第11話:魔術師

「兄さんは……大丈夫なのか? 本当に二果を助けてくれるのか?」


 家についた円理えんりがぽつりと漏らす。

 憔悴しきった様子だ。ほつれた髪を直す余裕もない。美貌には陰りが見え、それがかえって凄絶さを増す。


 すでに日は暮れた。それでも常一じょういちは帰ってこない。


 円理は居間のテーブルについて、うつむき、ただ兄の知らせを待つ。テレビがなにか言っているが、その声もあまりよく聞こえない。かたわらにはみさきと盲導犬──という名目の使い魔がはべる。円理に問われ、岬は安心させるように笑う。


「大丈夫よ。ジョー君は、あなたのお兄さんは最強だから」

「最強? どういうことだ?」


 円理が不審そうに顔を上げた。

 事態は円理の理解を超えた方向へと進んでいる。廃病院で遭遇した生きた手足の群れ。拳銃を持って襲おうとした男たち。円理が信じていた常識が壊れてゆく。そして、岬はその常識を超えた世界からやってきた女だ。彼女はなにを知っているのだろう?


 岬はみずからの使い魔を愛しげに撫でる。


「信じてもらえないだろうから最初は言わなかったけど、この世界には魔術師という存在がいるの。廃病院であなたが見たというのは、魔術師が生み出したアンデッドね。死体を操る魔術で生み出したのよ」


 円理には反論する力が残されていない。

 ただ、岬の説明を受け続ける。


「魔術師の目的は、生物として完全な存在になること」

「生物として完全に……?」

「そう。例えばそれは、不老不死であったり、精神だけの存在であったりする。人魚伝説は魔術師にとって憧れよ。人魚を巡って魔術師同士の殺し合いが起こることも珍しいことじゃなかった。油野養殖には魔術師がいる。その魔術師が一連の事件を引き起こしているんでしょう」


 そしてね、と岬の説明は村木家へと飛ぶ。


「村木家も魔術師の家系なのよ。あなたのお父さんは魔術師として優秀な人物だった。会議は高く評価していたわ。そして、ジョー君はその力を得た。彼の力に対抗できる存在はいない」


 そしてね、と岬の説明は村木家へと飛ぶ。


「村木家も魔術師の家系なのよ」


 岬は人魚塚の伝説に触れる。


「村木家はあの兄妹の直系の子孫なの。あなたのお父さんはその血を継ぐ魔術師として優秀な人物だった。わたしたちは高く評価していたわ。そして、ジョー君はその力を得た。彼の力に対抗できる存在はいない」


 突拍子もない話ばかりが続く。

 それでも、廃病院での出来事を円理は見てしまった。否定する根拠を失った円理は、力なくつぶやくばかりだ。


「兄さんは、なにも言ってくれなかった」

「もしかして魔術的な遺産を継承する時になにか都合の悪いことでもあったのかしら」


 不意にテレビが地方のニュースを流した。この町のことだ。

 燃え上がる火災現場が映し出される。ヘリに乗ったリポーターが語る。


「燃えているのは神室町立病院が前に使っていた建物で、現在は廃墟になっていたそうです。心霊スポットとして知られており、時折、訪ねる人もあったそうですが、その不始末という味方もあります」


 まさか、と円理は青ざめた。

 兄さんは? 二果は? 不安は極限まで膨れ上がる。


「どうなっているんだ? 一体、この町でなにが起きているんだ?」

「おそらく証拠隠滅ね」

「証拠隠滅……」


 一体、誰が? 円理がそう尋ねようとした時、テレビ画面で変化が起きた。


 炎の中から不定形の塊が現れる。体表には無数の顔が浮かんでは消える。炎に焼かれながら苦悶の声を上げる肉塊。アンデッドだ、と円理は理解した。


 肉塊が触手を伸ばした。


「うわぁああ!」


 リポーターの絶叫が木霊する。


 かろうじてヘリは上空へ退避。眼下の肉塊を改めてカメラで写す。肉塊は獲物を求めて執拗に触手を伸ばしていた。このままではヘリが危ない。ヘリ内では、もっと上空へ逃げようとするパイロットと、報道にこだわるリポーターが怒鳴り合っている。


 このままではヘリが食われる。


 激しく揺れながらもカメラはあくまで肉塊に固定されたまま。

 そのとき、肉塊に変化が起きた。触手から急速に崩れていったのだ。これは燃え盛る炎の効果ではない。別の力が働いたいのだ。しかし、その力とはなんなのか円理には想像できない。


