第8話 Wo 告白



 あれから5年だ。


 3人で旅をしていたときは、悪夢を見て急に飛び起きることも一度や二度ではなかった。

 ひどいときは叫び声を上げて、近くの魔物を呼び寄せてしまったこともある。


 けれども5年の歳月が。ロナウドと過ごしてきた5年が、いつしかセシルの心を癒やしていた。


 飛び起きたセシルに「大丈夫だ」と落ちつかせ、時には眠りに落ちるまで見守ってくれていた。

「いやぁぁ」と叫びながらわけがわからなくなっていると、抱きしめてくれたこともあった。

 頭をなでながら、まるで泣きじゃくる幼子をなだめるように。


 そのお陰だろうか。


 いつから悪夢を見ることがなくなったのだろう。

 いつから素直に笑えるようになったのだろう。

 ……いつからロナウドがいないと落ち着かなくなったのだろう。


 そう。セシルにとってロナウドは大切な人になっていた。

 この5年はただの5年じゃない。セシルにとって、それはかけがえのない5年だったのだ。


 けれどもその5年が経って、今ごろになってセシリア・スランフォードの名前を見ることになるとは思いもしなかった。

 ましてやここは遠く離れたローラン王国である。


「――シル。……セシル」


 ロナウドの声に我に返るセシル。顔を上げるとロナウドの目が自分を見つめていた。心配そうに揺れる瞳に、少し申しわけなく思う。


「どうした。大丈夫か?」

 そう言いながらロナウドはセシルの持つ手配書に視線を落とす。


「なんだ? セシリア・スタンフォード……」

「そうよ。マナス王国から追放されたっていう」


 追放された本人が知っているのは当たり前だが、旅の途中でもいくかその情報を耳にしたことがあったのでロナウドも知っているはずだ。マナス王国の宰相家の内紛として。


「ああ、かなり前だな。あれから随分とあの王国は荒れているようだな」


 なんでも消費税とかいう税金が加わり物価が高くなったとか、突然、特定の貴族にありえないほどの重税が課せられたという。

 払えなかったとある貴族はだんぜつとなり所領は王国に没収されてしまった。

 また不服を申し立てた別の貴族はほんざいで一族が処刑され、やはり所領は王国に没収される結果となったという。

 ほかにもいくつかの商会がグレイツ商会に吸収されて貿易にも影響が出ているし、人種差別が激しくなったとか。

 もっとも遠く離れた他国の情報だ。流れてきた情報を安易にみにもするわけにもいかなかった。


 しかしフリージアから話を聞いたところ、すべて事実であり、さらにひどい実情も明らかとなった。

 すべてはライラの仕業だったのだ。


 その話を聞くにつれて、セシルの胸は我が事のように痛む。


 重税をかけられた貴族は、ライラの機嫌をそこねた家であり、没収した後には縁故の者や手足になる人物を送り込み、着々とライラ自身の支持基盤が広がっていた。


 商会の吸収は言わずもがなであるが、なかでもひどいのは、何人もの貴族令嬢を無理矢理にれいに落として、いかがわしい店で働かせていることだ。

