第37話 虚ろ



 シャルテへの信頼がそうさせたのか。それとも自身の肌でそう感じたのか。


――『リアン迷うな。奴は敵じゃ』。


 この言葉は、リアンを即座に動かす。


 静から動。

 一陣の風となってリアンは疾走った。


 突進する先は、悠然ゆうぜんかつ不気味に佇む男。

 そして当然の如く、アカツキをまとう。

 男のだらりと下げる諸手に、皇国将軍ゾルグと同じく暁色の灯火が、ゆらりと点火された。


 瞬きする間もなく――斬撃の間合い。

 打突の構え。そのリアンが横へ移る。

 地を蹴り弾くステップは、相手の追う動作を遅らせる。

 男が朱色の瞳と首を横へ向けた時、更にステップを繰り返したリアンの姿はない。

 既に男の背後へと回っていたリアンは、鋭い突きを放つ。


 男の背骨を穿つ、死角からの一撃。

 が――しかし。カタナは肉も骨も突き刺すことなく空振りとなる。


 男の足元の硬い路面が割れていた。

 リアンと遜色ない瞬時の体捌きが、カタナをかわす。

 それでも男の真横を貫くカタナは、狙う部分を脇腹と変え払うような一閃を描く。

 赤い拳と赤い刀身が交差し、アカツキの火花が上がった。

 それは激しく、そして拍車をかけて繰り返された。


「――烙印の騎士よ。良き太刀筋だが、その輝きに恐怖が混じっているぞ」


 呼吸も許されない程に切迫した攻防の最中、微笑みすら浮かべて男は言う。

 朱色の瞳が鈍く光れば、リアンが叩きつけるような一撃を放つと同時に後ろへ跳躍、男からその身を離す。

 そこにあった剣士の顔は岩のように硬い。

 男が指摘する恐怖によるものか定かではないが、剣の道を歩む者ならリアンが見せた表情の厳しさをより分かりうるだろうか。


 カタナによる連撃の中には、相手を仕留める斬撃があった。

 リアンは”朱眼しゅがん”の男を、ゾルグを切り伏せたそれを以ってしても斬れない。

 自分の実力――リアンにとって拮抗きっこうしたアカツキの高さは、身も心も硬くする脅威に他ならない。


 ゆえに、油断ないそこに迫った男の影が、リアンに実力差を思い知らしめたことだろう。

 確実に間合いを切った相手。

 その相手が難なく、剣戟けんげきの間合いの更に奥深く、拳闘の間合いへと踏み入った。

 朱眼の男の上背のある肉体が覆い被さる。

 リアンの腕をたたむようにして切り上げた斬撃は届かず。そして退くことも叶わず。


 アカツキが揺らめく刀身を、同じくアカツキを纏う手の指先が挟む。

 親指から三本。指でつまむように押さえつけられている。たったそれだけにもかかわらず、リアンのカタナは微動だにしない。


 動から静へ、強制的に動きを止められたリアン。その口が大きく開く。


「シャルテっ、俺に構うなっ」


「元からそのつもりじゃっ。かつかつの包魔力ニルバ――次はないっ。どうにか勝機を見出だせっ」


 リアンと朱眼の男から距離を置くシャルテが両手を突き出す。

 その所作に反応を示すのは上空。


 天を焦がさんばかりに、無数に浮かぶ炎の槍。

 ゾルグの時に見た光景からすれば、倍以上の数で上空を埋め尽くし赤く染めた。

 そうしてシャルテの魔術は、男の頭上目掛けて降り注ぐはずであったろう。


 朱眼の男が空く方の手を真上へかざす。

 シュン、シュンと炎の槍が落下を始めたところに、指先から放出された暁色の閃光。

 五本の細い光の線が昇れば、光はムチのようにしなりうねる。

 男のアカツキが、すべての炎の槍を一瞬にして消滅させた。

 またそれだけに留まらず、意思を持つかのように動く閃光は標的をシャルテへと変えたのだった。


「まずは、己の無力を知れ」


 男の言葉に、リアンの膝が沈む。

 男の右手はカタナを押さえ込んだまま、リアンに片膝をつかせた。

