第16話:母子の再会

 円理えんりに似た生き物が常一じょういちの腕に食らいつく。すさまじい力。振りほどこうとしても離れない。鋭い歯はぎっちりと肉に食い込んでいる。血とともに痛みが高速で点滅した。


 長い黒髪を振り乱し、一心不乱に肉を求める少女は人外と呼ぶのがふさわしい。しかも彼女の下半身には、魚の尾ひれがついている。


 これが人魚。油野養殖は彼女たちを養殖していた。


 不意にみさきの声が割って入った。


「邪魔をしてごめんなさいね」


 いつの間にか、岬の手にはポケットに収まる程度の拳銃が握られている。ベレッタ3032。海外では非番の警官などが持つ護身用として好評だという。岬は正確に人魚のこめかみに銃口を押し付ける。そして発砲。三二口径の、やや軽い銃声が工場に響いた。


 人魚は頭を撃たれて脳髄をまき散らした。さすがに死んでいる。

 常一は痛みに耐えながら人魚の死体を撮影した。


 昔、人魚のミイラが見世物として展示されることもあったという。そのミイラはサルと魚をつなぎ合わせたものだったらしい。しかし、常一の目の前で死んでいる人魚にはつなぎ目はない。つまり、生まれたときからこういう生き物なのだろう。


 いま撮っている画像は火のような勢いで拡散しているようだ。さっきからひっきりなしに通知が来る。伝説のたぐいとされてきた人魚が確認されたのだ。しかも、人魚は円理同様、美しい。まさに伝説の中から現れたかのようだ。


 ネットを確認しようとした時、常一は違和感を覚えた。その違和感はやがて不快な信号としてはっきりと認識できるようになる。胸が騒ぐ。

 岬も同様であるらしい。顔をしかめている。


「ラヴと連絡が取れなくなった。なにかあったみたいね」


 確かに常一も最近できた使い魔との連絡が取れない。常に円理のそばにいるように頼んでおいたのに。

 帰ろう、と常一が岬に呼びかけようとした。


 その時、水槽の間からぬるりと姿を現す者たちがあった。いや、人間ではない。肉塊だ。黒々とした不気味な色合いで、一定の形を取らず、肉をたるませながら常一たちに近づいてくる。それぞれ絡み合い、おそましく集合と分離をくり返す。果たして多数という表現が正しいかどうか。一にして全。そんな表現が常一の脳裏に浮かぶ。


 岬が賢者のように怪物たちを語る。


「キメラの失敗作みたいね」

「失敗作?」

「きっと彼女らを生み出す装置があるわ。突き止めましょう」


 岬はベレッタ3032をポケットに収めて走り出した。常一も岬を追う。撮影している余裕はない。


 肉塊たちは産毛のような白い毛を揺らして常一たちの動きを察知する。なめくじのように床を汚しながら追いかけてきた。速度は決して速くない。しかし多数だ。逃げ道はほとんどなく、次第に常一たちは工場の奥へ奥へと追い込まれていった。


 張り巡らされた配管のもとをたどるように常一たちは走る。

 ふと気づけば、機械音はさらに大きくなっていた。目の前の扉から聞こえてくる。

 常一と岬は顔を見合わせた。


「ここは臭いわね。入ってみましょう」


 岬はまたポケットからベレッタ3032を取り出して鍵の位置を手で探った。確認すると、おもむろに撃つ。目が見えていないにもかかわらず、ずいぶんと器用な真似をする。


 扉を開けると、眩しい照明が目に入った。広い空間に大量の機械が設置されてある。その機械に繋がれているのは女性たち。


 まるで分娩室の台ようだ。コードのたぐいが大きな台に集中している。その台に乗せられた大勢の女性たち。まるで妊婦が出産を行うような格好で機械に接続されている。そう、確かに女性は機械に貫かれ、接続されていると言っていい。


 それら機械の周りでは白衣を着た男たちが何人か、機械を操作している。機械の群れのせいで広い空間にもかかわらず息苦しい。岬は天井に向けて一発、撃った。


「全員、動かないで」


 白衣の男たちは両手を上げた。

 常一は再びカメラをかまえる。

 へえ、と岬が楽しげに笑う。


「この気配、産む機械じゃない。あなたたち、産む機械でなにをしているの?」


 岬に問われても白衣の男たちは答えない。同僚たちの顔を互いにうかがい、どうすればいいか視線で話し合っているような。

 代わりに常一が岬に応じる。


「産む機械?」

「知らない? 秩序は女性に出産することを強いる。その力を増幅する装置よ。死ぬまで出産を強制させられるの」


 見るにたえない恐ろしい装置だ、と常一は感想を抱いていた。岬の説明を受けて反響があったのか、通知がまた盛んになってきた。おそらくネットでは女性の顔を写せという意見もあるだろう。しかし常一は、決して女性たちの顔を撮らなかった。


 女性たちの体は半ばミイラ化している。機械はあくまで女性の出産する機能だけを生かしているのだろう。なんともおぞましい。


 機械音に変化が生じた。

 女性の股の間に接続された機械からなにかがゆっくりと排出されてゆく。産声もないままに先ほどの肉塊が産み出された。どうやらまた失敗だったようだ。赤子ほどの大きさの肉塊は湯気を立たせながら不快な臭いを放つ。肉塊はそのまま排水口へ流されてゆく。


 機械につながれた女性が無言のまま涙を流した。口は酸素マスクにおおわれ、言葉を発することもできない。


 さすがに常一もこの装置での出産を見たのは初めてだった。

 人の所業ではない、と常一は痛感した。この部屋には人間の尊厳を守ろうという意志がない。自分たちの都合で他者を好きにしていいという傲慢さが漂っている。彼らの傲慢な手のひらから、命がとめどなくこぼれてゆく。


