第27話:最終決戦へ

 常一じょういち円理えんりはゆっくりと山を降りてゆく。なにぶん、片足が不自由な円理に歩調を合わせてのことだ。歩みは遅い。円理は拾った木の枝を杖にして一生懸命歩く。


 二人は山から見える遠景を望む。地上は大洪水によって水没したわけではなかった。実際、今朝はラジオの電波を受信できた。政府や自衛隊も組織としての機能を残しているようにも思う。円理の母・涙湖るいこによる洪水は限定的だったのかもしれない。その考えを裏付けるように、大きな湖が見えてきた。

 そして人々の喧騒も。


 見れば、封鎖線を敷く自衛隊に向かって人々が押し寄せている。自衛隊は発砲しない。代わりに催涙ガスのような非致傷の武器で鎮圧を試みていた。それにしても人々の数が多い。万を超える群衆が道路にひしめいている。彼らは一体、なにを期待して集まったのか。

 兄さん、と円理が常一の袖をつかむ。


「ラジオは産み直すということを言っていたが。どういうことなんだろう?」

「親父は涙湖さんに悪として追われた人々を産み直してもらうと言っていた。その産み直しは一度で終了というわけでもないんじゃないか?」


 ついに人々が封鎖線を突破した。

 常一たちは遠くからその行方を追う。

 人々が目指すのは、南国の海を思わせる緑色の湖だ。湖面からのぞく民家の屋根。おそらくここは神室町があった場所なのだろう。山に囲まれた神室町は大部分が湖に沈んでしまったらしい。


 その湖に人々は次々と身を投げていった。湖面では魚のようななにかが派手に跳ねる。まるでコイにエサをやった時のようだ。つまり、身を投げた人々を食っているのだ。おぞましいものを見て、円理は青ざめている。

 ふと視線を外した常一は、湖の岸辺でさらに異様な光景を見た。


「見ろ、円理」


 常一が指差した先に人魚がいる。遠目ではあるが、どうも円理に似ているような。もしかすると、油野養殖が養殖していた人魚の一匹かもしれない。その人魚は岸辺で赤子を出産した。そして赤子を残して人魚は湖に去ってしまう。

 火が点いたように泣く赤子の声が聞こえたのだろうか。幼い子供たちが森の中から現れた。子供たちは美しい。羽根はないが、天使という表現でもいい。あるいは、なにもかも漂白された、とも言える。白い子供たちは赤子を抱いて去ってゆく。


 まさか、と円理は口元を抑えた。


「人々は人魚に食われ、そのお腹の中で赤子として産み直されるのか。そして、美しい子供として生きてゆく。父さんと母さんの救済とは、そういうことなのか?」


 常一が答える前に周囲の森で変化が生じた。

 複数の足音が近づいてくる。

 常一は円理をかばって身構えた。


 次々と林崎りんざきが現れる。バジリスクの小剣をかざして林崎が常一たちを取り囲んだ。


「いやあ、久々という感じですねえ。たった一晩でこの変わりよう。なかなかいいものでしょう?」


 林崎は相変わらずいやらしい笑みを浮かべる。

 聞こえるでしょう、と林崎はわざとらしく耳に手を当てた。


「胡弓の音色。人魚の声です。この声が人々を新世界へと誘っているんですよ」


 風の流れが変わった。

 すると、物悲しい音色が遠くから聞こえてきた。慣れ親しんだ音だ。確かに胡弓の演奏を思わせる。

 林崎は満足げに笑う。


「計画は順調に進んでいます。あとは円理さんを手に入れれば完成です」

「どういうことなんだ?」


 疑問を呈したのは常一だ。


「油野養殖の背後にはアメリカがいたはずだ。この状況はアメリカが望んだことなのか?」

「違いますよ。確かに計画は元々、アメリカが指示したものでした。正確には、アメリカで勢力を持つ白人至上主義者たちですね。彼らは白人のための理想郷を生み出そうとしていました。が、日本人であるワタシが心から賛同するはずないでしょう?」

「じゃあ、おまえの目的はなんなんだ?」と常一。

「新世界の神になることです」


 林崎は芝居がかった所作で告げた。


「涙湖は残念ながら耐用年数が過ぎていまして。母胎としては充分ではありませんでした。本来なら今頃、世界中が水没していたはずなんですがね。そこで今度は円理さんの出番です。初々しい円理さんなら母胎として充分。今度こそ古い世界を洗い流してくれるでしょう。そして、ワタシは神として生まれ変わる」

「もうおまえが悪かどうかなどどうでもいい。俺はおまえを殺す」

「できますかね?」


 林崎の挑発に答えるように常一の背中から無数の黒いとげが飛び出す。またたく間に姿を変じた常一は林崎たちとの戦闘状態へと突入する。力と力が激突。木々が倒れ、鳥たちが空にはばたく。


 常一の手によって次々と林崎たちが倒れてゆく。それでも林崎の数は減るどころか、増す一方だ。

 しかも常一は円理を巻き込まないために力を抑えていた。

 このままではらちが明かない。



「円理。円理」


 円理の背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

 振り返ると、二果にかが茂みの中から顔を出している。

 二果、と円理の顔が明るくなった。


「無事だったのか」

「なんとかね。それより行くよ」

「どこへ?」

「避難所に仲間たちが集まってる。そこで最後の打ち合わせをしよう」


 二果に促され、円理は戦場をあとにする。

 背後では激しい戦闘音が続く。

 円理は一瞬、振り返った。兄さん、と願う。無事でいてくれ。

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