第1幕 セシリアの追放

第3話 SU 婚約破棄


 時は5年前にさかのぼる。

 ランプの灯る回廊を、ドレスに身を包んだ一人の令嬢が走っていた。セシリア・スタンフォードである。



 ――うそ! うそ、うそうそ!


 今日はマナス王国にある王立学園の卒業式である。セシリアたち卒業生は、王城の大広間で開かれる舞踏会に参加することになっていた。



 ――なぜ? なぜなの?


 なぜ迎えに来て下さらないの? アラン様……。



 セシリアは待っていたのだ。自邸で。婚約者である王太子アランが来るのを。


 2人の婚約は国王から求められて結ばれたもの。

 宰相を務める父グレイ・スタンフォードの娘として、また将来の王妃として恥じぬよう、セシリアは幼い頃から厳しく育てられてきた。

 学園を卒業したらほどなく登城し、アランとともに国政や奥向きの事を本格的に学び始める予定になっている。


 一般に貴族の婚約は早い。それもあってか今日の舞踏会では、令嬢たちは婚約者のエスコートで入場する決まりだ。

 ……しかし、いつまで経ってもアランは屋敷に来なかったのである。


 刻一刻と開宴時間が迫るたびに、執事や侍女は焦りをあらわにしていく。セシリア自身も平静を装いながらも、内心ではじりじりと嫌な予感が高まっていくのを感じていた。



 前方に会場の扉が見えてきた。足をゆるめると、併走していた侍女が器用に崩れた化粧をなおしていく。


 ――王太子アランには別に思いを寄せる女性がいる。


 セシリアは学園でのうわさを思い出し、嫌な空気が自分の周りにただよっているのをひしひしと感じていた。


 まさか。……まさかですよね。


 噂の女性はグレイツ商会の一人娘、ライラだ。


 平民でも実力があれば学園に入ることができる。ライラは試験をくぐり抜けて入園し、さらに3年間、ずっと学年3位の好成績を残していた。

 誰もがはっとするような美貌の持ち主とあって、男子生徒から注目されていたようだ。


 学園では、学生同士は平等の建前がある。けれども、現実には実家の爵位にあわせて礼節が守られる。

 その学園内で、ライラはずけずけと貴族の子弟にもフレンドリーに振るまっていた。……男子生徒限定ではあるが。その接し方は、多くの人に異様な光景として見えていた。


 それを不快に思った女子生徒から注意や嫌がらせもあったようだが、それは却って男子生徒の同情を生むことになっていたらしい。

 特にライラは、どうしたわけか高位貴族の子弟に気に入られていた。王太子アランの側近候補たちである。

もちろん彼らにはすでに婚約者がいる。そのためにライラは、その婚約者の令嬢たちから何度も厳しい注意を受けていたようだ。


 しかもライラは王太子アランにもベタベタと甘えていた。アランは最初こそ顔をしかめたが、いつの間にか取り巻きの一人としていたようだ。

 けれどセシリアは一度はライラに注意こそしたものの、それ以降は遠くから様子を眺めるにとどめていた。


 理由は将来の王妃として、平等の規則を守るとともに王太子アランにも庶民の考え方を知ってもらう良い機会と考えていたからだ。

 アランはやがて王となるのだ。今しか、民衆の考え方に触れる期間はないのだから。


 その一方で、自らのきょうとして学年1位の座は守り通し、時には貴族・庶民問わずに悩みを抱える女子生徒の相談に乗ったり、王太子アランに女子生徒たちの反発が向かないように心を配っていた。


 もちろん、セシリア自身は王太子と仲が悪いわけではない。もちろん良いわけでもなかったが、もともと目的があっての政略結婚である。学園を卒業してからゆっくりと仲を深めれば良い。どうせ王城で一緒に過ごすことも多くなるのだから。

 そう思っていたのが裏目に出たようだ。



 楽団の奏でる緩やかな曲と、人々のさざめく声が聞こえる。


 ひとつ深呼吸をして気合いを入れ直して、中に入ろうとした時、セシリアの目に一番見たくなかった光景が飛び込んできた。


 ダンスフロアの中心。

 アランとライラがあたかも恋人同士であるかのように見つめ合って踊っている。


 ――ああ! そんな……。アラン様。


 目の前が暗くなっていく。もはや演奏されている曲も聞こえなかった。


 セシリアは、よろよろと無意識のうちに中央で踊る2人の元へ歩いて行く。その姿に気がついた人々がすっと道を譲っていき、セシリアの前に王太子のもとへ続く通路ができた。


 異様な空気に楽団の演奏が途中で止まり、ダンスを踊っていたアランとライラも戸惑いながらも立ち止まった。

 ライラはセシリアに気がつくと、怯えた様子でアランの背中にあわてて隠れる。そのライラを守るように、王太子がセシリアの方に向き直ると、その両脇を王太子の友人たちが陣取った。


 アランが忌々しげにセシリアを見据えている。


「……よくもこのような場におめおめと顔を出せたな」


 初めからなじるような厳しい口調。しかし、セシリアは平静を装いつつアランに対峙する。


「殿下。それは一体なんのことでしょうか? 私はずっとお待ちしておりましたのに」


 王太子は怒気もあらわにセシリアを指さした。


「とぼけるのか? ならばここをお前の断罪の場としよう!」


 断罪の場?

