第250話 ご主人様失格
レイミアとの話し合いは一日かかった。
これからのことを含めていろいろと約束事を決めておく必要があったし、なによりも天級魔法をコントロールできるか確認しなければならなかった。
もし自身でコントロールできなければ、魔法に自分が飲まれるなんてこともあるらしい。精神魔法であれば相手の精神に自分も紛れるため、一時的に己の肉体と離れてしまう。コントロールできないようであれば、そのまま相手の精神に飲み込まれて戻れなくなるなんてこともありえるそうだ。
だから、レイミアに指導してもらいながら魔法の練習をした。
最初は動物に。レイミアが一度やって見せて、そのあと俺が同じようにする。次に屋敷のメイドを相手にし、最後はレイミア自身を相手にした。
精神世界に入るだけで指示などをしなければ何事もなく戻って来れた。「これだけ安定して発動できるなら問題ないだろう。やはりツムギくんは魔法の才能がある」とレイミアからも許可が下りた。
その日はレルネー家に泊り、翌日の早朝に宿へと向かった。
ちなみに、この夜にレイミアの夜這い大作戦とか、それを聞かされていなかったラセンさんとの一戦とか面倒な事件がおきたのだが割愛しよう。肌色が多すぎた。
***
早朝の街は霧が濃いままで、商店の少ない住宅街には人の姿がまったくない。
静かな道を通りに抜けて宿屋へと戻る。宿の扉を開いても、酒場には人もいないし、受付のおじさんが眠そうにこちらをちらりと見るくらいだ。食堂の方から慌ただしい様子の皿の重なる音だけが聞こえてきた。
階段を上り、あれのいる部屋へと入る。
しかし扉を開くと、そこには誰もいなかった。人の気配もなく、ベッドも誰かが寝ていた跡もない。数日間誰もいなかったかのように、薄暗い温度だけが漂っていた。
学院にはシオンが同行していたはずだから、もしかしたら彼女と一緒にいるのかもしれない。そうなると、学院の方にいるのだろうか。
シオンは普通の生徒だから学生寮だろうが、奴隷は一つの部屋で雑魚寝だとか聞いた気がする。
オウカの見た目は妖狐であることを黙っていれば相当な美少女だ。だが学院の生徒には妖狐であることがバレているし、迂闊に近づいてくる奴もいないだろう。
窓辺から外を眺める。
そういえば、あの日の夜、あれはここで俺のことを待っていた。裸で、しかも慰み者になろうと。
あの時は俺も動揺して、新しい魔法を行使されていることに怒りという感情が芽生えた。今となっては、もう少し冷静に対応できたのではないかと思う。
どうして、彼女がそんなことをしたのか。
昔のオウカと同じだ。
『これから自分がどうなるかもわからない。どうされるかもわからない。でも震えそうな身体を必死に殺して、笑顔作って、愛想振りまいて。口調だってすぐに変えた!
変な顔されたくなかったから! 怖い思いをしたくなかったから!
耳と尻尾を触られて怖かった! けど何も言えなかった!
あなたが何者で何をしてくるかなんて何一つわかんない! 何が正しいのかわかんない! だから素直に言うことを聞くだけで精一杯だった!』
あの時は震えていることに気が付けた。
あの時は怖いことを理解できた。
あの時は名前を付けてあげられた。
まだ耳や尻尾を撫でているだけのほうがよかっただろう。
自分のことを知っている主が、しかし記憶がないからと冷たく当たってくる。
それは恐怖以外の何物でもないだろう。必死に記憶の中から僅かな自分を探し出して、本当かもわからない感情を信じて。
怖いのを我慢して、それでも俺に好かれようと裸を見せたのだとしたら。
俺は、ご主人様失格だ。
自分の拳を握り締めて見つめる。
一度自分を思い切り殴りたい。
その視界に人影を捉えた。
宿の庭に誰かが立っていた。
「あ……」
俺は慌てて部屋を飛び出す。
廊下を駆け、階段を降りて、中庭に繋がる扉を越え。
「……」
「ご主人様。おはようございます」
俺に気付いた彼女は、こちらを見て頭を下げる。
「どうして、中庭に……?」
「前の習慣、でしょうか。ここで何かをやっていた気がしたんです。
だから何か思い出せるんじゃないかと」
彼女の腕には木剣が抱えられていた。
――そうか。
記憶が無くなっても、彼女自身もオウカの一部なんだ。
そう思った瞬間、全身に何かが込み上がってきた。
涙だろうか、後悔だろうか。何であれ、表には出さず飲み込むように、深呼吸する。
俺は、オウカがすべてを失ってまで残してくれた彼女を。
否定して、殺してしまうんだ。
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