髪の話(南の街 ソリー)

第72話 とんでもないもの

 薄暗い空には、土の香りが添えられる。

 黒を帯びた雲が太陽を隠し、代わりに大粒の雨を幾多も降らせていた。

 それによって地面は泥濘ぬかるんでいたが、辛うじて帆馬車は走ることができた。


 車輪が泥水を跳ねながら街の入り口を通過する。


 馬車の側面には妖精の形をした刻印が焼かれている。この刻印は街への出入りを許可されたものだけにつけられる。故に守衛所の中の人はちらりと刻印を確認するだけで何もすることはない。


 馬車はすぐ近くの馬小屋前に止まった。


「着いたぞ」

「ありがとう」


 手綱を握っていた商人の男に声をかけられて、帆の中から出る。

 

「やっぱりこっちも雨がすごいな」

「例年よりも遅いらしい。おかげで蒸し暑いったりゃありゃしねえ」


 外を見ながら呟くと、商人の男が答えてくれた。

 俺はこの世界の気候については詳しくないが、要は梅雨みたいなものだろう。

 確かに湿気がひどく、蒸し暑い空気が頬をかすめる。


「ほら」

「ありがとうございます」


 帆の中で一緒にいた少女に手を差し伸べる。

 彼女には大きめ黒い外套を深くかぶらせている。

 馬車から降ろさせ、商人に数枚の銀貨を渡してから二人で街の中を走る。


 雨天というだけあり、街中に人は少ない。商店のいくつかも、客が来ないことをわかっていてか店を閉めている。


「ギルドに行きますか?」

「いや、明日でいいだろう。このまま宿に戻る」


 雨の中を駆け、数か月お世話になっている宿屋へと入る。

 街の中心から離れたこの場所は泊っている人が少ない。というか、宿主すら自室に籠っていやがる。

 二階に上がり自分の部屋へと入る。

 外套を外して水を切った。


「寒いな」

「お風呂を用意しましょう」


 少女が俺の外套を受け取り、部屋の隅に掛ける。

 そのまま少女も外套を外す。


 中から出てきた桃色の毛先が肩の上でふわりと揺れる。

 頭上には対照的にぴんと立った二つの三角耳。

 お尻あたりには大きな尾っぽがあり、その姿はこの世界で亜人と呼ばれるもの。


 彼女は妖狐と呼ばれる亜人で、俺の奴隷である。


「ツムギ様、お風呂を沸かしてきますね」

「ああ、宿主に見つからないようにな」


 妖狐はこの世界の嫌われ者だ。

 だから俺は、彼女の正体がばれないよう気にかけている。

 対して彼女は、それを理解してるのか怪しいくらい明るく「はいっ」と答えて部屋の扉を開く。


 そこで俺はとんでもないものを目の当たりにした。


「オウカ、お前――」


 彼女の名を呼んだところで、言葉を続けまいと手で口を押える。


「どうかしましたか?」

「い、いや、なんでもない」


 なんて言えば良いのか。

 そもそも、言うべきなのか。


 彼女は軽く首を傾げてから部屋を出ていく。

 その後ろ姿を俺は目を見開いて見つめていた。


 まさか、そんな。








  オウカの後頭部に――10円ハゲができているだなんて。

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