閑話 おにぎり騒動

 ザッザと米を研ぐ小気味の良い音。

 他にやることもない蛍火と真理亜の二人は、並んで居間の卓に頬杖をつき、真剣な表情で米を研ぐ棕櫚の背中を見ていた。

「ねぇ、マリーちゃんはお料理できるの?」

 はたはたと羽を羽ばたかせながらきらりとした視線を向けた蛍火に、マリーは頰を紅潮させる。

「あんまり……おにぎりくらいなら」

 おにぎりでは料理に入らないだろうかと思いつつも答えれば、蛍火の丸くなった目が見返してきた。

「おにぎり、知らない?」

 真理亜が控えめに確認すると、蛍火はふるふると首を横に振る。

 おにぎりなんて作らないのだろうかと棕櫚を見やれば、彼女の視線に気づいた彼は肩越しに振り返り、そしてすっと視線を明後日の方向に逃がした。

 どうやらおにぎりには問題があるらしい。

 あんなにおいしい白米を炊けるのに、なんてもったいない。

「あの……」

 炊いた米を分けてもらえれば、おにぎりを作れる。

 そう思って彼に声をかけようとした真理亜だったが、蛍火がガタリと膝立ちになる方が早かった。

「ねぇ棕櫚、おにぎり作って!」

 パチンと指を鳴らして「トカゲ」を呼び、点いた火を確認し、たっぷりと間を置いて振り向いた彼の唇はへの字に曲がっており、承諾するような顔には見えなかったが。

「仕方ないなぁ……」

「やったぁー!」

 色々と心配になる返答だった。


 蛍火と二人隠れんぼをしていた真理亜は、棕櫚がなかなか夕飯に呼ばないことを不思議に思い、居間を覗く。

 米は既に炊けているのは、先ほどから漂ってくる良い匂いで気づいていた。そしてそれを裏付けるように、卓の中央に置かれた米櫃には白い米がこんもりと詰められ、もくもくと湯気を立てている。

 棕櫚はその前にどっかりと座り込み、炊き上がった米を手の中に転がしては、べたべたと貼り付かせて悪戦苦闘しているようであった。

 ふと顔を上げた彼は、覗いていた真理亜の存在に気づくと、またも唇をへの字に歪める。

 気まずさにもじもじとしながらも、真理亜は棕櫚の右横にちょこんと腰を下ろした。

「僕さぁ、苦手でさぁ」

 手に貼りついた分歪な形となったおにぎりを皿の上に転がし、今まで見たこともないような憂鬱そうな表情で棕櫚はぼやいた。

「ヒョーガさんがさぁ、あーんな顔して滅多に料理しないくせしてさぁ、おにぎりだけは綺麗な三角形を作るんだよなぁ」

 思い出に浸るように呟く彼の表情は、心的外傷でもあるのかと疑うくらいには苦い。

「はぁ……」

 なんと返していいか分からず、真理亜は手伝うべく土間の流しで手を洗う。濡れた手は拭かずに、皿に転がされていた白米の塊を手に取った。

「あの、水をつけると、貼り付かないです」

 少し形を整えると、平外には及ばないかもしれないが、それなりに見える三角形のおにぎりができあがった。少なくとも真理亜には及第点だ。

 だが、神妙な顔の棕櫚にじっと見つめられていると、どんなに綺麗な形のおにぎりも歪みそうだ。

「あの……三角形が苦手なら、俵型もあります、よ……?」

 どうしようもなく子供じみた不機嫌な沈黙に耐えかねて、真理亜は円柱形のおにぎりを握って見せた。

 への字の口に、眉間の皺が加わった。

「た、俵型じゃあ、やっぱり、駄目ですよね……」

 睨みつけられるような視線が崩れない棕櫚に気圧され、真理亜はたじたじと手を引っ込めた。

 引っ込めたのだが、代わりににゅっと突き出された、真理亜のそれより白く細く小さな手に、彼女は顔を上げる。

「私もおにぎり作るのー!」

 あ、と止める間も無く、その手は未だに湯気の立ち上るお櫃に入れられ、白米をしっかりと握り。

「!!」

 声にならない悲鳴をあげて、それはコロンと背後に転がった。

 いつもふわふわもふもふしていて皆の癒しになっている白い羽も毛が逆立ち、潤んだ丸い目、半開きになった口と共に、蛍火の驚きを表現している。

 口に入ればおいしい白米も、時に非情だ。

「一緒に手、洗おうなー」

 どうしよう、と凍りついた真理亜の前で、への字から元に戻った口が告げ、蛍火をひょいと抱え上げた。

 水道から出る冷たい水に白米の熱を忘れたのか、きゃいのきゃいのとはしゃぎ始める蛍火を見て、真理亜も立ち上がる。

「ケイちゃん、大丈夫……?」

「うん」

 屈託無く笑う表情は、いつも通りだ。火傷なんて大事には至らなかったようで、真理亜はほっと胸を撫でおろした。

「マリーちゃんも手、洗うか?」

「いいえ。……あの」

 蛍火を居間に戻して蛇口を締める棕櫚に、真理亜は問う。

「お茶碗を二つ、借りてもいいですか?」


 蛍火はのりのりで振っていた。振っている腕と同時に、背中の羽もぱたぱたと揺れる。

 彼女が振っている、茶碗に茶碗で蓋をしたその中には、三口分くらいの白米が入っている。

 蛍火に並んで座っている棕櫚は、真理亜に教えられた通り手に水をつけ、三角おにぎりに再挑戦していた。

 神妙な表情で彼が並べるおにぎりは十分に綺麗な形をしていると真理亜は思うのだが、本人は何かが気に入らないらしく、うーんと腕を組んで悩んでいる。

 いつものぼーっとした彼から、この几帳面さは到底想像できない。

「ヒョーガさんが作るとさぁ、定規を使って描いたよーな正三角形が出来上がるんだよなぁ」

 皿の上に立てたおにぎりをつんつんと突いて倒しつつ、棕櫚は独り言ちる。

「どーやったらそんな四角四面なおにぎりができるんだろうって試作してたらさぁ、あの人、型持ってきたんだ」

「型? おにぎりに?」

 おにぎりとは、手で握るからおにぎりなのだ。間違っても型押しするものではない。

「あるらしいんだよ、それが。でも型なんか」

 ぶつぶつと言いながら、棕櫚は再び白米を手に取った。

 面白がって型を渡しただろう平外と、反発して意地を張る棕櫚。想像に難くない。


 見た目だけならば平外の方が若そうに見えるのだが、二人の会話や態度から察するに、平外の方が棕櫚より年齢も立場も上らしい。

 普段はのんびりとした大人な態度を崩さない棕櫚だったが、平外が絡むと地が出るのか、拗ねたりむくれたりと途端に言動が子供っぽくなる。

 それを、恐らく理解した上で煽る平外も平外だ。


 散々茶碗を振って疲れたのか、それとも満足したのか、良い笑顔で蛍火はそれを卓上に置く。

「開けていい? 開けていい?」

「うん、どうぞ」

 待っていましたと、蛍火が上に乗った茶碗をそっと持ち上げる。

 中には丸いおにぎりが一つ、ころんと鎮座していた。

「できた! 食べていい?」

 きらきらと見つめてくる蛍火の視線を受けて、真理亜はどうしようと棕櫚を見上げる。

「あぁ。今おかず持ってくるから、先に食べてな」

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