第40話 ガウ



 額に掛かる長さのふわりとした銀の頭髪に、糸筋の細い目つき。

 旧知の仲であるシャルテを迎えたこともあってか、表情は穏やかに見える。

 それでも、どこか仮面のような上辺だけを見せられている顔だろうか。

 シャルテとそう大差のない身長の少年の姿も相まって、彼は掴みどころがない印象を与えてくる。


 色合いは質素であるものの、縫い合わせで下地を見せる細工など丹念に織り込まれた衣。

 腰で巻かれる星屑を思わせる柄の帯。

 ゆったりとした衣の長い丈は、裾を絞るズボンを覆うようにして膝下まで垂れる。

 そして、やはりと言うべきか。

 暁騎士オーガの長、ガウことガウールウ・ガツゥラヌガウは腰の帯にカタナを差す。


「エルヴァニアに到着した。だからシャルはここに訪れた。それで良かったかい」


 静かな声は、人の少年そのものであった。


「白々しい奴じゃの。その意味がなくなったから、監視者クーシーとして報告に来ておる」


 むんず、と歩み出たシャルテ。

 相手といえば、おもむろに背を向け、供物台らしき飾られたそこで香をくゆらす。


「オーガの称号を得るには烙印を返上しなくてはならない。その為の条件、つまり課題を僕らは与えた。目的地をエルヴァニアと定めた試練の旅。ただし、そこには倫果リンカに頼る行いも他者への大きな干渉も禁じた」


「世界を広い視野で学ぶ為、傍観者であること。そういうことであろう」


「そうだね。オーガは世界を導かなければならない。彼と一緒にシャルも傍観者として務めたはずの試練は、彼に正しく世界を知らしめる為のもの」


 少しばかり見開く細い目がシャルテに向く。


「でも、烙印の封は解かれていた。残念だけど、僕らがオーガヴァルにオーガの名を与えることはできない。だから、シャルが幾ら肩入れしてもそれは報われないよ」


「いちいち諭されんでも、どう取り繕うと頭の固いお主らがリアンの行為を許さんことなんぞ百も承知じゃっ」


 ふん、と荒い鼻息。


「ただのう、ガウ。星読みで未来の欠片を見るお前は知っておったはずじゃ。虚騎士ロキの出現を。そして、その事をワシに隠しておったなっ」


 キッ、とシャルテは睨む。

 魔力炉でリアンとともに対峙することなった虚騎士。そのことをあたかも相手が知っていたようにシャルテは話すが。


「僕らが隠しているとするならば、道理が合わない。偽り者はオーガの手に委ねられる。シャルの抱く気持ちは、僕らとの盟約に背いた先にある疑いじゃないのかい」


 相手の分かり易い憤慨に、ガウは涼しい顔で応えた。


「……言いようによってはそうなるやもしれん……がしかし」


「そして、シャルも理解している。僕の星読みは存在したビジョンだ。僕が仮にそれをシャルに伝えようとも変化は起こり得ない」


「そうではあるが、知っておるのと知らんのとでは……なんというか、心持ちが違おうっ」


「予期に眼を曇らせてはいけない。対象者を視る存在のクーシーは、それに見合う眼を持つべきだ」


 ありのままを伝え知らす。

 ガウが望むその役割をまっとうするつもりならば、監視者シャルテの言うところの心持ちは健全ではないといったところか。


「ぬぐう……」


 食って掛かろうとした勢いをみるみる削がれたシャルテが、もどかしそうに唸る。


「……ワシは、昔っからお前のそういうところが嫌いじゃ」


 負け惜しみが吐き捨てられる。

 それからシャルテは俯く顔を上げ、仕切り直すように「それで」とガウに尋ねた。


「シャル。今から十年余り、オーガの里へ連れてきた獣人ジュウトの子、ミラ・クルトゥを思い出しておくといい」


「なんの話をしておる。ワシとリアンはこれからどうすれば良いか聞いておる」


 シャルテは小さな体躯を膨らまし、胸元で腕を組んだ。

 苛立つを告げるような立ち姿を前に、ガウは変わらず微笑みを浮かべている。


「目的地のエルヴァニアを目指すといい」


「……意図が見えんな。エルヴァニアには、試練を達成したリアンが行くことで意味があったはずじゃ。今回エルヴァニアへの加担は、暁騎士としてリアンの存在が民衆を一つにまとめ上げる為のものじゃったからの」


