第150話 行かないで

 ――暗闇の中で歓声が聞こえる。


 耳障りな、声とも呼びがたい音。

 脳裏……というか聞いたばかりな気が。


「ツムギ様」


 ――音が消えた。


 何かが頬に触れて優しく撫でてくる。

 目を開けると、俺の視界に入ってきたのはエル王女だった。


「エル王女……?」

「おはようございます、ツムギ様」

「う……」


 眉尻を下げて心配そうな表情を浮かべているエルがいて、罪悪感がのしかかる。

起きる気になれない。


 外は微かな青と赤が混じりあった黄昏時。


「またベッドの上か」

「安静にしてくださいって言ったのに……男の子ですね」


 ため息をつきつつ、エルは頬に添えてた手を俺の前髪に移して何度も梳く。


「いい雰囲気のとこ悪いんだけど、わたしもいるよ?」


 エルの後ろからひょこりと顔を覗かせたのはヒヨリだった。


「あ、ヒヨリ、別に私たちはいい雰囲気とかそんなことは」

「もー冗談だってばあ。

 エルは毎日あちこちの貴族とお見合いしてるのに、ツムギくんのところまで来てくれて、ほんとありがとね」


 ヒヨリがエルの肩に手を添え、ペットでも愛でるように頬ずりをする。近頃の女の子のスキンシップは密着度の高さ重視なのだろうか。


「……負けたな」


 結局、両手に魔法を発動させたものの、光本の巨大な魔法を抑えることなんてできるわけもなく。

 あっけなく吹き飛ばされたのが最後の記憶だ。


「でも、団長さんがすごいって言ってたよ?

 二つの魔法を同時に発動できるなんて、魔法師でも訓練が必要だって」

「そうですわね。魔法師団の中でも、一人か二人くらいしかできないでしょう」


 褒められたところで嬉しさなんて微塵もない。

 光本は同じことを、それ以上にやってのけているのだから。


「……小さいな」


 手を天井へと伸ばす。

 自身の無力さが虚しい。

 身体の奥で、生きたいという気持ちがあるのに、そのための実力がこれっぽちもない。


 巨大なゴブリン一匹すら倒せない俺は。

 キズナリストを使えない俺は。

 何の力もない俺は。


 ――どう生きればいい?


「……冒険者でも、やろうかな」

「冒険者、ですか?」


 俺のつぶやきに、エルが首を傾げる。


「特訓の一環で、騎士団の人たちに冒険者登録させられたんだ」


 そう言って俺はアイテムボックスを開いてギルドカードを取り出す。

 裏面に二つの剣が描かれた模様――ハーニガルバットの国旗が刻まれている。


「冒険――いいねそれ!」


 ヒヨリが俺の手を掴む。


「ツムギくんはクラスメイトと一緒より、一人で冒険をする方が向いてるかもしれないね」

「遠回しにぼっちって言いたいんだね?」

「少年よ大志を抱けって言うし」

「これといって志はないけど」

「可愛い子には旅をさせろってね」

「親はいないが?」

「もーツムギくん可愛くない!」


 握られた俺の手が上下に揺らされる。人の手で遊ばないでほしい。


「俺はキズナリストを登録してるわけでもないし、クラスメイトと一緒にいても意味がない……確かにヒヨリの言う通りだ。

 俺は俺なりに強くなる方法を見つけたほうがいいんだろう」

「本当に、ここを出て冒険者になるのですか?」


 エルが、心配そうな表情で俺の目を見る。

 純粋無垢の塊みたいな視線がいまは痛い。


「みなさんを召喚したのは私です。

 もし何かあったら、私は……」

「気にするな。エルはいろいろしてくれたよ。

 ここから先は、もう個人の問題で、個人の責任だ」


 俺はベッドから降りると二人を横切り、窓際から庭を覗く。


「明朝には出るかな」

「みんなに挨拶は?」

「いらないだろ」


 ヒヨリの言葉に、当然の返事をする。


「ツムギ様!」


 エルが立ち上がると、俺の元へ駆け寄り、両手を握る。


「辛くなったり、寂しくなったら、いつでも戻ってきてくださいね。

 私は、いつまでもツムギ様のお帰りをお待ちしております」

「あ、ありがとう……?」


 ラブコメみたいな勢いに飲まれそうになるのを、視線をずらして逃れる。

 が、その先にいたヒヨリが人差し指で頬をかいていた。


「わたし、もしかしてお邪魔……かな?」

「まって、行かないで」


 もはや出ていく人間のセリフじゃない。

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