 一方の左手は、そこから伸びるアカツキにてシャルテを掴み全身を縛る。

 植物のつるのような五本の赤い光の束。

 男の質量ある光の蔓が、シャルテの細い首に巻き付き絡みつく。


「――あの者の存在は我の干渉の中にある」


 男の左肩が上がれば、シャルテが光の蔓に持ち上げられた。

 首に巻き付くアカツキを引きちぎることもできず、為されるがままの小柄な体躯は足をバタつかせるのがやっとのようであるが。


「リアン、よく聞けっ。ワシがどうなろうと決して憎しみは抱くな。お前はそやつを倒すことだけを――ぐぬっ」


 シャルテが更に高く持ち上げられる。


「お前なら理解できるはずだ。我の意思一つでその存在が一瞬で消え去る」


 男の低い声は、焦燥感をあおるようにしてリアンを狼狽うろたえさせた。


「やめろっ、頼む、やめてくれっ」


「――この程度で、倫果リンカの大きな揺らぎを見せるとは。未熟なものだ。しかし、その揺らぎは正しい」


 ぱ、と刀身を挟んでいた指先が開かれた。

 その手がリアンの顔の前で、広げられた。

 すう、とカタナの切っ先が下がり地面へ触れる。


「俺の中を――中に触れるな。あんたは……、お前はなんなんだっ。オーガのアカツキを使うくせに……お前のは酷くざわつく」


 リアンは片膝をついた状態から動かない。

 ただただ苦しむ表情で、何かに抗うように歯を食い縛る。


「烙印の騎士、オーガヴァルよ。我のアカツキを恐れるな。我は友として隣に立つ者だ。なぜなら我はその甲に刻まれた証を受け入れるからだ」


烙印これは、俺は、俺が間違ったからだ……。俺はオーガの教えを守れなかった」


「そうお前は暁の騎士に背いた。しかしそれは誤った教えに反した正しさでもある」


「俺が未熟だから……オーガは正しい……」


「リアンっ、そやつの話に耳を貸すでないっ」


 上方からシャルテが大声を浴びせるも、当のリアンの反応は薄い。

 朱眼の男のてのひら。その一点を見つめる視線が逸れることはなかった。

 普段の輝きをすっかり失うリアンの瞳。


「――遠き昔。アスーニの西の果て。世界を乱すそこで起こった紛争は悪であった。故に暁の騎士は戦った」


 黒い霧状のものを漂わす男の姿は虚ろである。

 しかし、まるで直接頭の中へ語り掛けるような声を、はっきりとリアンに聞かせた。

 逆に――、


「世界の秩序のため……オーガは力を奮った」


 虚ろたるはリアンであろうか。


「我もオーガとして戦おうとした。だが、オーガのおさはそれを許してはくれなかった」


「どうしてだ……」


「その紛争が、我の愛すべき者達を巻き込む戦いだったからだ。オーガの教えは私情で戦うこと禁じている」


 男の答えに、リアンは考えにふけるようにして黙り込む。

 シャルテの呼び声にも反応を示さない――そこに、朱眼の男がその沈黙を破るようにして動く。

 ぐん、と光りのつるが短くなる。

 虚空で縛ばられ浮かぶシャルテが、手繰り寄せられるようにして男の掲げる左手へ。

 アカツキに染まる手は、呼び込んだその細い首を直接握り締めた。


「――オーガの判断は間違いであった。あの戦いで我は家族を失い、憎しみを覚えたのだから」


 見下ろすリアンへ見せつけるかのように、男の左腕が突き出された。

 掴まれる圧力に、苦しみの涙で瞳を滲ませるシャルテ。

 その眼差しが、リアンと重なった。


「リアン……。お前はいつまでも、正しいリアンでいるのじゃぞ」


「シャルテ――」 


 リアンの瞳に輝きが戻った刹那。

 シャルテとを分かつ、暁の閃光が走るのであった。



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