[3] カメネッツ=ポドリスキ包囲戦(後)

 3月25日、マンシュタインはベルヒデスガーデンにあるヒトラーの山荘に到着した。昼の会議において、第1装甲軍を脱出させる許可を直ちに与えるよう、マンシュタインはヒトラーに進言した。

「このままでは第1装甲軍は敵に包囲され、スターリングラードの二の舞になります。そして、第1装甲軍の壊滅は隣接する第四装甲軍の破滅をも意味します」

 不愉快な決断を迫られたヒトラーは、感情を高ぶらせてマンシュタインを非難した。

「貴官は作戦のことだけを考えておるが、いつも退却ばかりしておるではないか」

 この言葉を聞いたマンシュタインは冷静に、辛辣な言葉を返した。

「総統閣下、このような事態を招いた責任は全て総統ご自身にあります。閣下はこの8か月間、我が軍集団に対して、作戦的に実行不可能な任務を課し続けて来られた。充分な予備兵力も行動の自由も、本官に許可されなかった。もし許可されていたなら、現在のような破滅的状況は回避されていたでしょう。全ては、閣下の責任ですぞ」

 その日の夜、再びマンシュタインを山荘に迎えたヒトラーは態度を改め、第1装甲軍の脱出を承認した。また、第4装甲軍に戦略予備から4個師団(第9SS装甲・第10SS装甲・第367歩兵・第100猟兵)を配属させることを約束した。マンシュタインはヒトラーの提言に意表を衝かれたが、その背後に隠されたヒトラーの真意を知る由もなかった。

 3月26日、第1ウクライナ正面軍の第4戦車軍は、カメネッツ=ポドリスキを占領した。第4戦車軍は第38軍(モスカレンコ中将)と協同しつつ、第1装甲軍の残兵である装備の貧弱な約21個師団に対して緩やかな包囲網を完成した。

 包囲網を最も脱出しやすいのは南翼のルーマニア方面であり、第1装甲軍司令官フーベ大将もその方策を考えていだ。だが、もし第1装甲軍が南翼へ脱出してしまえば、第4装甲軍との間隙はますます開いてしまい、ソ連軍にルーマニアへの進撃を許してしまう可能性があった。

 南方軍集団の情報部はソ連軍の通信を傍受して暗号を解読し、現地の赤軍兵力や部隊配置、補給状況などについて、ほぼ完全な情報を得ていたのである。この情報を基に、マンシュタインはソ連軍が包囲網の南翼に攻勢の重点を置いていること、包囲網の西翼に15キロの間隙があることを掴んでいた。

 何よりも西へ突破することは、ソ連軍に対する奇襲を意味していた。

 マンシュタインは包囲された第1装甲軍に対して、「西へ突破せよ」と命じた。2つの軍団に別れた第1装甲軍は敵の兵力が疎らな西翼から脱出を図り、ドニエストル河に流れ込む幾重もの小川を渡河していった。この間、西翼の第4装甲軍では増援として送り込まれた第2SS装甲軍団が東に向かって進撃した。

 3月29日、第1ウクライナ正面軍はプルート河畔の古都チェルノフツィを奪還し、まもなく第2ウクライナ正面軍との合流に成功した。この時になって、ジューコフはようやく包囲された第1装甲軍が南ではなく西へ脱出することに気づいたが、ただちに西へ差し向ける部隊は手元になかった。

 4月6日、第1装甲軍は第24装甲軍団(シュヴァレリエ中将)と、第4装甲軍の第2SS装甲軍団がストリパ河畔のブチャチで合流した。第1装甲軍の将兵約20万人は脱出に成功したのである。しかしコルスン包囲戦の場合と同じく、第1装甲軍は大量の重装備を遺棄しており、再編が必要な状態に陥っていた。

 1個装甲軍を取り逃がしたとはいえ、ソ連軍のドニエプル河第二次攻勢はカルパチア山脈によって南方軍集団の前線を分断することに成功した。そして、ソ連軍が全く予期していなかった重大な副産物を生む結果となった。

 3月31日、ドイツ陸軍最高の智将と謳われたマンシュタインが、南方軍集団司令官から更迭されたのである。作戦遂行中における総統指令への度重なる反抗と総統に対する批判的な言動が原因だった。

 ホトとマンシュタインという機動戦の名将を相次いで失ったドイツ軍は、もはや怒濤のように押し寄せるソ連軍に対して能動的に対処できる力は残されていなかった。各部隊を占める経験不足の新兵の割合は増加の一途をたどり、東部戦線に展開するドイツ軍の作戦遂行能力は次第に硬直化していったのである。

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