 そのほとんどが学園時代にライラをいじめた令嬢らしいが、なかには高級しようになってしまった令嬢もいるという。


 公になっていないことだが、国王と王妃はきようらく的な性格をしていて国政にまったく興味がない。いつもこうきゆうで2人で遊んで暮らしている夫婦である。

 そのため政治を一手に担ってきたのが父のグレイだったのだが……。今は王太子が現宰相とスチュアートの補佐を受けつつ執り行っているらしい。

 まだ年若くして国政を執るアランは、やはり聡明といえるのだが、ライラが関わると途端とたんに盲目的になる。彼女を溺愛し、その要求をそのまま叶えさせているという。


 ……つまり、誰もライラの横暴を止められないということ。暗黒時代が始まっているのだ。まったく殿下は何をしているんだろう。



 考えごとをしているセシルを見て、ロナウドが「よし」と言って、


「今日は休みにするか……。め ず ら し く。セシルに悩み事があるみたいだし」


 わざとらしく「珍しく」を強調すると、セシルが口を尖らせて、

「それはどういうことよ! 私だってね。年頃なんだからね!」

「おいおい。もう22歳だろ? どこが年頃なんだか」


「ロナウド。……あなた、いっぺん死にたいみたいね」


 セシルが魔力を放出させ、周りの気温を下げて威圧する。あわてたロナウドは強引にフリージアの手を引きながら出口に向かっていった。


ロナウドは「あ、あの……」というフリージアを無視して、

「じゃ、俺、フリージアを修道院に連れて行って、そのまま買い物に行ってくるから!」

と、ギルドから飛び出していった。


 それを見送るセシルは苦笑いしている。あれもロナウドのづかいだとわかっている。


 ロナウドはいっつもそう。

 勝手に気をつかって、私が悩みをみずから打ち明けるのを待っているのよ。


 ロナウドの優しさにセシルの胸は温かくなった。……まったくもう。あいつったら。


「フリージアまで連れて行って……。帰ってきたらお仕置きよ」

 出ていった扉に向かって、セシルはべーっと舌を出すのだった。


 フリージアの修道院にはもう話を通してあるから、セシルがいなくても大丈夫だろう。

 あそこは孤児も多いし、いつも報酬の一割を寄付していることもあり、セシルの申し出を快く受け入れてくれた。

 冒険の旅に彼女フリージアを連れて行くことはできないけれど、あそこなら安心できる。後は彼女の意思次第だ。



◇◇◇◇

 ギルドを出たセシルはまっすぐに家に向かっている。

 この国もそろそろ夏に入るころで、日差しは随分と強くなっていた。身につけているケープは魔法の品で、わずかな魔力を通すだけである程度の気温調節が可能な代物だ。

 色も白なので、ギラギラした日差しを防ぐのにも役に立っている。


 ――さてと。


 どこまでも青い空を見上げて、セシルは考え込んでしまった。


 あの手配書。まず見つかることはないと思うが、今ごろ手配されている理由はなんだろう?

 このまま放置していて大丈夫だろうか?

 ロナウドに迷惑をかけてしまわないだろうか?

