第13話:世界会議

「わたしは世界会議という組織に属している」


 みさきは、居間に常一と円理を集めて説明を始めた。

 まずは自分が属する組織について。


「世界会議はとても大きな組織よ。多くの人間がそこに関わりながら、自覚がない。それくらい日常に溶け込んでいるということね。それについてボルヘスという作家が作品の中で言及しているわ。『人々は、会議のことを、おおっぴらな軽蔑を込め、あるいは、声を潜め、また、あるいは警戒心か好奇心をむき出しにして語る。だが、誰一人、本当のところは知らないのだ』とね」


 以前だったら円理がすかさず反論していただろう。しかし、いまの円理はすでに非常識の世界に足を踏み入れている。もはや常識は信じられない。岬の説明を黙って聞く。


「大学にいた頃、会議からメールが届いた。わたしは会議に招かれ、その決定のもと、行動することになった」

「その会議とやらは一体なにを話し合うんだ?」と円理。

「会議が話し合うのは、地球とは違う場所にある海の秘密について」

「地球とは違う場所だって?」と円理。

「そう、地球とは違う場所。会議はそれをアースシーと呼んでいる。わたしたち人類にとって本当の母なる海よ。地球とアースシーは遥か昔に別れてしまった。でも時々、アースシーの扉が開いて、大洪水が引き起こされることもある。会議の目的はそれを防ぐこと。そして、アースシーに関する秘密を守るために戦ってきたの」

「その話しぶりからすると、敵がいるということか?」

「そう。その敵が魔術師よ」


 岬は、魔術師と秩序の関連について触れた。


「秩序の力については説明したわね。魔術師はこの秩序の力を自分の都合で改変してしまうのよ。小規模ではあるけど、世界を書き換えるということね」


 ただし、と岬は注釈を加える。


「人々の注目が集まれば、秩序の力が正しく働き、異常を修正してしまう。つまり、魔術師は力が使えなくなる。ここまではいいかしら?」

「ちょっと待て」


 円理が手を上げて尋ねる。


「わたしと二果が遭遇したアンデッドとやらはどうなんだ? わたしたちの視線を受けても平然と行動していたが」

「一人二人ではほとんど意味はないわ。もっと大勢じゃないと」


 岬の言葉に円理は考え込んだ。大勢、と口の中でくり返す。

 すでに日は傾いた。夕暮れになると生温かった空気は急に涼しくなる。


 不意に岬の使い魔が一声、吠えた。ほぼ同時にエンジン音が聞こえてくる。車は家の脇に止まり、「お晩です」と咲子と二果が縁側に姿を見せた。昨日、あんなことがあったというのにすっかり元気そうだ。薄手のパーカーにスパッツという活動的な格好は、明るい髪の色とよく似合う。


 はつらつな二果の表情を見て、円理は一安心。


 咲子と二果はスイカを土産に持ってきてくれた。果物王国として様々な果物を産する山形県ではスイカも特産品だ。

 円理は素直に礼を言う。


「いつもすまいないな。それにしても、二果。もう元気そうで安心した」

「そりゃあね。元気だけがあたしの取り柄だもん」


 そう言いつつ、二果は居間に上がってきて、どっさりとテーブルに宿題を乗せた。


「これ、円理の宿題ね」


 うっ、と円理はうめいた。

 そう言えば、今日は終業式だった。明日から夏休みだ。うわさを立てられて以来、円理は学校に行っていない。控えめに言って、いまの円理は家事手伝いだ。このままでは進学する道は途絶えてしまう。


