第7話 SU ロナウドとの出逢い


 月の出ている夜の海をクリス商会の船が進んでいた。

 メインマストの上の見張り台では、2人の船員が望遠鏡をのぞいている。

 かすかな光をたよりに海に異常がないかをかんしていると、1人が何かを見つけたようでぎょっとして声をあげた。


「おい! アレを見ろ!」

 水面下すぐのところを黒い影がまっすぐ船に向かって近づいてくる。


「で、でけえ。なんだありゃぁ」

「馬鹿野郎。クラーケンだ!」


 クラーケンといえばせんかんでも沈めてしまうような巨大なイカの化け物だ。こんな商船一隻ではひとたまりもないだろう。


 あわてて一人が備え付けのでんせいかんに取りすがって敵襲を告げる。


「8時の方向。クラーケンだ!」


 その声が船内に響きわたると、飛び起きた船員たちがあわただしく戦闘準備に入っていく。

 すぐにセシルの船室のドアも荒々しくたたかれた。その向こうから船長が声にあせりをにじませて、

「クラーケンだ。……お嬢さまは危ないから中に!」

と言い、そのまま走って去って行く。


 まずい! ものすごく嫌な予感がする。


 セシルがベッドから飛び降りるとすぐに船が大きく揺れ出した。

 急いで母の手配してくれたカバンを開けて中の荷物をマジックポーチに移す。そのままポーチを身体に縛りつけながら窓から外をのぞくと、大きな水しぶきとともにメインマストよりも太い触手が何本も突き出ているのが見えた。


 大きく揺れる船。激しく水滴が窓を打った。


「な、なんなのあれ?」


 ヌラヌラとした気色の悪い触手に白いきゆうばん。見たこともない巨大なモンスターに身体が震える。まるで神話に出てきそうな化け物だ。とてもじゃないけれど、この船が持ちこたえられるとは思えない。

 思わず立ちすくんでしまったセシルだったが、光の精霊がドアをコツコツと突っついている。


 ――ドアを開けて外に行けというの?


「外は危ないわ! ダメよ」


 しかしセシルの制止が聞こえないかのように精霊の身体がぼんやりと光ると、鍵を掛けてあったはずのドアが自然と開いてしまった。


 ピピピピとさえずる精霊がじっとセシルを見つめている。

 外からは船員の怒号と、何かが激しくさくれつする音が聞こえた。おそらく船の大砲の音だろう。

「どんどん打て!」「船をこげ! 引き離すんだ!」


 急に船体の揺れが激しくなった。まともに立っていられない。

 床に倒れ込んだセシルはそのまま廊下に転がり出た。


「きゃあ!」

 あわててドアノブを握って態勢をととのえようとするが、グワンと床が浮き上がったと思ったら船が横転する。


 クラーケンが船を持ち上げたのだ。


 なすすべもなく転がり続けたセシリアは、そのまま甲板に飛び出した。かろうじて振り回していた手で船縁をつかむことができたが、宙づりになったセシルの足の下には、ぬめぬめと光る巨体が見える。


 歯を食いしばって身体を持ち上げようとしたときだった。突然、横にしようげきが加わり、とうとう手を離してしまった。


 必死で船に手を伸ばすが届かない。セシルは真っ直ぐにクラーケンに向かって落ちていく。


 空中に放り出されたセシルは、手を強く握って目をぎゅっとつぶってしまう。

「いやあぁぁぁぁ」


 その時、身体の奥で何かが爆発するような感覚がした。


 目をとじていたセシルは知らないが、この時、落下するセシルとクラーケンの間に巨大な魔方陣が現れていた。

 セシルの身体が輝くと同時にカッと魔方陣が強く光り、そこからクラーケンに太い雷がいくつも襲いかかっていく。激しく暴れるクラーケンは身体を震わせて海の底へと潜ろうとうごめきはじめる。


