第18話:砲撃

 林の中を高速で駆け抜けてゆく。行く手を阻む木々はなぎ倒す。いまの常一じょういちの破砕力をもってすれば、容易なことだ。やがて林崎りんざきの背中が見えてくる。

 常一じょういちの焦点は林崎のみ。他の景色はぼんやりとしか認識されない。


 林崎りんざきが逃げ込んだのは広い野原だ。そこは戦時中、軍の飛行場があった場所。その後、水田になっていたが、いまは人の手が離れて荒れ地と化してしまった。でこぼことして足場が悪い。林崎は不格好に転んだ。

 そこへ常一の拳が迫る。


「ひっ」


 情けない声を上げながら林崎はナイフで常一の拳を受けた。そのナイフは魔術師が武器とする特別なものだ。かろうじて常一の拳に耐えた。そこに宿る力が衝突して燦然さんぜんと輝く。常一の黒い力の方が優勢だ。おそらく林崎が何度も受けることはかなうまい。

 常一が勝利を確信したその時。


 野原に複数の人物が現れた。

 どれもこれも林崎だ。林崎の本体は内部を巡る水銀であり、いくらでも複製を作ることができる。これが林崎の目指す不老不死の形。だからこそ、常一は林崎を殺しきれずにいた。

 林崎たちはナイフをかざした。刀身に描かれた蛇が光る。蛇が獲物である常一をにらんだ。

 瞬間、野原に魔法陣が浮かび上がる。


「な?」


 常一の体が硬直する。動かない。体が動かない。

 輝く魔法陣は林崎の一人を巻き込んで常一を拘束した。罠だった。林崎は始めからここに誘導することが目的だったのだ。円理に危機が迫って、常一は冷静さを失っていた。

 林崎たちの攻撃はそれだけではない。落下音。空の彼方から砲弾が降り注いできた。野原の地形が変わるほどの砲撃がくり返される。砲弾は榴弾だ。破片が雨のように注ぐ。常一の装甲がみるみる削られていった。


 このままでは死ぬ。


 死ぬ? 常一はもうろうとする意識の中で思った。なんのために父を殺した? なんのために背骨を手に入れた?

 その時、常一の世界は変転する。気がつけば、家の縁側にいる自分と、父。どこからか胡弓の音色が聞こえてくる。

 常一、と父はいつものように穏やかに話す。


「後悔しているかい?」

「正直に言えば、してる」


 常一の声はふだんとは打って変わって弱々しい。

 村木の血が殺人鬼を生むのだと知って、自分の未来に恐怖した。

 いまは恐怖の対象が違う。いつか妹を殺すのではないかと恐れている。

 息子の恐怖を父は正確に見抜く。


「おまえが僕と戦ったのはなんのためだった? あの子を、円理えんりを守るためじゃなかったのかい? 円理は人魚の血を引く。あの不出来な弟を含め、魔術師たちは放っておかない。悪、例えば秩序の力を恣意的に使う魔術師たちと戦う決意をしたからこそ、おまえは背骨を受け入れたんじゃなかったのか?」

「でも」


 常一は泣き言を言った。


「背骨を手にしたことで、俺は円理を殺そうとしている」

「そうだね、あの子はおまえを好きになってしまったからね。親としては悲しいが、僕の立場ではなにも言えない。でも、おまえなら耐えられると信じている。常に一つの信念を持て。それがおまえの名前の意味だから。常一。おまえの信念はなんだ?」

「俺の信念は……」


 円理を守ること。


「さあ、行きなさい」


 父の言葉と同時に景色はまたも変転した。懐かしい我が家が遠ざかる。

 そして常一は再び砲撃の只中へ。



 円理はその光景を、二果にかに寄り添われて見つめていた。

 かたわらの二果に訴える。


「なんとか! なんとかならないか?」

「林崎の持っているナイフをなんとかしないと。あれはバジリスクの小剣だよ。天敵を意味する魔剣。それににらまれると身動きできなくなるんだ」


 二果の言葉に円理は疑問を感じた。二果はオカルトに詳しくなかったはずだ。どうやっていまの知識を知った?

 しかし二果は円理に考える時間を与えない。


「円理! そこに立って! ネットに訴えて! 先生は見られるほど強くなる!」


 二果はスマートフォンで、円理と、その背後に見える戦場を写した。動画とやらを撮影しているのだろう。

 しかし訴える? 円理はそこが了解できなかった。なにを訴えればいいんだ?