 しかし、しかしだ。円理は宿題の山を見る。


「なんだか多くないか?」

「円理ちゃん、この前のテスト、英語が赤点だったじゃねえが。当然だべな」


 そう言うのは咲子だ。教師の顔になっていた。

 円理は宿題の山から目をそらす。


「よ、横文字は苦手だ……」

「そんなおばあちゃんみたいなこと言って」


 二果も心配しているようだ。

 だいたいねー、と二果はテーブルに両肘をつく。


「円理ってば、携帯電話すら使えないじゃない。そんなんで就職できるの? あたしは円理の将来が心配だよ」

「機械は苦手なんだ。ちょっと触ったら、光ったり音を出すし。わたしの知らない理屈で動いているのが怖い」

「パソコンもソマホも、そんなに難しくないよ。それにこの町みたいな田舎に住んでても外国の人と話ができるなんて素敵じゃない」

「その外国人というのは二果の知り合いか?」

「うん。SNSでね」

「SNSとやら色々なことができるんだな」


 ふーむ、と円理は感心した。

 SNSと言えば、と咲子が口を出す。


「常一先生。小説の続き、まだ書かないんですか?」

「えっ? え、ええと。どうしてそれを?」


 常一は面食らっている。

 ふふ、と咲子は得意げに語る。


「常一先生はわだしのとなりの机じゃねえですか。お昼休みの時、パソコンでSNSを開いているのが目に入ったもんで」


 咲子が常一の小説を語り出すと、常一は恐縮してしまった。これはご褒美とは言いがたいようだ。

 常一と咲子の話題はサイト内のランキングへと移り、自然とどのようにネットに作品が浸透してゆくかという話になった。円理には初めて知ることが多い。新しい知識が円理の中で組み合わされてゆく。


 そうだ、と円理はひらめく。


「二果、頼みがある」


 何事だと周囲に視線が円理に集まった。円理は、咲子と二果が居間に上がってきたところで、静かに話し出した。父の死を追って魔術師と戦っていること。円理たちの捜査は、咲子と二果を少なからず驚かせた。


 咲子は恐る恐る尋ねる。


「円理ちゃん。冗談じゃねえんだな?」

「冗談でこんな悪質な話はしない」


 さて、と円理は本題に入る。


「二人に折り入って頼みがある。魔術師は人々の注目が集まると力を行使できない。人々の注目……それを集めるのに適した人材は、ジャーナリストを目指す二果しかいない。二果がやっているSNSとやらで、どんどん事件を報じていけばいいんじゃないか?」


 どうだろう、と円理は常一を見た。

 うん、と常一はうなずく。


「円理にしてはよく思いついたな」

「わたしにしては、とはどういう意味だ?」

「いや、馬鹿にしているわけじゃないよ。ただ、おまえ、ネットはまるっきりできないじゃないか。そもそもSNSがなんなのか分かっていないだろう」

「分かっているさ。要は世界規模で日記を公開するようなものだろう。それが簡単に世界中に広まってゆくらしいな。拡散だったか。漫画の題名みたいだ」

「拡散、か。かなり前の漫画だが。ずいぶんと渋い趣味だな」


 常一は苦笑いを浮かべた。

 ひときしり笑って常一は真面目な顔になった。


「でも、狙いは悪くない。二果は放送部員だし、月本先生は学校の教師だ。二人が協力してくれれば色々やりやすい。ただ、まさか二人に協力をお願いするとはね」


 ここで常一は正座になる。


「月本先生、二果。二人を巻き込みたくはなかった、というのが俺の本音です。でも、円理が言ったように俺たちに二人が必要なのは間違ってません。手を貸してくれませんか?」


 頭を下げた常一に、咲子が慌てる。手をぶんぶんと振った。


「あ! 頭、上げてけろ! わだしができることなんて、ちょびっとしかねえんですから! それに計良先生けいらせんせいの仇討ちなら、わだし、なんでもします!」

「あはは。お姉ちゃんは計良おじさんに心酔してたからねー」

「二果ちゃん。わだしはそんな」

「まあまあ。あたしも協力するのに賛成だよー」


 咲子と二果が仲間になった。


 仲間が五人になったところで始めるのは、油野養殖の工場を調べることだ。やつらがなにをしているか、父がなにを見つけたか、確かめなければならない。それが犯罪だとしたら、大々的に報じることで、警察も動かざるをえないのではないか。


 警察が動いてくれれば、事態は一気に好転する。

 円理はその予感に高揚した。



 その夜、常一はふとんの上でじっと考えを進めていた。


 証拠は一つずつ片付いている。円理はまだほとんどの事実を知らない。このまま進めば、自分たち兄妹はいままでどおりの関係でいられるだろう。円理は守られる。いや、兄である自分に思慕の念をこめて見つめる円理の眼差しが守られる。


 SNSを使って魔術師に対抗するというのは、確かに名案だ。人々の注目を林崎りんざきに向ければ、ずいぶんとやりやすくなる。


 次は工場だ。そこに林崎りんざきがいる。あの男を始末する時がようやく来たのだろう。

 あの男は一〇年前、円理をさらった。許すことはできない。


 だが、殺せるか。やつは魔術師──つまり不老不死に近い存在だ。


 ふすまの向こうにいる円理の寝息が聞こえてくる。常一は思い直した。

 殺せるか、ではない。必ず殺す。でなければ、自分が愛するふつうの暮らしは守られないのだ。


 ふつう。

 なんという幸せな響きだろう。そのあいまいさは常一の意識を薄靄うすもやの向こう側へ連れ去ってしまう。

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