 一体、その命を誰がすくうのか。


 通知は益々、激しくなった。ネットの人々も怒りを感じているのだろうか。確かに誰かに打ち明けなければ、胸の内が腐ってしまいそうだ、と常一は察した。誰かと共有することでかろうじて正気を保つことができる。


 ふと常一は、ゴムが焼けるような臭いを感じた。

 またも機械音が変化。内部で不具合が発生したような耳障りな音を発し始めた。白衣の男たちが慌てふためく。


「君たち! 一体なにをしたんだ!」


 そう問われた常一は思い当たることがある。秩序の力だ。ネットで拡散したことで秩序の力が働き、産む機械を修正しようとしている。機械につながれた女性にとって生命維持装置も兼ねているのか、女性は手足を痙攣させ始めた。いけない、と常一はカメラの視界から女性を外す。


 そうすると、女性の様子は次第に落ち着いてきた。危ないところだった、と常一は安堵した。義理とは言え、母親を殺すところだった。


「いやあ、こんなところまで来てしまうとは。いけませんねえ。ここは関係者以外、立入禁止ですよ」


 不意に林崎の声が背後から聞こえてきた。


 林崎は、銃をかまえた部下たちを従えている。彼らがかまえるのはUMP45短機関銃。銃口には消音器が取りつけられてある。四五口径の拳銃弾は弾速が音速を超えないため、消音器との相性がいい。油野養殖の汚れ仕事を請け負う私兵たちにふさわしい武装と言える。


 圧倒的優位を確信しているのか、林崎はいまにも踊り出しそうだ。


「しかし、感動のご対面じゃありませんか」


 林崎はある一台に注目している。そこに繋がれた女性は――。


 まずい。とっさに常一は動画を撮るのをやめた。林崎の言葉を円理に聞かせるわけにはいかない。

 林崎は顔をだらしなく歪ませた。


「義理とは言え、母と子の対面が実現したわけです。ここはハンカチが必要ですな」


 産む機械につながれている女性が円理の母親であること。この事実も常一が隠していた秘密の一つだった。円理の母親である彼女は、二年前に姿を消したと思われていた。しかし実は、油野養殖に捕らえられ、彼らの計画に利用されていたのだ。その計画のおぞましさたるや。


 岬は銃に怯えるでもなくいつもの調子で林崎に尋ねる。


「ずいぶんと手回しがいいじゃない。待ち伏せしていたの?」

「ワタシには協力者が多いんですよ」

「ふぅん。協力者ね」


 岬の興味は産む機械へと移っていった。


「あなたたちは産む機械を使って人魚のまがいものを作り出しているのね」

「少し違いますな。ワタシたちが作っているのはまがいものなんかじゃありません。円理さんのお母上は正真正銘の人魚。ワタシたちは本物の人魚を提供しているんですよ。これは我が社だけのオリジナリティ。評判は上々です」

「ずいぶんと口が軽いけど、わたしたちをどうする気?」

「見たところ、あなたも混沌に属するようですね。これは都合がいい。人魚のエサになる女性は混沌でないといけません。あなたもエサになって、我が社に貢献してください」

「願い下げね」


 岬の足元で変化が生じた。彼女の影から無数の触手が伸びて林崎の部下たちに絡みつく。発砲する余裕もない。骨が砕ける音が連続する。苦悶の声を上げながら林崎の部下たちは死んでゆく。


 白衣の男たちはあまりにも凄惨な光景に声も出ない様子だ。しかし逃げ出さないのは、足が動かないのかもしれない。

 林崎もまた触手に拘束されたが、岬はすぐに殺そうとはしなかった。聞き出したいことがあるのだろう。


「林崎さんだったかしら? あなたたちはなにをしようとしているの?」

「フフフ」


 林崎は危機にあるというのに動揺しない。


「こんなことをしていていいんですかねえ。今頃、ワタシの同志たちが円理さんのところにおうかがいしているはずですよ」

「なんだと?」


 やられた、と常一は歯ぎしりした。


「岬さん。俺はいますぐ円理を探す。あとは任せた」

「いいけど。場所は分かるの?」

「使い魔が円理のそばにいる。そのつながりを追えばたどりつくはずだ」

「へえ。あなた、いつの間に使い魔なんて手に入れたの?」


 岬の問いに常一は答えない。

 まあいいわ、と岬は気にした様子もなく笑う。


「で、この人はどうする?」

「始末してくれ」

「了解」


 触手が万力のように林崎をしめつけ、その体を引きちぎった。最後まで笑っていた林崎はなにを考えていたのだろう。

 いや、いまはそれどころではない。


 常一はナイフを取り出して、深く息を吐く。この瞬間はいつになっても慣れない。激痛と、次に来る衝動。おぞましくも懐かしい感覚を思い出して常一はしばし身震いしていた。


 だが、やらなければならない。


 常一はおもむろに心臓に刃を突き立てた。変化が生じる。常一は再び黒い装甲をまとった。拳の一撃で壁を突き破る。常一の真の力を持ってすれば、鉄筋コンクリートなど紙も同然。障害物も銃を持った敵兵士も瞬く間に突破して、常一は駆ける。


 心を占めるのは妹のことのみ。

 速く。速く。音よりも速く。

 衝撃波が木々を吹き飛ばし、家々の屋根をめくらせる。電光のごとき速度で常一は円理のもとへ急いだ。

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