第24話:夏祭り

 戦火によって破壊された街を、常一じょういちはさまよっていた。色はない。まるで古びた映画のように白と黒で構成された世界が広がっている。広場で燃え盛るガソリンの炎でさえ、黒々とした蛇のようだ。

 一体なにを燃やしているのかと近づけば、炎の中で死体が折り重なって山になっていた。煙のせいで目が痛い。人々は炎に焼かれ、折り曲がっている。常一はそこになんらかの意図を思わずにいられない。悲しいというより、どこかおかしげな、奇妙な光景だ。人間の尊厳が失われたところには、まっとうな悲劇は成立しないのだろうか。


 ああ、またこの光景だ。


 常一はいつもの夢だと気づく。背骨を得て以来、くり返し見てきた夢。一体、自分になにを見せようというのか。

 一つだけ分かっていることがある。

 燃え盛る死体の中には、常一の手によって殺された人間もいるのだということ──。



常一じょういち……常一、目を覚ましなさい」


 父の声が聞こえた。

 目を開けると、常一は病室のベッドに寝かされていた。身じろぎすると、点滴のパックが揺らめく。日差しの中で輸液がきらめく。風が気持ちいい。窓辺から吹き込む風でカーテンが揺れる。

 ベッドサイドに座っているのは父ではなかった。咲子さきこだ。いつものように上品な服をまとう。


「常一先生、目ぇ覚めましたか?」

「あ、ああ」


 常一は咲子をまじまじと見つめた。父の声は気のせいだったのだろうか。いや──。


 それにしても体が重い。腕を上げるのもおっくうだ。いま襲われれば、無抵抗のまま殺されてしまうに違いない。

 遠くから祝砲のような音が聞こえてくる。


「俺はどれくらい眠っていましたか?」

「四日です。今日は祭りの日ぃですよ」


 咲子は、常一の心情などおかまいなしに歌うように語る。


「おっそろしいごどになってきましたね」


 一つ一つ、これまでの状況が振り返られる。


「町のまわりで行方知らずになる娘っ子らが殺されでで。それをエサにしで、人魚を養殖しでるって言うでねべか。そっただ、おそろしいごど人間のしでいいことじゃね。しがも、仙台の街を騒がしでだ殺人鬼が事件に関わっでるって。一体なにが始まるんだが」

「咲子先生、あなたはすべてご存知なんじゃないですか?」

「は? なんで、わだしが?」


 咲子は驚いたような表情になる。濡れ衣だ、とその顔が語っている。

 常一は淡々と続ける。


「家の鍵をあなたも持っていたこと。親父のパソコンだけが狙いすましたように壊されていたこと。学校でうわさが流されていたこと。工場に忍び込むタイミングが読まれていたこと。俺が書いている小説を把握していたこと。油野養殖が仕掛けてくる攻撃を担える人間は咲子先生、あなたしかいないんです」

「……」


 咲子は沈黙を続けた。底の知れない微笑みを浮かべている。

 常一は最後にこう言い添えた。


「そして、岬さんの使い魔は危険人物に対して吠えます。あなたが現れる時、使い魔は必ず吠えました。それが疑いを持つようになったきっかけです」


 ふぅーっ、と咲子は大きく息を吐いた。


「常一先生。わだしにそんなことを言っで、どう対応するか怖ぐねがったんですか?」


 咲子の気配が変わった。

 不意に廊下で犬の鳴き声が聞こえてきた。次いでみさきが部屋に駆け込んでくる。


「ジョー君? 大丈夫?」

「常一先生、いい先輩だごど」


 咲子が滑るような足取りで窓辺に寄った。

 背後には風にそよぐカーテン。


「お見事、と言っておくべか。ええ、確かに全部わだしがやりました」

「どうしてそんなことを?」と常一。

「今日の祭りで全部、明らかになんでしょう。常一先生、いままで楽しがったですよ」


 咲子は背後にある窓から身を躍らせる。

 突風。

 風の中で咲子の声が響いた。


「常一先生。不老不死でない先生が背骨の力を使うのは無理じゃねえですか。あと一回。あと一回が限界だど思いますよ」


 風がやんだ時、咲子の姿はなかった。


 いよいよ、か。

 常一はベッドから身を起こそうともがいた。力が入らない。それでも──立ち上がらなければならない。


 真実を円理えんりから遠ざけようと努力してきた。だが、円理はついに真実に王手をかけた。だが、円理は気づいていない。円理もまた常一たちにとって玉なのだと。王手をかけたつもりが、こちらが王手をかけられてしまっては話にならない。そうなってからでは遅い。

 常一はやっとベッドから身を起こした。全身が悲鳴を上げている。

 絶対に円理を守る、と常一の目に力が戻っていた。



 よく晴れた夏の空に祝砲のような破裂音が鳴り響く。祭りの日が来た。

 円理は二果にかの家で作戦会議に臨んでいた。


 仲間たちが調べたところによれば、脚本は林崎りんざきが書いたのだという。が、林崎は劇団のリハーサルにほとんど顔を出していないことも分かっていた。たまに姿を見せたかと思えば、劇団員にまとはずれな説教をするくらい。本当に林崎が書いた脚本なのだろうか。


 しかし林崎は対外的なアピールについては余念がないらしい。地方のテレビ局を招き、劇の様子を撮影させるらしい。そこにどんな意図があるのか。そこまでは分かっていない。

 二果たちも密かに演劇を中継する予定だ。SNSではその予告を済ませてあるという。


 いよいよ真実が明らかになる。その予感に円理は緊張していた。

 兄が隠している真実とは一体なんなのか。

 もうじき舞台の幕が上がる。そこに流れる音曲が聞こえたような気がした。

 人魚の里に胡弓が鳴れば──。

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