第145話 私だけのご主人様

「それは、違うと思います」


 オウカは表情一つ変えず返した。

 その様子に驚いたのか、シオンは目を見開く。

 と、オウカは「あ、いえそういうのじゃなくてですね」とパタパタと手を振る。


「ツムギ様の魔法に精神統一をするものがあると聞きました。

 それは自分自身を見つめないと使えないとか……なので、ツムギ様が自身を認識していないなんてこと、ないと思います」


 オウカが言っているのは碧鏡の我エルゴニドのことだろう。

 以前クラヴィアカツェンを苦しめたアビリティは、己が何者であるかを突きとめなければ解放されないとツムギ自身が語っている。

 あの一戦の後、オウカはどのようにしてクラヴィアカツェンを倒したのか聞いていたのだ。その時の答えが、いまのシオンの考えと矛盾する。


「なるほど……自身が何者か、ね」


 シオンは何か考え込むように指先を唇に持ってくる。

 自分の考えが間違いだった、とはすぐに言わない。そのことにオウカは少しだけ苛立ちを感じた。


「あたしはその魔法を見たことがないけど、それって自分を見つめ直すものじゃない?」

「見つめ直す……確かに、似たようなものだと思います」

「それって言うなれば、見つめ直すものがある人に有効なだけのもの、ではないかしら?」

「見つめ直すもの……?」

「過去の自分とか、自身の在り方、つまり自我に囚われていない人には効かないんじゃない?」


 言われて、オウカは一つ思い出す。

 ツムギから説明を受けた中に「モンスターには効かない」という話があった。


「本能で生きる者には効かない……」

「ツムギが本能で生きてるとはとても思えないけどね」


 シオンが苦笑いを浮かべる。


「で、でも、ツムギ様は生きることにとても執着しています!

 私にも生きることを考えろと口酸っぱく言っていますし」

「そうねえ、そこがあたしから見た矛盾なのよね」


 オウカの慌てた反論に、シオンも自分の考えの矛盾を認めて大きなため息を吐いた。


「人にも自分にも興味関心を持たないような人が、生きることだけには執着するかしら……。

 まあ、全部あたしの憶測でしかないから、気にすることはないわよ」


 そういってシオンはオウカの頭を撫でる。

 ――ツムギ様とは全く違う、小さな手などと余計なことをオウカは考える。


「結局はツムギの生き方で、あたしたちが干渉することでもないわ。

 ただ、もう少しこちらにも目を向けてほしいわね」

「……やっぱり、シオンお姉様はツムギ様が好きなのですか?」


 オウカの質問は最初のに戻った。

 誤魔化せなかったか、とシオンは少しばかり顔を顰める。


「別に好きってことはないけど……嫌いでもないわ。

 ただ、街で年の近い人がツムギしかいなくて……ちょうどお兄ちゃんが欲しいなって思っただけよ」


 最後の言葉は小さい声で呟かれたが、妖狐としての聴力を維持したままのオウカには、はっきりと聴こえた。


「で、オウカちゃんは?

 奴隷の分際でありながら、ツムギのこと好きとかいうの?」


 シオンは話を逸らすように、仕返しの皮肉を込めて問いかける。

 それに対しオウカは、小さく笑みを浮かべて答えた。


「もちろん、お慕いしております。私だけのご主人様です」

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