかったよ。いろんな人の力を借りたんだ」

「えへへ、ツムギ様らしくないですね」

「そうだな」


 二人で笑いあいながら、オウカの手を握って立ち上がる。


「戻ろう」

「でも、私は力を借りて、その代償にここにきたんです」


 不安そうな表情を浮かべたオウカは、俺の後ろにた少女に気が付く。

 自分と同じ姿をした――もう一人のオウカ。

 彼女は小さく鼻で笑ってから口を開いた。


「何も気にすることはありません。

 あなたのご主人様が選ばれたことです。戻りなさい」

「でも、あなたは」

「最初に言ったでしょう? そしてあなた自身が言ったことでもあります」


 彼女の姿が剥がされていく。その一部一部がすべてだったかのように千切れて舞い上がる。


 残ったのは――青い鳥。


「これは奇跡だと」

「――ありがとう!」


 そして視界は朧げになって、鏡も青い鳥も全て黒に変わった。


***


 数秒、そのまま感覚が彷徨う。

 徐々にはっきりとしてくる自分の神経を掴みとりながら瞼を開く。

 目の前には俺の向けた杖を握ったままの少女が、同じようにして葡萄色の瞳をこちらに向けていた。


「……おかえり、オウカ」

「ただいまです、ツムギ様」


 一つのマイナスをゼロに戻した。

 そうしてようやく、大きな戦いが終わったような気がした。

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