第251話 お前を、殺す

「ちょっと前まで、この庭で特訓をしていたんだ。

 どうしても倒さないといけない相手がいてな」

「そうでしたか……楽しい時間だったんでしょうね」

「楽しい?」

「身体が、胸が高鳴るような気持ちが湧き上がってきます。

 きっと、ご主人様との時間が楽しかったのです」


 彼女の言葉が、オウカの本心に繋がっているのかはわからない。だけど、俺の心には針にように刺さってきた。


「……、一回やってみるか?」

「はい」


 鳥の囀りだけが聞こえてくる庭で、静かに木剣を構えた。


***


 浴室の椅子に座り、水魔法で身体の汗を流す。

 十数分ばかりだったか、今までにないほど密度の濃い時間だった。

 俺が教えてきた以上の剣術が隙なく突かれ、ステータスの落ちている俺は防ぐので精一杯だった。

 ただし体力的には俺の方が上だったのか、彼女が先にバテたところで特訓は終わった。


「ご主人様、お背中をお流しします」

「え、いや」

「あちらを向いて座ってください」


 お願いしたわけでもないのに、彼女は水浴び用の薄着を羽織って入ってきた。

 妖艶な姿に拒否する声も出せず、言われるがまま前を向く。

 小さな手が布を介してゆっくりと動くのが伝わってくる。

 そういえば、一緒に入ってたのは最初の頃だけで、生え変わり事件の後からは別々に入るようになったんだよな。


 と、下を見つめていると、黒い髪が何本か流れていく。


「もうそんな時期なのか」

「髪ですか? そうですね、次は山吹色の髪になると思いますよ」


 黄色系統か。狐っ子といえば定番の色な気もする。


「そうか、それは楽しみだな」

「はい、ちゃんと


 何気ない言葉への返事に、俺は息が詰まった。

 この子は、これから俺のしようとしていることがわかっている。

 わかっていて、言っているんだ。


「どうかしまたか?」

「いや……なんでも、ちょっと水が目にはいっただけだ」


 少女に頭から水をかけて貰いながら、俺は瞼を強く押さえていた。


***


 水浴びを終えて、部屋で再び学院の制服に着替える。


「ご主人様、少しだけよろしいですか」


 同じように制服に着替えた少女が、俺の目の前に立ち、顔を近づけてきた。

 互いの鼻先が触れ合い、次に頬を擦りあう。

 以前、オウカが甘えてきたときの行為だ。


「これには、どういう意味があるんだ?」

「行動通りの意味ですよ。あなたと触れ合いたい。それだけです」


 そう言って少女は俺から離れて後ろに数歩下がる。


「さあ、ご主人様」


 両手を軽く広げ、俺に笑いかけてくる。


「取り戻しましょう。あなたの望む私を」

「……」


 俺はアイテムボックスから杖を取り出す。レイミアから借りてきた精神魔法の組み込まれた杖。

 それを無言で、目の前の少女に向ける。


 取り戻せる保証はない。もっとひどい事態になるかもしれない。

 腕が少しだけ震える。


「大丈夫ですよ」


 その手を、彼女が握った。

 そして、杖をゆっくりと自身の胸に当てる。


「ここに、いるはずです」

「でも、そしたらお前は」

「ダメですよ。

 あなた様は一度私を認めなかった。それが本心です」


 少女は続ける。


「純粋に、本能のまま、求める答えに縋ってください。

 あなた様の答えは最初から出ています。

 いまは人としての感情に惑わされているだけです。

 迷わないでください。あなた様はあなた様のままでいてください。

 もし、それでも躊躇うのなら、これを罪として受け入れてください」

「罪……」

「私を一度殺す罪。しかしそれは、あなた様の望むものを得る代償でもあります」


 だから、と。

 彼女は震えることもなく、涙を浮かべることもなく、ただ慈愛に満ちた表情を浮かべる。


「罪として、私はあなたの傍にいます。

 だから、いまは躊躇わないで」


 腕の震えが止まっていた。

 彼女の温もりがそうさせていた。

 迷うことを、躊躇うことを止めてくれた。


 受け入れて、覚悟を決める。


「お前を、殺す」

「はい。殺してください、ご主人様」


 精神魔法――2680ヒドラエ


 杖が輝き、視界が罪の色に染まる。

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