 ……なにしろ相手はあの女ライラなのかも知れないのだ。


 不安が次から次へと鎌首をもたげてセシルの心に覆いかぶさってくる。

 思考の迷路をグルグルとさまよい続けているうちに、気がついたら家にたどり着いていた。


 今までロナウドと2人暮らしをしてきたこの家。

 寝室はもちろん別だけど、力仕事はロナウドが、家事はセシルと分担してきており、はためには若夫婦にみえるらしかった。


 ……なにか体を動かしていた方がいいかな。


 考えが行き詰まったときには、一度、体を動かした方がいい解決法アイディアが思い浮かぶものだ。

 早速、セシルは掃除用具を取り出して、キッチンから大掃除をはじめた。


 食器を棚からすべて出して、棚を拭いてから順番にしまう。2人旅、そして2人暮らしとなったから、大皿のほかにペアの食器ばかりが出てくる。


 まだオルドレイクがいたころからも同じ天幕で寝ることもあったけれど、そういう関係を迫られたことはない。だからセシルはいまだに純潔の身だ。

 22歳になった今、貴族の感覚なら完全に嫁に行き遅れ。あせる気持ちがなくはない。


 冒険者になってからセシルに言い寄ってくる男もいたけれど、付き合う気にもならず。

 一方で、ロナウドに言い寄る女性もいるにはいたけれど、彼女たちをロナウドが受け入れることはただの一度もなかった。


 いつだったか、「もてるじゃない」ってからかったら、嫌そうに顔をしかめて首にかけているペンダントのロケットをそっと握っていた。


 ロケットペンダントの君。

 なんでもロナウドには心に決めた人。自分の剣を捧げると誓った人がいるらしい。


 ――じゃあ、私のことはいいから、その女性ひとのところにいけばいいじゃない。


 ちくりとした胸の痛みを顔に出さないようにして、そうすすめると、


 ――いいんだ。いわば俺の自己満足でもあるし、その女性ひとに見返りを求めているわけじゃない。


 ロナウドは首を横に振るだけだった。



 その返事を聞いたときは、まだ一緒にいられる、そう内心で安心しつつも、いつまでもロケットの中の姿すがたすら見せてくれないから、なんとなくうらめしく思っている。


 いったいロナウドの想い人はどういう女性なのだろう? けれど、知るのが怖くて追求はしていなかった。



 ……そういえばロナウドったら、前にビキニ・アーマーの女性に迫られて挙動不審になっていたっけ。さすがにランクSになると色々な誘惑があったものだ。


 あの照れた困り顔になんとなくムカムカしたから、間抜けに開いている口に熱々のからげを突っ込んでやったら、目を白黒させていたっけ。あの顔はけつさくだった。顔を真っ赤にしてゴホゴホと吹き出して……。


 色々と思い出すと笑いがこみ上げてきて、いつしか鼻歌をうたいながら掃除をしていた。




 キッチンがおわり、トイレ、水浴び場、階段、廊下と掃除をして、やがて裏庭に出た。


 鍛錬に使うこともある裏庭には、木製の人形や弓矢や魔法の的が置いてある。

 剣が傷むので、鍛錬の時は同じ重さの木剣を利用しているらしいが、それでもなお人形には切り傷が刻み込まれている。ロナウドの剣筋がとても鋭いせいだろう。


 普段のロナウドの武器はミスリルの剣だ。何でもオルドレイクからもらったものらしい。

 魔法剣の練習の際にはセシルが魔法防御を人形に施し、逆にセシルの近接戦の訓練にはロナウドが相手になったりした。


 ロナウドは自らの剣に満足していないようで、朝早くから素振りをするのが日課となっている。セシルはその姿を二階の寝室の窓から見下ろすのが好きだった。


 汗まみれになりながらも一心不乱に木剣を振るロナウド。

 縦横無尽に木剣を繰るその姿は、生命の鼓動に満ちたたくましい美しさがあった。


 薄暗い朝の光のなか、ロナウドの身体から湯気が立つ。ズサッと空を切る音。地面を踏み込み、ハッと短い吐息の音。

 見ているうちにいつの間にか、その独特のリズムを窓の木枠に指でトントンと叩いていたものだ。


 訓練が終わる頃にタオルと冷水をもって行き、ロナウドが水浴び場で汗を流している間に朝食を作る。


 そんな生活ももう2年がすぎた。

 ……このまま2人だけの時間がつづくのも悪くないわ。

 今なら素直にそう思える。


 思い出に浸りながらも掃除をしていると、不意にドアが開く音が聞こえた。

 あわてて振り返ると、ロナウドがワインを手に立っていた。


「ただいま」

「……おかえり」


 言葉少なに返事をするセシルに、

「聞かせてくれ」

と言うロナウド。それだけでセシルにはロナウドが何を言いたいのかわかる。逆もまたしかり。セシルが思い悩んでいることをわかってくれている。


 手早く片付けを済ませてキッチンのテーブルに向かい合って座った。


「長くなるわよ」「わかってる」


 グラスに注がれる赤ワインを見ながらセシルは思った。

 ――まだ外は明るいけどたまにはこういう日があってもいいわね。特に秘密を告白するときには。


 ワインのグラスを手に、セシルはゆっくりと口を開いた。


「私はね。本当は商家の娘じゃないのよ。私の父は、元マナス王国宰相グレイ・スタンフォード公爵。……手配書にあったセシリア・スタンフォードは、私なの」

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