「本来なら。でも、皇国と戦う意思は既に動き出している。彼がオーガである必然性は失われた」


「確かにの。グックには既にエルヴァニアの軍隊がいる。その事からエルヴァニアの民意は皇国との戦いに向いたとみて良いが――ふな!?」


 一瞬であった。

 物音すらも残さずシャルテの視界から、ガウの姿が消えていた。

 諦め顔の真上では、ひらひら銀の蝶が舞う。


「勝手にぬでない……。ガウよ。皇国には虚騎士ロキの影が潜むのではないのか」


 遠く、厳かな鐘の音が鳴る。

 一つの鐘の音が鳴り止めば、蝶の舞いも終わる。

 シャルテの姿もなくなり、人影が失せた空間は、再び粛々たる静けさを醸し出す。







 淡黄色のこぢんまりとした装いの部屋。

 それは丁度、シャルテの目がぱちりと開かれた時であった。


 出入り口の引き開けられた扉の前では、リアンがカタナを抜刀していた。

 刃はたじろぐ大男の喉元へ突きつけられる。


「あー、悪気はなかった。けど、気配を殺して扉の向こうに居られちゃ、こうもなる」


「気にするな。手荒な出迎えだったと、首が繋がってねえと言えねえからな。ついでに、こいつをどかしてくれると嬉しいが」


 ダリーの太い指先が喉元にあるカタナに向けられた。

 リアンがチン、と心地よい音とともに納刀すれば、ソファでも動きがあった。

 シャルテがぴょんと跳ねて、身構える。


「どうして、ここにその者がおる」


「さあ。まだ聞いてないけど。用件――それとも、ここがバレたことのどっちの意味でだ?」


「両方、聞いてみろ」


「と、いうわけだ、ダリー」


 リアンの眼差しがシャルテから側のダリーへするりと移る。


「そんなに疎ましい顔をするな。こっちとしちゃ、いろいろ話があるのは分かるだろ」


「わかるけど、こっちの話もわかるだろ」


「そりゃ、このまま力になってくれるてえのなら、黙って姿をくらませたりしねわな。ま、それはそれとしてよ」


 さほど広くもない部屋へ、遠慮もなく大きな体躯が踏み入る。


「伝言があってな。お前達にとって、悪い話じゃねえものだ。それと、見るからにどうしてトゥの宿に来れたって顔についてだが。お前さん方より俺達のほうが、これからも武器を仕入れたりと、お得意様だからよ」


 相手の警戒を解くような喋りのあとには、に、と並びの悪い歯。


「まったく、はみ出し者達ギャングスとやらは信用を失うことを恐れるのではなかったかのっ」


 シャルテの小言は、リアンに向けてであった。

 呆れるシャルテと頭を掻くリアン。

 その理由は、ダリーの言動が自分達の情報の漏洩を匂わしたからだろう。

 端的に、リアン達は店主から”売られた客”なのである。


「そういうな嬢ちゃん。そこそこ駄賃は要りはしたが、店主にゃ俺達の信用に応えてもらっただけだ」


「ダリー。これ以上シャルテの機嫌を悪くしないでくれ。その店主が心配になる」


 リアンの苦笑。

 それを経てから、ダリーの悪い話ではない伝言が告げられた。

 リアンの笑いから苦さを取り除き、シャルテの溜飲を下げたそれは、グック評議会代表からの飛行船への招待であった。

 出航予定は明日。行き先はエルヴァニア王国フローベル港である。


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