「円理」


 二果の声は切羽詰まっている。常一と思しき黒い怪人の装甲はいまにも破れそうだ。舞い散る破片がきらめく。

 周囲には砲声が鳴り響いていた。激しい砲撃に地面が揺れる。夜空に閃くのは砲火だろうか。どうやら飛行機が砲撃しているらしい。その飛行機は野原を中心として円を描くように飛びながら砲撃をくり返している。自衛隊じゃない。根拠はないが、円理にはそう思える。

 この光景をみんなが見れば、秩序の力が働くのだろうか。

 二果もそう考えているようだ。


「ネットに拡散することであの魔法陣を破れる。円理の発言次第で拡散するかどうかが決まるんだよ」

「わたしの発言で……」


 円理はいまだネットというものを理解していない。振り返って、黒い怪人を見た。あれが兄だとしたら。あれは自分を助けるために来てくれた。円理はそう確信している。だとしたら、恩を返さなければならない。

 意を決して、二果が持つスマートフォンを見据えた。


「いま、戦いが起きている」


 いまも途切れることなく弾雨が注ぐ。その中で怪人が立ち上がった。なにかを、反撃につながるなにかをしようとしている。手助けしなければ。


「信じられないかもしれないが、あの怪人はわたしの兄かもしれない。あれが戦っているのは敵だ。わたしにとって。もしかしたら、みんなにとってもだ。敵は油野養殖。わたしの町を支配する企業だ。そして、この企業には魔術師という存在が絡んでいるらしい。彼らは町でなにか恐ろしいことを企んでいる」


 円理は一旦、言葉を切って、胸の前で右手を握った。


「わたしは無力だ。このとおり、片足が不自由で杖なくして歩くこともままならない。戦いの中でわたしが役に立てることはないだろう。でも、これを見ているみんなにはできることがある。いま見ている光景をもっとたくさんの人と共有してくれ。そうすることで異常な世界は正常化する」

「あ。円理、ちょっと待って」


 二果が円理を制した。情けない顔をしている。


「なんか、おっぱい見せたら拡散するとか言ってる」

「はあ? なにを言ってるんだ? この非常時だぞ?」

「それはそうなんだけど。ネットを見てる人にとってはおっぱいの方が大事みたい。うわ、どんどん来てるよ。おっぱい見せてって」

「く」


 と円理は歯噛みした。一体ネットというのを使っている連中はなにを考えているんだ? 円理には理解できない。

 砲撃は益々、激しさを増す。迷っている時間は、ない。


 円理は顔を羞恥で染めながら着物の帯を緩めた。胸の合せ目をゆっくりと広げる。まず肌襦袢はだじゅばんがあらわになった。円理はいままで男に肌をさらしたことはない。兄以外にさらすものか、と思ってきた。その肌を、そろそろとした動きで不特定多数へ見せてゆく。

 二つの丘の稜線は、着物の上からは想像もできないほど豊かだ。白く、たわわに実った果実。その頂点がさらけ出されようとする。


 二果が持つスマートフォンから通知を告げる音がひっきりなしに鳴り始めた。拡散しているらしい。世界中が円理の体を見ている。そう思うと、円理は死にたくなるほど恥ずかしい。思わず手が止まった。ぎりぎりのところで円理の尊厳は守られている。

 大きく息を吐いて円理が決定的な部分をさらそうとした時。


 雷鳴が鳴り響いた。

 厚い雲の間から幾条もの電光が走る。


 天から下される雷が収束。黒い怪人に集中した。魔法陣に変化が生じる。いままで怪人を拘束するべく働いていた力が、怪人のために力を集め出す。魔法陣は大地を侵し始める。怪人におびただしい量の力が集まってゆく。いまや、すべてが彼の味方だ。いや、味方にする。力を奪う。


「落雷? いや、違う?」


 スマートフォンで撮影しながら二果が状況を推測する。


「秩序の力だよ。秩序の力が先生に集中してる」


 砲撃が一旦、止んだ。

 怪人の体が帯電したように光り輝いている。右腕を突き出す。すると装甲の形状が変化した。右腕が大砲に変わってゆく。そして光を放った。夜空にかかる一本の光条が暗雲を退けて突き進む。砲撃をくり返していた飛行機を貫いた。夜空に大きな火球が生まれる。

 同じ光景を見て、魔法陣を組んでいた林崎たちも姿を消す。


「勝った?」


 円理は服を乱したままへたり込んだ。


「良かった……」


 兄は勝利した。そして、円理の尊厳もかろうじて守られた。

 ネットの力は確かに魔術への対抗策になる。その効果は確認できた。一方で、円理の心にはネットに対する嫌悪感がはっきりと刻まれた。「ネットには神様がいる」などと語る人もいる。だが、その神様とやらはずいぶんと好色ではないか。円理はスマートフォンの向こうにいやらしい笑みを見た気がした。


 兄の常一はそんな目で自分を見たりしない。いつだって優しい兄でいてくれる。やっぱり、と円理は改めて確信を深めた。林崎の話は嘘だ。兄さんが父さんを殺すはずがない。兄さんは立派な人だ。

 これまでも。

 これからも。

 いつまでも。

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