第55話 満ちたる刻



       ◇ ◇ ◇



 エルヴァニア城で催された晩餐会。その優美でひと波乱あった騒がしいしらべを語るには、エルヴァニアの遥か西方に位置するこの場所は遠く、更には似つかわしくもないだろう。


 夜空の分厚い雲は、月光浴を楽しみしていた動物達を不機嫌にさせる。

 その動物達が息を殺し生を営む土地は、連なる山脈もほど近い。


――ラス皇国領、山岳都市イーズ。


 一処ひとつところの皇帝はこの地に築く城の私室にいた。


 皇帝ラスは、その見栄えに相応しい豪奢な椅子に深く腰掛け、静かな時に身を委ねる。

 主のひと時の眠りへの配慮か、明かりを抑えた部屋は薄暗く静寂に包まれる。


――ただし、物静かさには物騒がある。


 音もなく、そして無断で皇帝の私室に侵入した者がいた。

 皇帝の側で控えていた二人の近衛騎士が相対するその不審な者は、半身をミスト黒き霧で覆う隻腕朱眼の男。


 近衛騎士の一人、重厚な鎧にまるまる身を包む大きな男は、皇帝ラスへの危害が及ばぬようにと朱眼が見る先の壁となる。

 もう一人の身軽な騎士装束の尻尾を待つ女は、手にするスピアー突槍で既に侵入者へ攻撃を仕掛けていた。

 風を切る音すらも許さない正確無比の鋭い点の一突き。

 だがしかし、それでも男の喉元を貫くには至らなかった。


 隻腕の男の唯一の腕によって、尖る先端が防がれる。

 それは【アカツキ】を纏う槍を、同じ光を纏う男の手が掴み取る光景であった。


「よい、下がれ」


 短くも張りのあった声は、若い男を頭に描かせる。

 皇帝ラスの指示に槍を収めた女は、男の近衛騎士とともにこうべを垂れると、速やかにその身を奥へと移し控える。


「現世に還った虚騎士ロキか。ここに現れるという事は、どうやら、ゾルグが討たれた話はまこととなるか……」


 椅子に腰掛けたまま、ラスは言う。

 目元に作る影から彫りの深さをうかがえるが、人の”祖種オリジス”|たる面立ちは、暗闇に遮られはっきりとしない。


「皇帝ラスよ――。なんじが進まんとする道は、暁の騎士が立ちはだかる道。それでも、汝はその愚挙に邁進するつもりか」


「くく。虚ろに身をやつした者が言えば面白くもある」


 虚騎士からの投げ掛けに、ラスは笑うようだ。


「皇国は何者にも阻まれる事なく、その覇道を成す。たとえ貴公のような者が相手だろうとな。皇国に揺らぎは訪れぬ」


 淀みがなく自信に溢れた言葉。

 それを脅かすような、虚騎士の男のおもむろな歩み。

 隻腕に纏う光が、周りの暗がりを払うように一段と輝く。


「揺らがぬとならば、――我はその覇道のしるべとなろう」


「ほう……。現世と還れば、の者らように器に従うこともない。それでも、私に従うのか」


「――従うのではない。道理が重なるのだ。世界は新たな暁の灯火を望む。暁騎士の淘汰は然るべき世界の道――」


 それだけを告げれば、虚騎士は【アカツキ】の光を消し、部屋を元の暗がりに染めた。

 それからその闇に溶け込むようにして、姿を消え去るのであるが――。


 皇帝ラスと虚騎士。

 彼らの邂逅はどこか歪であるものの機械仕掛けのような感覚を覚えさせた。

 仕組まれた世界の流れ。

 それは大陸全土を巻き込む、大きな戦争が起きる予兆でもあった。

 やはり、争いは繰り返されてしまうのだろうか。

 歴史が物語るように――――。



 大海と大陸と文明があるアスーニ。

 そこには、人類と呼べる種族の者達が集い築き上げた世界があった。

 そして、古き時より続く人々の世界はその規模を肥大化させ、いつしか国家を形成するまでに至った。

 繁栄ととも歩んだ人類の軌跡。

 その数千年にも及ぶ長き時間をひもとけば、そこに人々の争いを垣間見ることができる。

 大陸はいつの時代も戦火を物語る。

 歴史から学ぶのであれば、世界の混沌たる時代は幾度となく繰り返されるもののようであった。

 しかしその歴史には、世界に秩序を説く暁騎士〈オーガ〉の名も繰り返し刻まれている。



 ゆえに――。


 暁の騎士〈オーガ〉の名は、リアン達の時代にも刻まれるだろう。

 ただし、その影に虚の騎士〈ロキ〉の名を隠すようでもあった。







    ―――― Ogreval of the Dawn I ――――


              了


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