第15話:養殖人魚
「
すると、闇に隠れていた岬がゆらりと姿を見せる。目が見えていないのに見事な隠形だった。まるで闇の息吹を体現しているかのよう。
その岬はゲートの横にある詰め所で足を止めた。
「血の臭いがしない。殺さなかったの?」
「当たり前だよ。俺たちは報道のために来たんだぞ」
常一が先頭に立ち、監視カメラを避けつつ、工場に近づく。工場からは水音が聞こえてくる。そこには機械音も混ざっているようだ。常一は身を屈め、窓辺まで忍び足で進む。そっと顔を上げて窓越しに中をのぞいた。
この棟は食品加工を担っているようだ。ベルトコンベアーの脇に作業員が立ち、各々の作業を黙々とこなしている。作業員は誰も彼も奇妙な服に身を包む。戦時中、日本で使用された国民服に似ていなくもない。その上に前掛けを羽織って時間に追われる姿は、不気味な絵本を連想させる。
ふと、袖を引っ張られた。振り返ると、岬が小声で告げる。
「誰か来るわ」
「誰か? 警備員か?」
「どうかしら? タバコの臭いがするけど」
岬は常一を物陰に引きずり込む。ちょうどよく除雪するための機材をしまう小さな倉庫がある。どういう手段を使ったのか、岬はその鍵を簡単に開けてしまった。ほこりっぽい倉庫内で二人は外の様子をうかがうことにした。
かちかち、とライターの音がする。どうやらタバコを吸っているようだ。
「オレ、いまの仕事が一段落したら結婚しようと思うんです」
なにやら幸せそうな話だ。
岬は常一に一言、断った。
「ちょっと行ってくるわ」
呼び止める間もない。岬は扉を開け、作業員たちに近づいていった。岬の身を案じていると、なにやらくぐもった悲鳴が聞こえてきた。時間にして数分。そして、岬がまた戻ってきた。
「ジョー君、手伝って」
岬は気を失った作業員たちを倉庫に運ぶ手伝いをするよう、常一に頼む。常一は仕方なく作業員たちを倉庫に引きずっていった。今度は、彼らの服を脱がすように言われた。これも淡々とこなす。一通り終わったところで岬は、作業員たちの服を着るように命じた。
「これを着るのか?」
「そうよ」
答えつつ、岬はさっさと服を脱ぐ。痩せて尖った体があらわになった。肉付きの薄い中性的な肢体。しなやかに手足が伸びた姿は、一つの理想形でもある。すでに何度も触れたというのに常一はつい見てしまう。いかん、と頭を振って常一も着替えた。
二人は作業員たちを倉庫に残し、工場へと入っていった。
ごうん、ごうん、と正体の知れない機械音がひどく目立つ。内部には配管が張り巡らされ、ガスか液体がどこからか流れてくるようだ。岬が先ほど言ったように空気には生魚の臭いが濃厚だ。しかし、作業員たちは気にした様子もない。
また、同じ作業服を着た常一や岬にも注意を払うことなく、おのれの作業に没頭している。
常一たちは食品加工を行う棟を抜け、となりの棟に移動した。
そこは養殖を行う場所だ。大きなプールが整然と並び、配管から水が大量に注ぎ込まれてゆく。一体なにを育てているのだろう。時折、水面でなにかが跳ねるが、姿は見えない。
常一たちが進むに連れて人の姿が減っていった。
そろそろね、と岬が指示した。
「ジョー君。水槽を撮ってくれる?」
「分かった」
常一は水槽の一つに近づき、カメラをかまえた。
◆
「中継、始まったよ」
そう言って、二果がスマートフォンを円理に見せた。
円理は食い入るように画面に目を注ぐ。兄の声が流れてきた。
『いま、なにを養殖しているのか見ているところです』
兄はそう言いつつ、水槽に近づいてゆく。黒い水面が近い。
ふと、水面下でなにかが通過したようだった。大きい? そう、確かに人の大きさほどある魚が見えたような。
円理の脳裏に不安がよぎる。
先ほどの写真。あれはどう見ても自分だ。しかし、あんな写真を撮られた覚えはない。だとすれば、一体? 円理の中で不安が急速に大きくなっていた。真実を知りたい。だが、知らないで済めば、それが幸せではないか。円理は初めて消極的なことを考える。
その時。
水面から円理と瓜二つの少女が飛び出し、常一の腕に噛みつこうとした。
『うわぁああ!』
激しく揺れ動く画面。
円理の心もまた動揺した。かたわらの二果にすがりつく。
「一体なにがあったんだ? 兄さんは無事か? あれは一体なんなんだ?」
「そんな。あたしにも分かんないよ」
その時、岬の使い魔が首を起こし、一声吠えた。
なんだろう、と円理と二果が顔を見合わせる。
玄関で物音がした。
「また郵便か?」
という円理の疑問に二果は答えない。緊張した様子だ。
その顔に円理も不安をかき立てられる。
不意に居間に手榴弾のようなものが転がってきた。円理たちが反応する暇もない。手榴弾から白い煙が漏れ出してきた。
ごほっ、と円理は袖で口元を押さえる。
「い、一体なんだ?」
円理だけではない。二果も使い魔も苦しんでいるようだ。
視界が揺らぐ。まるで地震のように世界が傾いた。その傾きが自分自身のものだと気づいた時、円理の体は動かなくなっていた。意識が遠のく。一瞬、ガスマスクをかけた派手なスーツの男を見たように思う。
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