第3話 軍服の男
今朝は年明けの仕事始めとあっていつもより早めに出勤したのだが、早朝にもかかわらず會社である雑居ビルデングの室の扉には、相談のお客であろうか一人の男が待ち構えていた。
私はすかさず慌てて鍵を開け、部屋の片隅に設けてある待合の席へと案内をすることとなったのだ。
取り敢えず茶を差し上げて、しばらく待てば相談を受ける者が参るとだけ告げて、ひとまず休みの間に溜まっていた新聞や手紙の類を整理し始めることにした。
整理のあと簡単に掃除をしようと思いつき、廊下に出て入口を掃き始めた頃に、相談者で社長でもある伊之助がいつもどおり出社をしてきた。
来客を告げるとわかったとばかりにうなづきそそくさと中に入ってゆく。その姿を見送りながら私は再び入口を掃くこととした。
その合間にも二人ほど客が訪れたので、掃除は諦めて中に入り待ち人のもてなしや、依頼の記帳などの秘書の仕事を始めることになった訳っだのだが。
中では相談を受けているらしい伊之助の大きな声が、待合と相談を隔てる衝立の奥から響いている。
「それで君は、そのまま演習を続けたとゆうのかね?誤射で打ち抜かれた脚を抱えながら」
「ええ、撃たれた脚からは勿論血は流れ続けていたのですが、先ほどの話のように痛みもなく、むしろ高揚感や妙に興奮したものが湧き上がりまして…」
淡々と語る男の話は妙に抑揚が感じられなかった。
「それは実に面妖だ、面妖な事だよ君!実際のところ今はどうなのかね、うん?」
それに比べ伊之助の話声は、いつもどおり大仰で大きなものだとつくづく思う。
「後日、医者に看てはもらったものの…痛みがないことを告げると非常に訝しんで…」
「ふむふむ、それはそうだろうな!そうに違いない!」
「そのうちに…頭の検査とか言い出したのでそれで…それからは…」
男の声はとぎれとぎれで歯切れも悪い。
「なるほどなるほど、頭の悪い医者と云う輩の言いそうなことですな、何かにつけてやれ頭の中の疾患とか流行りのように言いがかりをつける!」
「で?それからずっと…そうなのかね」
「ええ、まあ」
暫しの静寂が続いた。
「ゆり……沢田君!、年末に押収した串を出してきたまえ」
しばらく思案をしていた社長が、不意にこちらに声をかけてきた。
「はい、あの鉄串でよろしいのでしょうか?」
一応間違いがあると面倒なので聞きなおす。
「あの時の事件の串といえばそれしかないだろう、早くしたまえ」
「はい、すいません、直ちに」
慌てて流しへと向かい、棚においてあるはずの其れを探し回ってみる。
ほかしたままの其れを手渡すと、私の見ている前で男に手を差し出すように告げ、おもむろに男の手のひらにずぶりと突き立てた。
「しゃっ、社長!」
驚きで叫んでしまった私。
「大丈夫ですよ、ご心配なくお嬢さん」
青い顔をして大声を上げてしまった私に済まなそうに男が答える。
そんな問答は位にも介さないで社長が問いかけた。
「手のひらを突き破った感覚はあるのかね?」
「ええ、感覚が麻痺してるわけではないのでそれはあります。皮膚を突き破られ冷たいものが肉に筋に刺さってゆく感じはします。その冷たいものと対照的に温かいものが湧き出て流れ出る、多分この流れ出て止まることのない血のことだと思うのですが、確かに感覚だけはあります」
「先程の話のように、高揚感はあるのかね」
「…まことの気持ちを言えば、このままぐりぐりと抉ってもらいたいと」
「こんな感じかね」
手のひらを貫通してる串を容赦なく動かされ傷口がグチュグチュに成っていくさまと、愉悦を受かべて嬉しそうにそれを見つめる男の表情に、私は吐き気をこらえることができなかった。
「わしの見るところでも、だいぶ症状が重く見受けられる、ひとつ専門家の意見を聞いて貰うことにしよう」
「このままでは、まずいですかね?」
「ん?いくら悪くなくても、いや…良くても命あってのことだろう手遅れにならないうちに…」
「沢田君、依頼名簿に連絡先を書いてもらうよう渡したまえ」
伊之助の言葉に口を塞ぎながら男に名簿を手渡す。
連絡先を書き入れ手渡された名簿はところどころ血のあとで汚れ、それを手にした私は、そのまま手洗いへ駆け込み、出勤前に食べていた物が全てなくなるまで吐き戻してしまっていた。
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