 いぶかしく思いながらも、ライラから視線を感じる。その眼に一片のおびえの色はなく、むしろどこかどす黒い感情を宿しているように見える。その冷たい視線に思わず背筋が凍りつくようにぞっとした。


「お前は、私の婚約者の立場を利用して女子生徒を扇動し、このライラをいじめていた。……階段から突き落として殺そうとまでしたではないか」


 王太子の言葉が理解できるまで時間がかかった。


 私がいじめを?

 それも殺そうとまで?

 そんなこと――、するわけがないわ。


「殿下。それは何かの間違いです。そのようなことをしておりません。婚約者のいる貴族の方もいるのだから、あまりベタベタしないようにと注意をした覚えはございますが、それは一度きりでいじめではありません。きっと何かの間違え――」


 しかし、セシリアの弁明は途中で遮られた。

「言い逃れをするな! 証拠は挙がっているんだ!」


 王太子がそう怒鳴ると、取り巻きの一人が3人の女子生徒をつれてやってきた。

 あれは……。

 お茶会で見かけた顔ではあるものの、ほとんど会話を交わしたこともない生徒たちだ。


 王太子が女子生徒にうながすと、ふるえる声でおびえながら証言をはじめた。

「わ、私はセシリア様の命令で、ライラ様の教科書を隠しました」

「……わ、私も命令でわざと紅茶をかけました」

「……私もです」


 しかし、そう言われてもセシリアには身に覚えはない。注意深く見ていると、証言をした女子生徒たちはライラの視線をひどく気にしているようだ。

 そういうこと。……おどされているのね。


 おそらく彼女らは本当にいじめをしたにちがいない。けれども、それを逆手に取られ、脅されているのだろう。もしこの推測が真実なら、あのライラという女性はなんてこうかつな性格なのだろう。


 さらに取り巻きの一人が1枚のハンカチを取り出して、王太子に手渡した。

 王太子がハンカチにしゆうされた名前を見えるようにかかげ、


「このハンカチは、ライラが階段から突き落とされた時に落ちていたものだ。……持ち主の名前が刺繍されている。セシリア・スタンフォードとな!」


 途端に人々のざわめき声が大きくなった。


 しかし、セシリアは静かにアランの目を見続けた。

 ――私は無実。何も後ろめたいことはない。ですから信じてください、殿下。


 そう祈りつつも、セシリアは弁明を始める。


「殿下。そもそも、婚約者のいる女性にとって、自分の婚約者に近寄る女性を邪険に思うのは当然のことではありませんか? もう一度、申し上げましょう。私はそちらの女子生徒たちに命令をしたことは一度もありません。


 そして、階段の件もまったく身に覚えのないことです。なぜそのようなところに私のハンカチが落ちていたのかわかりませんが、もし私がそこにいたのならば、すぐにライラさんを医務室に連れて行ったことでしょう。……やはりなにかの間違いではないでしょうか。

 私は常に侍女と行動しておりますから、嘘だと仰るのでしたら教えて下さい。いつ、どこの階段でのことなのかを。すぐに確認しますから」


 しかし、セシリアの態度は王太子を逆上させるだけだった。


「……まだ認めぬというのか!」


 怒気に赤らんだアランの狂気じみた表情に、思わずビクッと身体が震えてしまった。まるで背中に氷の針金を差し込まれたような気分だ。


 そこへライラが、唐突に、

「アラン様。どうかお慈悲を! セシリア様があのようにおしゃっているのですから、きっとそうなのでしょう」

とセシリアをかばいながらも、まるで恋人のように王太子の手に取りすがった。


 王太子は、いたわるようにライラを押しとどめると、

「見ろ。貴様はこのように健気なライラを殺そうとしたのだ。貴様のような女は私の婚約者にふさわしくない。ここに婚約破棄を宣言する!」


 ガツンと頭を殴られたような衝撃が、セシリアを襲った。


 今なんと? 婚約破棄……ですって?


 セシリアが右手を胸に当てて必死に訴える。

「で、殿下! 信じて下さい! 私は――」


 しかし突然、数人の騎士に襲われてセシリアは床に押さえこまれてしまった。

 驚いた周りの女性たちが驚きの声を上げる。たちまちにそうぜんとする会場に、外に待機していた警固の騎士たちも次々に飛び込んでくる。その指示を出しているのは弟だった。


 きしむ身体からだの痛みをこらえつつ、セシリアは王太子を見上げた。

「で、殿下。私は、何もしておりません」


 ……なぜ、なぜ信じてくださらないのですか! お願い! 信じて!


 王太子はセシリアを見下ろすと、フンと鼻を鳴らし「さっさと連れて行け」と命じた。


「で、殿下! どうか信じて下さい! 私は! あああぁぁぁ!」


と叫ぶセシリアだったが、騎士たちによって強制的に会場から連れ出されていった。

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