「あぁぁ――」

 しかし、セシルの意識はそこでえた。





◇◇◇◇

 砂浜近くの天幕から、ロナウドが顔を出した。


 昨夜は急に天候が崩れたけれど、今朝の海は穏やかな表情を見せている。

 ゆったりとした波の音を聞きながら、ロナウドは大きなあくびをした。


「さてと。……じいちゃん。行ってくるぜ」

 そう天幕の中に声をかけると返事も聞かずに砂浜を走り始める。


 ロナウドは、当代の剣聖であるオルドレイクと修行の旅をつづけている。

 この日の朝の走り込みも、いつもと変わらない朝の日課であるはずだった。

 しかし走り始めてすぐに、ロナウドはいつもと違う感覚に戸惑いを覚えていた。


 なんだろう。今朝は落ち着かないな。

 妙に胸がドキドキするぜ。


 思い当たることはないけれど、気持ちを落ち着けるように息を吐いて走る足に力を込めた。


 ピピピピピピ。


 鳥の鳴き声に顔を上げると、黄色い小鳥がこっちを見ている。

 海鳥ならよく見かけるが、森に住んでいるような鳥がここにいるとは珍しい。


 そう思いつつも、前を向いて少しペースを上げようかと思案した時、突然、その鳥が通せんぼをするかのように目の前にやってきた。

 その脇を通り抜けようとすると、追いかけてきては後ろ頭を突っついてくる。


「いて! いて! いて! 一体なんだよ!」


 声をあらげると、鳥は器用にロナウドの服をついばんで引っ張ろうとする。まるでどこかへ連れて行こうとしているかのようだ。


 不思議な因縁。そういえば聞こえはいいが、これは何かあるに違いない。

 ロナウドは小鳥の導く方向へと進路を変えた。


 いつの間にか妙な期待に胸を高鳴らせ、速度を上げて走っている。息が切れてくる頃、前方に一人の女性が倒れているのが見えた。……ひようちやくしやだ。


 この時ロナウドは知らなかったが、これがセシルとの出逢いだった。


 急いで駆けよって息を確かめようとしたロナウドの手が止まる。


 朝日がセシルの髪に当たって、砂に汚れているにもかかわらずキラキラと輝いている。整った顔立ちに、血色こそ悪いもののそれは漂着したなら当然だろう。


 ――きれいな女性ひとだ。


 息をのんで見とれていたのも束の間、小鳥が怒ったようにロナウドの頭をガンガンと突っつくので、あわてて近づいて息を確かめる。


 よし。息はある。急いで戻ろう。


 ロナウドはセシルを抱え上げて、来た道を急いだ。


 かなり体温が低いな。早く温めてやらないと……。



 ロナウドが天幕に戻った時には、ちょうどオルドレイクが天幕から出てきたところだった。

「戻ってきたか……って、なんだその娘は? 急いで身体をふいて毛布で温めろ!」


 そう言って、オルドレイクがあわててたき火の跡に薪を置いて火を付けはじめた。


 一方でロナウドはどうしていいかわからずに突っ立っている。


 身体を拭く? それって服を脱がせてだよな。俺がやるのか?


 顔を赤らめてためらいっていると、小鳥がセシルの上に降り立つとその羽をブワッとふくらませる。すると不思議なことに温風が2人を包み、ぬれてピッタリとはりついていた彼女の服がれいに乾いていった。


 驚いたものの、オルドレイクが険しい目でにらんでいることもあって急いで天幕に連れ込み、毛布で体を包んでから、外のたき火のそばでセシルを抱え込むように座った。


 年のころは自分と同じくらいだろうか。こんなに女性と密着したことがないロナウドにとって、ぬくもりといい、匂いといい、妙に緊張してしまう。


 ……女の子ってこんなに柔らかいんだ。


 そんなことを考えていると、まきがひょいっと飛んできて頭にガツンとぶち当たる。

「いったぁ」と言いながら顔を上げると、オルドレイクが鍋を火にかけながら、

「変なことを考えるでないぞ。光の精霊に守られた少女だからな」

と釘をさしてきた。


 光の精霊? もしかしてさっきの小鳥が?

 そう言われてみると、確かにさっきの温風は魔法としか考えられない。


 ……それならこの女性はいったい誰なんだろう?


 血の気を失ってなお美しい。着ている服装から判断すれば町娘に見えるが……。なぜあんなところに漂着していたのだろう?


 いろいろと疑問が湧いて出てくるけれど、今は目が覚めるのを待つしかない。


 やがてスープが完成するころ、セシルのまぶたが震えてゆっくりと目が開いていく。


「う、んん……」

「気がついたか?」

 そう静かに語りかけると、セシルがぼんやりとした目で振り向いた。ロナウドと目が合う。


「あ、れ? ここは…………。え? え、え。えー!」


 飛び上がるようにロナウドから距離を取るセシル。苦笑いを浮かべていると、周りを見回して勝手に状況をあくしたのか、申しわけなさそうな顔で、

「助けて、もらったようですね。……取り乱して申しわけありません」

と謝罪をはじめた。


 オルドレイクが小さく含み笑いをして、

「どこぞの貴族娘のようだな。……お礼を言うのはちょっと早いんじゃないか? わしらが奴隷商人や盗賊だったらどうする?」

と問いかけると、セシルがピシッと固まった。


「怖がらせるなって。俺はロナウド・ロックハート。冒険者だ。そっちのじいちゃんは剣の師匠のオルドレイク。じいちゃんが怖がらせたけど、別にそんなことするつもりはないから安心して」

「は、はい……」

「ははは。どうやら訳ありのお嬢さんのようだな。そこのロナウドが海辺に倒れているお前さんを見つけたんだ。感謝はそやつに言え」


 セシルが正面から真っ直ぐにロナウドを見ている。さっきまでの腕のぬくもりを思い出すと、なんだか妙に照れくさくなってきた。


「ロナウド様。助けていただいてありがとうございました。私は……、セシルといいます」

「礼なんていいよ。ロナウドって呼んでくれ。その精霊が君の所へ案内してくれたんだ。だから礼をするなら君の精霊にだね」


「いいえ。そういうわけには」と言いかけたセシルだったが、突然、かわいらしくお腹が鳴った。

「あ、あの、これは」と真っ赤になるセシル。


「ははははは。まずは朝食をとることにしよう」とオルドレイクが笑った。



◇◇◇◇

 セシルは2人にマナス王国の商家の出身で、他国へ向かう途中でクラーケンの襲撃に遭い、すべてを失ったと説明した。……もう貴族ではないが、オルドレイクにどこぞの令嬢と見抜かれていたからだ。


 ロナウドとオルドレイクの旅にセシルが加わった。最初は渋っていたオルドレイクだったが、セシルの魔法の才能を見て、10日もすれば自らセシルを鍛えるようになっていた。こうしてセシルはみるみるうちに魔法戦闘の技を高めていく。


 けれどもオルドレイクは、最後まで自分が当代の剣聖だということをセシルには秘密にしていた。


 3人の旅が3年になったころ、オルドレイクがここから先は1人で旅をすると急に言い出した。


 そして、ロナウドに「後は自分で自分の剣を見つけろ」と言う。


 いわく、

  わしが教えられることはすべて教えた。しかしそれでもお前の剣には致命的な欠点がある。これからは、わしと別れてその欠点を見つけ克服しろ、と。


 聞けば、オルドレイクの一人娘も同じ課題を抱えて修行の旅に出ているという。


 ロナウドとセシルはオルドレイクと別れ、2人でローラン王国のとある街を拠点として冒険者として活動し、気がつくと2年という最速のペースでSランクに到達していたのだった。


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