第26話 リアン



 ここからかなり遠いところが俺の生まれ故郷で――。


 リアンの語りはそのような始まりからだった。

 傍らで聞き入るカルデオも知る、シャルテと出会う少しばかり前の子供時代の話。


 豊かとは言えない集落で暮らすリアンの日常は、他所の街へと出向き盗みを働く生活であった。

 腹が空けば食料を盗み、寒い季節が訪れれば暖を取る物資を盗む。

 これは十の齢をやっと越えたリアンのような子供でもできる、日々を送るためのありふれた方法であった。


 頼れる親を戦争で失った子供達は多いが、仕事を手にできる子供達は少ない。

 少年リアンだけが特別ではなかった。

 そして、両親が残してくれた家で暮らせたことは恵まれたことだったと、事も無げにリアンは言った。


「そこで、今の俺と変わらないくらいの姉さんと生活していたんだけど、姉さんは生まれつき身体が弱くて――」


 リアンの姉は病弱であった。

 少年リアンが外へと誘っても、一緒に駆け回ることすらままならないほどに。

 だからリアンは、自分と遊べない弱々しい姉にとても不満だったらしい。

 それでも、いつも優しく、時に叱ってくれる姉が大好きだった。

 食事の時に微笑みかけてくれるその笑顔にとても安らいだ。

 一枚の毛布に一緒に包まり、夜を過ごす時間が待ち遠しくて仕方がなかった。


 リアンはたった一人の肉親でもある姉への想いをそのように吐露した。

 しかしその掛け替えのない姉が、ある日を境に重い病に伏せてしまう。


「大きな病気だったけど、病気は治せるものだった。ただ、それには結構なお金が必要でさ。だから俺は、その時は知らなかったんだけど、はみ出し者達ギャングスの界隈で有名なヤツに手を出した」


 どうにかお金を用意しようと、少年リアンが出した答えは、高価な品物を盗むことだった。

 そこで目をつけたのが、一つで一生分の食料を買えるとても希少な宝石があるらしい絢爛けんらん豪華な邸宅の噂。

 それがあれば、簡単に姉の病気はすぐに治り、もっと楽な生活を送らせてあげられる。リアンは強い決意を胸に宝石を盗むべく邸宅へ忍び込んだ。

 だが、少年リアンが思うよりも、事はそう簡単なものではなかった。

 今までにない警備の厳しさに早々と捕らえられてしまう。


「子供の俺には大人相手にどうしようもなくて、ギャングスの連中に捕まったまま、一晩を冷たい床の上で過ごしたんだ。でも一晩で済んだのは姉さんのお陰だったんだ」


 リアンが一人、薄暗い部屋で泣いていると、ギャングスの大人達に連れられて姉が迎えに来てくれた。

 帰りが遅いリアンを心配しての行動だったのだろうが、無理をして邸宅へ押し掛けたその顔は、苦痛を圧し殺す精一杯の微笑みでしかなかった。

 リアンは姉の様子に心を痛め、もっと涙を流した。

 そしてそれは、長い夜とともにずっと流した涙になった。


 リアンは言う。

 ケジメや見せしめといった言葉が、飛び交っていたのを覚えている。それを姉さんも理解しているようだった――。


 はみ出し者達ギャングスはリアンの姉に制裁を施した。

 裏社会に生きる者達は、他者から見くびられることを嫌う。また彼らは、大切な者が味合う痛みこそが、己が耐える痛みよりも勝ることをよく知る。

 子供のリアンだろうと容赦はされなかった。

 抑えつけられる少年リアンの目の前で、リアンの姉はムチを打たれ、水を掛けられ、一方的な仕打ちに晒された。

 それから夜が明ける前に、リアンらは解放された。

 遅い夜にはなったが、リアンは無事家へと戻ることができたようであったが。


「たぶん、そのことがたたったんだと思う……。姉さんは朝には亡くなっていた。その最後の夜に、姉さんが残してくれた言葉が、正しいリアンで悲しさと戦いなさい、それなんだ……」


 部屋の中、カルデオを背後にリアンはしのぶ。

 それからそのままに、真っ直ぐな背中はこう続ける。


「短い眠りの前、俺は姉さんを酷い目に遭わせた連中への怒りしかなくて、気に留めてもなかったけど……。きっと姉さんは、自分が俺の前からいなくなることを悟っていたんだと思う。もう一緒に夜を過ごしてやれないことを、俺が悲しみに暮れてどうしようもなくなることを心配していたんだと思う」


 リアンが一体どんな気持ちで話していたのか。

 後ろからでは表情もうかがえず、明るくも悲しくも聞こえた声音からも推し量れない。

 しかし振り返ったその張りのある微笑みを見るに、哀傷を刻むカルデオの顔よりも好ましいものであった。


「時間は掛かったけど、俺はその姉さんの言葉のお陰で、自分の悲しさと戦えた。それできっと、姉さんが望む正しいリアンで乗り越えたと思う」


 どこか誇らしげに言って、リアンはいつものように頭を掻く。


「だけど正直、ちょっと変な言い回しの姉さんの言葉だから、未だに考えちゃうんだけどさ。でも……それからの俺は、自分には関係ない悲しさでも胸が苦しくなるようになった。だからそれとも戦おう、そう決めていたんだ。そうすることで正しいリアンでいられるような気がして」


 光を遮るように、す、とかざされた右手。

 深い色の視線が注がれる。


「グックはいいところだ。美味しい魚があって、気持ちいい潮風があって、風情もあるいい街だ。でも俺の胸が苦しくなる時がある」


 かざされた手が握り締められてゆく。

 引き寄せられたその握り拳はリアンの胸元で抱かれる。

 そして、輝きを放つ瞳もそれを伝えてくるようであった。


 拳は決意を。瞳は覚悟を。


「だから俺は、正しいリアンでこの街の悲しさと戦うことにするよ」




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