第4話 SU 家からも離縁され


 会場を追い出されたセシリアは、強制的に王都の屋敷に戻らされた。心配する使用人たちに一人にさせてくれといって自室にこもり、大きなクッションを抱えて部屋のすみですすり泣きつづける。


 ――悔しい。どうして信じてくれないんだろう。なぜ? 私は何もしていないのに。


 暗がりのなか、声を殺して泣き続けているうちに疲れてぼうっとしてきたが、頭は少しずつ冷静になってくる。


 顔を上げると暗くなった部屋のなかに、月の光がそっと射し込んでいた。いつもと変わらないはずの月の光が、今日は妙に寂しげに感じられた。


 ……これが単なる悪夢だったら。目が覚めたらいつもどおりの朝が来るといいのに。


 そう願いつつもそれが叶わないことはわかっていた。


 だけど――。


「やっぱりこんなのおかしいわ」


 お父さまとお母さまがきっと何とかしてくれる。

 宰相として王国を支えてきた父。そして、母も貴婦人ネットワークの中枢にいる。

 愛する父と母に迷惑をかけてしまうのは心苦しいが、きちんと調べればセシリアの仕業ではないとわかるはずだ。



 泣いてれぼったくなった目でぼうっと月の光を見ているとと、ここに近づいてくる複数の足音が聞こえてきた。部屋の前にきた音はピタッと止まり、勢いよくドアが開かれる。

 そこに立っていたのは弟のスチュアートと5人の騎士だった。


 ノックもなく入ってきた弟たちに、セシリアはあわてて立ち上がって涙の跡をぬぐった。


 スチュアートは口角を上げて、セシリアに非情な処罰を宣告した。

「国王陛下のさいだんです。姉上は貴族籍はくだつのうえ、国外追放となりました」


 セシリアの頭のなかは真っ白になった。


 え? 貴族籍剥奪? 国外追放?

 そ、そんな……。なんで……。


 王太子殿下のきゆうだんはまったくの作り話なのよ。なぜ追放されないといけないの?

 私は何もしていないのに……。


 目の前の光景が現実味のない、どこか遠い世界の出来事のように感じられていく。ふっとあしから力が抜けて、すとんとその場にへたり込んでしまった。


 もうなにも考えられない。――なにも考えたくない。



 廊下からの逆光で影になったスチュアートの顔が、まるで地獄への案内人である亡霊のように見える。


 セシリアはうつむいて両手で口をおさえる。身体がワナワナと震えはじめた。



 そのとき、新しい人影が部屋に飛び込んできた。顔を上げると母のメアリーだった。


「スチュアート! やめなさい! セシリアは何も悪くありません! あのライラとかいう小娘の言葉に惑わされてはいけません!」


 そういってメアリーはセシリアを守るように弟の前に立ちはだかっている。


「それに貴方は姉を信じられないというのですか! 武装した騎士など連れて。恥を知りなさい!」


 母が来てくれた。

 ほっとしたセシリアだったが、スチュアートは薄ら笑いを浮かべている。


「母上。残念ですが、父上も宰相の任を外されました。……なんでも小麦の価格操作をして不当に暴利をむさぼっていたそうですね。他にも塩や鉄鉱石もですか」


「愚か者! それは無造作にばくだいな量を流通させては市場が崩壊するからです。そんなことも……」


「危うくスタンフォード家もお取りつぶしになるところでしたよ。父上は今は取り調べで牢屋に入っていますが、母上と一緒に隠居となるでしょう。それもこれも、王太子アラン殿下の側近である私が当主となることで許されたんですよ」


「なんですって!」

「おい! お前たち! 母上をていちように自分の部屋にお連れしろ!」


 2人の騎士がメアリーの両腕を取って強引に部屋から連れ出していく。抵抗むなしくメアリーは娘の名前を叫びつづけている。

「離しなさい。この無礼者! ま、まちなさい! セシリア! セシリアぁぁ!」



 母が連れられていくのを、セシリアは呆然と見ているしかできなかった。


 スチュアートがセシリアの顔をのぞきこみニッコリと笑みを浮かべる。

「さあ、お姉様。貴女をスタンフォード家からも勘当いたします。以後、スタンフォードの名前は名乗らないように。……まあ、無事に生きていられればの話ですがね」


 3人の騎士がセシリアを囲み、その腕をつかんで部屋から連れ出していこうとする。必死で抵抗するセシリアの叫び声が屋敷に響きわたった。


「い、いやぁぁぁぁぁ」


 廊下にいた執事や侍女たちが、悔しそうに痛ましげに涙を流しながらそれを見ていた。



◇◇◇◇

 メアリーは忙しなく自分の部屋の中を行ったり来たりしていた。


「あの小娘ライラ! まさかここまで手が早いとは。事前に計画をしていたってわけね。……とにかくあの子を助けないと」


 そうつぶやくとひそかに呼んでおいた執事長に、

「すぐにクリス商会の者を連れてきなさい。いいですか。スチュアートに見つからないようにここまで連れてくるのです」

と命じた。「はっ」と短く返事をして執事長が部屋を出て行く。



 メアリーはクローゼットから紋章のついた細長い木箱を取り出した。


 ふたを開けるとビロードの台座に1本の魔法杖と一冊の古い日記が鎮座している。

 空間拡張の魔導具である小さなポーチにその杖と日記を収納すると、そっと目を閉じた。


 ……遥かなる始祖ライナード様、聖女マリア様。どうかあの子をお救い下さい。



 再び目を開けたメアリーは窓の外の月を見上げる。満月の優しい光が暗闇に包まれた世界を照らし出している。

 まるで時の止まったような影絵の世界。けれど、世界のすべてが神の愛に包まれているようにも感じられる。



 ……そうね。

 セシリアは私たちの子。きっとどこででも強く生きていけるはず。それを信じましょう。

 今はそれより――、あの子のためにしてあげられることを。



 気を取り直したメアリーは次々に引き出しの中のものをポーチに入れていく。

「あとは、私の宝石も必要となるか……」





 そのころ、屋敷の外では一台の護送用馬車がすでにスタンバイしていた。荷台には鉄製のがんじようおりが載っている。


 暴れるセシリアの肩と腕をつかんだ騎士たちが、強引に檻に押し込んでカギをかける。


 セシリアは鉄格子に取りすがって叫んだ。

「スチュアート! 私は無実よ!」


 けれども、見送りに来たスチュアートは冷ややかな笑みを浮かべて首を横に振る。


「さあ! もう連れて行け」


 そう命じると、立派な鎧を着た騎士が一礼して馬に乗り、護送車の先頭についた。


「どうか信じて!」

 必死に叫び続けるセシリアをよそに馬車が出発する。「ああぁぁぁ」



 セシリアの目に、幼い頃から過ごしてきた屋敷が遠ざかっていく。父と母とに見守られて、18年間を過ごしてきた屋敷。皆に愛され、幸せだった生活が遠ざかっていく。


 やがて馬車は森の道へ入り、真っ暗闇に飲みこまれた。急に強くなった風に、黒々とした枝が幽鬼のようにゆらゆらと踊っている。

 出口のない道。今、逃れられない運命がセシリアを地の底へといざなおうとしているかのようだ。


 ああ、さようなら。お父さま。お母さま。

 ……愛する人々。幸せな日々。


 セシリアは涙を流しながら、いつまでも屋敷の方角を見つめていた。

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