第219話 豚は去っていく

「姫と言うと……ああ、ギルド嬢の」

「我がモノにする予定だったのに、あの男がギルドを使って守っていたからな」

「レルネー家とて、ギルド組織といざこざを起こすわけには参りませんからね。

 兄上の冷静な対応に感服いたします」

「ぶふ! 思ってもいないことを!

 しかしまあ、あいつが死ねば我が恋路を邪魔する者はいない。

 だから馬を走らせて自ら迎えに行ったのだがな」

「居られなかったのですか?」

「ふご! なんともう王都に来ているという!

 どうやら入れ違いになったらしい。

 嫌そうな顔をしながらもその行動の早さ。やはり我に惚れているな?

 態度にそぐわず可愛い奴よ」


 そこまで話を聞いて、レイミアは察しがついた。

 ソリーのギルマスが死亡したという話は、一か月以上前に伝わっている。

 そうすればこの豚が迎えに来ることを女も理解していたのだろう。

 早めに動き、こちらに来ることで入れ違いを起こし時間を稼ごうとしたのだ。


 ただの庶民が一か月で何かできるとは思えないが……。

 しかし、その庶民が味方につけているのは、レイミアが手にしようとしている男だということも知っている。


「ぶび! 我が姫と婚姻すれば国が揺らぐ! そして我が貴族を統率するのだ!

 貴様が変な男を誑かしてレルネー家に入れても無意味だ!

 そもそも貴様の存在がレルネー家としての汚点なのだからなあ?」


 男が顔を近づけてきて耳元で囁く。

 ああ、なんと汚らわしい。

 こんなものを見ていたせいか、雰囲気の暗いあの男ですら魅力的に見えてしまうのだから、生活環境というものは己の感性に重要なのだとレイミアは学ばされる。


「ぶひゃ! 所詮貴様も父上の酔狂で奴隷から生まれた屑だ。

 いくら我より魔法の才覚があろうと、正統でない貴様が我に勝ることはない!

 精々、奴隷として狙った男のを咥えているといい!

 ぶほほほほ!」


 所詮は腹違いの兄である。その言葉は彼女の心に何一つ刺さらない。

 精々、僅かにでも知のある豚として足掻くがいい。と、彼女は心の中で嘲笑する。

 そんなことは露知らず、汚い笑い声を上げながら豚は去っていく。


「お姉様」


 男に付き添っていたメイドが、レイミアの後ろにいたラセンへと声を掛ける。

 二人とも水色の髪。ラセンは短く切っており、対照的に男のメイドは長い。

 レイミアは彼女たちが姉妹であることを知っている。

 同時に、男についた妹の方が姉に対抗心を抱いていることも。


「旦那様の情報力は本物ですわ。

 申し訳ないですが、お姉様方には降りてもらいます」


 小さく笑みを漏らし、妹も去っていく。


「まったく、あの二人はほんとうに愚かだな。

 父上が嘆くのもわかる」


 要は国が隠したい秘密を掴んだから、それを使って成り上がろうというのだろう。

 その行動が招く不利益を理解できているのだろうか。


「ええ、まったく」

「……ラセンの声を久々に聞いた気がするな」


 メイドが言葉を発したことに、レイミアはしばし驚く。

 彼女は基本的に無口だから、声を聞くことは滅多にない。


「そうでしょうか?」

「まあ、敵対していても妹ということか」


 本当の兄妹がいないレイミアとしては、その感情は面白いものだった。


「ついでに聞くが、彼はどうしている?」

「弓聖様と奴隷商の娘を南の街に送ると言って王城へ向かわれました」

「そうか……なら、兄上の姫というのも……」


 三つ編みにした髪を撫でながら、僅かに口角を吊り上げる。


「妖狐に竜に魔族、そして姫ときたか……。

 まったく、彼を一番愛しているのは厄災らしい」

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