「もう、もう嫌だ。誰か説明してくれ」


 円理が力なく悲嘆を漏らした時。

 黒電話は鳴り続けている。円理が出た。


「はい、村木です」

「円理ちゃん? わだし、咲子さきこだ。二果ちゃんが」


 二果。

 その名前が出たことで円理は恐怖した。話の続きを聞くのが怖い。

 しかし、咲子は一方的にまくし立てた。


「町立病院で保護されで手当を受けてんだ」


 恐る恐る円理は確かめる。


「助かるのか?」

「命には別状ねえみてえだ。一体いってえ、なにがあったんだべか。意識もしっかりしでで。円理ちゃん、なにが聞いてねえが?」

「良かった、良かった……」


 急に力が抜けて、円理はへたり込む。

 受話器から咲子がなにか言っている。だが、その声もよく聞こえない。

 茫然自失となった円理に岬が近づいてくる。


「円理さん。会いに行ってあげなさい」

「し、しかし」

「友達なんでしょう? あなたの顔を見れば、きっと喜ぶわ」


 岬が呼んだタクシーに乗り込み、円理は町立病院へと向かった。


 車中で思うのは、二果が無事だったという一事。助かった。二果は助かった。だが、と円理は思う。自分は二果を犠牲にして自分だけ助かろうとした。あの時は仕方がなかった、という考えは理屈だ。自分はしてはらないことをした。そんな自分が許せない。


 二果にどんな顔で会えばいいのだろう?


 車中で揺れる円理はそれだけを考え続けた。このまま病院に着かなければいい。そんなことさえ思った。だが、わずか一〇分でタクシーは町立病院に到着した。円理が気持ちを整理する時間としては、あまりにも足りない。


 それでも円理は二果に会うために一歩ずつ歩き始めた。夜間の病院は薄暗く、人気ひとけが絶えて、行き交う人もいない。


 ふと、明かりがついた病室が見えてきた。

 あそこだ、と円理の足が止まった。震えてくる。

 どうしたら、どうしたらいい?

 円理が迷っていると、廊下に咲子が姿を見せた。咲子が満面の笑顔で円理に駆け寄ってくる。


「ありがとうなあ。こげな時間に来てけっで」


 そう言いながら咲子は円理を病室に連れてゆく。

 病室では、二果がベッドに寝かされて、点滴を受けている。円理を認めると、二果は自由な方の手を上げて笑った。


「や、円理。なんか久しぶりって感じだね」


 いつもと変わらない笑顔に、ずっと緊張してきた円理の糸が切れてしまった。

 はらはら、と涙を流す。

 バランスを崩しかけた円理を咲子が抱きとめる。そのままベッドへと導いた。

 なーんか、と二果が苦笑した。


「ヒーローをやろうとして、かえって円理を追い詰めちゃったかな? 似合わないことはするもんじゃないねー」

「ばか、ばか」


 円理は泣きながら笑った。


 顔を合わせてみれば、いつもと同じ二果がいる。それがどんなにうれしいことか。円理はベッドサイドの椅子に座って、二果と語り続けた。今夜はこのまま病院に泊まることにした。迷惑かもしれないが、二果と一緒にいたい。


 ふと、二果を誰が病院に連れてきたのかという話になった。


「それがなあ。誰だか分かんねんだわ。二果ちゃんはいつの間にか病院のベッドに寝かされでだって話でなあ」


 咲子はそんな説明をした。

 二果がいつの間にか病院に運び込まれていた?

 円理には心当たりがあった。兄さんだ。兄さんは約束を守ってくれた。やっぱり兄さんはわたしのヒーローだ。



 常一は深夜、ひどい臭いをさせながら帰宅した。その臭いをなんと表現すればいいのか。金属やタンパク質がまとめて腐敗したような臭いだ。


 姿もひどい。服はずたになったようだ。かろうじて全裸でないという程度。常一はそんな格好のまま家に上がった。


 家はすっかり静まっている。


 ふらふらとした足取りで台所に向かうと、常一は冷蔵庫を開け、かたっぱしから食い物を漁った。調理する時間も惜しい。生のままでは危険な食べ物でさえ、口に運び、胃に流し込んでゆく。その様子は地獄の亡者を思わせる。


 冷蔵庫の食い物をすべて平らげたが、それでも常一の飢えは納まらない。今度は円理の部屋に向かった。


「円理……円理……」


 うわ言のように妹の名前を呼ぶ。もはや常一には理性はほとんど残っていない。いまは食欲に身を任せるだけだ。


 しかし円理はいない。

 どこだ、どこにいる、と常一は家から出ようとした。

 苦しい。苦しい。いまはそれしか考えられない。


「ジョー君」


 そこへ岬が現れた。

 岬は常一を恐れるでもなく、その腕を取って離れへと導く。


「辛いのね。いいわ、わたしが慰めてあげる」


 常一は欲望のすべてを岬の胎内に放つ。

 許しさえあれば、どこまでも獣になれる。常一はそういう男だ。

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