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その女性も先生も、犬を飼っていて
叔母さんの犬は、二年前に手術をし、この間安らかに息をひきとった
そんな事を喋っている
その話を聞いている時は 自分の猫も術後で
思い浮かべたら泣きそうになった
叔母さんは 深々と頭を下げて
(あの時はありがとうございました)と、感謝していた
その病気の時の内容も、笑いながらも話していた
誤って、犬がブドウを二房 食べてしまい 助かる見込みは半分以下だったらしい
帰り際は雰囲気も悲しそうになった所で
先生が叔母さんに
(落ち込みすぎないでね?)と伝えた
叔母さんはもう一度、今度は軽く頭を下げて出ていった
正直、聞いている間、自分と姉だけの二人ではあったけれど
叔母さんが笑いながら話すのを良くは思えなかった。。
少し悲しくなったせいで、火照った顔を冷まそうと
外に出ると
さっきの叔母さんが 涙を拭いている姿を目の当たりにしてしまい
私はそっと部屋に戻った
先生を見て思った
解っていたんだと。。何人もそうゆう人の相手をしていると思うと
辛いだろうと思う。。
手術から入院中の二週間の間、殆どお見舞いや、話し合いで、この病院へ通っていた
そして、色々な病気になった動物と、その飼い主をみた
そして思った。。動物も強くない時もある
免疫が落ちるときもあるし、改めて病気になったら死を覚悟した顔をするんだと
その死相を、私は自分の猫が病気の時に目の当たりにして知っている。。
ミニチュアダックスの彼も、飼い主に抱かれながらそんな表情をしている。。
だから、病院に連れていくことは、健康体でも必要だ
人間は経験をすれば、覚えるというのであれば
病院に行き、悲しい気持ちと、苦しむ他の動物や飼い主を見れば
連れていく大切に気付く
結果を聞いて、安心と、罪悪感のどちらも経験し
ペットに対して 関わりかたを覚えると思う
全部を動物に合わせる必要もない、躾や適度な我慢も必要だから
けれど、人は一度 動物に妥協をしてしまうと
大丈夫とごめんねの 回数は増え、その間隔は短くなり
当たり前になってしまう
その結果。。いざと言うときの切り捨てる対象を動物にし
その動物達は。。今もどこかでさ迷うか、飼い主を待ち続けているのだろう。。
だからこそ、妥協したとき、何かを終えた後は、罪悪感を思い出して可愛がってあげる
我慢をさせるときに、最近こうゆうことも多いかもと、考え直し
自分が我慢してあげれるものなら、今回は止めておこう
そうゆう気持ちを、ふと考える事が大切だと
そして、それは病院に行かなければ解らないことだと思う。。
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