失って得たもの(王都)

第212話 10.5

***

「あの……誰 、でしょうか?」


 少女の第一声がそれだった。

 初めて買った奴隷に誰ですかと聞かれても……ついさっきまで俺がサインをカキカキしている所にいたよね?

 もしかして、奴隷って精神まで操られているのだろうか。初めて見た相手がご主人様だよとか。そりゃ性奴隷も売れるわそうじゃねえ。


「ご主人様は、私が誰なのかご存知ですか?」


 改めて少女に問われる。って誰って自分のことかい。

 え、この子、自分のことが分からないの? 記憶もいじられるの?


「誰って言われてもなあ」


 会場で彼女のステータスを覗いた時は名前がなかった。

 分かってはいるが、それでも再確認のためと、俺は彼女のステータスを覗く。


***


◆‐ ♀

 種族 :妖狐

 ジョブ:奴隷

 レベル:35

 HP :175/175

 MP :1050/1050

 攻撃力:350

 防御力:175

 敏捷性:700

 運命力:35



「な、んで」


 どうして名前が消えている。

 これじゃまるで、オウカを買った時と同じじゃないか。


「あれ、えっと……ご主人様でよろしいんですよね?」


 オウカは不安そうな顔で俺のことを見ている。

 間違っている。

 現状の全てが。

 いまここに齎された結果が。


 オウカは失ってでもと言っていた。

 まさか、こうなることを分かっていて、邪視の力を使ったのか。


 何が、何が奇跡だ。

 一時の力のために己を失う?

 そんなのは呪いだ。断じて受け入れられるものではない。


「ふざけるなよ」

「えっと」

「お前は!」


 お前は。

 目の前の少女は。

 ……オウカなのか?


「い、痛いです、ご主人様」


 気付けば彼女の肩を強く握っていた。

 それを放して立ち上がり、俺は徐に部屋の扉を開いて廊下へと出る。


「ちょっと、外に出てくる」

「わ、私もお供いた」

「ついてこなくていい!」


 力任せに扉を閉じた。


***


 石畳の道を目的もなく歩く。

 まだ人が増えるには早い時間帯だが、それでも王都なだけあって結構な数の人が朝の準備をしていた。

 大通りを抜け、小さな道をいくつか進み、王城の近くまで来ると、小さな丘にたどり着いた。

 ここからは王都全体が見渡せるのか。

 王城にいたころは気づかなかったな。

 近くのベンチに腰掛ける。


 俺は何も失いたくなかった。

 オウカ自身も失いたくなかった。

 そうやって戦った結果がこれだ。

 

 何も守れていない。


 この世界にきてからずっとそうだ。

 何一つ、守りたいものが守れず、失ってばかりだ。


 オウカは失わせないと言った。

 そして、守るためなら少しくらい失ってもいいと。

 守ったもので埋めると。


 オウカは俺から何も失わせまいと、戦ってくれた。

 そして邪視を使い、失ったのはオウカ自身だ。


 間違っているよ。

 俺が失いたくなかったのはオウカだ。俺はそう言ったはずだ。


「ご主人様」


 声に振り返れば、白色のワンピースに赤い頭巾の、いつもの姿のオウカが立っていた。

 いや、彼女はオウカじゃないのか。

 いまは、名もなき奴隷の妖狐だ。


「ついてくるなと言ったはずだ」

「申し訳ございません。ですが、ご主人様がすごく辛そうなご様子でしたので……」

「自分の記憶もままならないのに、主の心配か。奴隷精神の賜物だな」

「確かに、いま私は自分の記憶がありません。

 ご主人様にいつ買われたのかも、どうしてそもそも奴隷なのかも、自分が何者なのかも。

 ですが、それよりも先にご主人様が心配なのです」


 そうか。オウカは逆に俺を失いたくなかったのかもしれない。

 その為なら、たとえ己が失われたも、主が生きているという事実で埋められると。

 俺もオウカも、自分勝手だな。


「そうだな……お前を買ってもう半年近く経つかな。

 その時も、記憶がなくて、結局思い出せないまま一緒に過ごして。

 一年だけの奴隷契約だ。もう半年も経てば、奴隷税を納めた後、教会にでも行って自分を買い直すといい」

「そう、ですか……。では、私は記憶が無くなる前からご主人様といたのですね。

 あの、私、頑張ります! 少しずつ記憶を取り戻して、以前の自分に戻れるようにします!」

「……いや、その必要はない」


 俺は立ち上がり踵を返す。

 俺の言葉を理解できなかったのか、彼女はきょとんとした様子で立ち尽くしていた。


「いまのお前は、前のお前じゃない。無理することはない」

「で、ですが……名前、せめて名前を教えてください!

 私の名前はなんだったのですか!」


 少しでも取り戻したいという気持ちなのだろう。

 しかし、それが俺には癪に障った。


 オウカ。

 俺が初めて買った奴隷。桃色の髪に金色の瞳が、まるで桜のようで。

 そして、俺が与えた名前だ。


 そのオウカは、いまここにいない。


「お前に名前なんて、ない」


 彼女はオウカではないのだ。

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