1 祭の知らせ

 学術都市、とはそもそも、研究や学術が産業・文化で大きな役割を果たしている都市のことである。グランドル王国西部、ヴェローネルでは、おもに大学や学校が街の産業に大きな影響を与えていることは、いうまでもない。――そもそも、今のルヴォーちょうになってから、国をあげて大学を集めた街をつくろうという計画が持ち上がり、そうして成立した都市が、ヴェローネルの原型なのだ。

 そんなヴェローネルでは当然、学生や研究者を狙った商売が発展している。学びのみちと呼ばれる学生街の手前に小ぢんまりと佇む本屋も、その一部といえた。わざと大学が休みの日に店開きをして、学生が立ち寄りやすいようにしているらしい。しかし、今日は多くの大学が休みの日であるにもかかわらず、店は休みである。人の気配はあるものの、扉には『休業』の看板がぶらさがって、寂しい音を立てている。そして、軒先では、店主の男が所在なげに立ちつくしていた。黒髪には白髪がまじり、顔のしわが深さを増す彼は、来月で四十五になる。だのに、落ちつきなくあたりを見回す姿は、十代の少年のような頼りなさがあった。

 ややして、扉が開いた。店主は、はっ、とそちらを見る。あいた扉のむこうから、書物の山がぬっと出てきた。正しくは、書物の山を抱えた人が出てきた。店主の年齢の半分にもいっていないような、若者だった。彼はかけ声とともに腕に力をこめると、書物の山を店の外に置いた。本など見慣れているはずの店主が、おお、とこぼして後ずさりする。

「おい、ロト。そんなにあるのか」

「こんなにあったよ。先代ってのは、どんだけ魔術好きだったんだ? いや、魔術好きはいいんだが、ちゃんと処分しておいてほしいもんだ」

「まったくだぜ」

 若者のとげの混じった物言いに、店主も苦笑し両手をあげる。若者、すなわち『ヴェローネルの便利屋』と呼ばれるロトは、古い書物の山を見下ろすと、腕まくりをした。

「よし、やるか」

 彼が呟いたそのとき、彼の名を呼ぶ声がした。「遅くなってごめん!」と言いながら、一人の女性が駆けてくる。

「応援も来たことだし」

 ロトは、小声で付け足した。

 長い髪も、膝下まである衣も黒いその女性は、鮮やかな瑠璃色の瞳を見開いた。

「うわー、何、この魔術書の山! これ全部、方陣消すの?」

「消さないと危ないだろ。頑張りどころだ、ネサンの弟子」

 青年の皮肉めいた物言いに、女性、つまりマリオンは、ちょっと顔をしかめた。


 魔術書というものがある。多くは、古い魔術を行う手順を書いた書物なのだけれど、多くの方陣を記録した書物のことも魔術書と呼ぶ。

 この日、便利屋のロトが請け負ったのは、こうしゃの魔術書に関する依頼だった。店主からの依頼で、本屋の倉を整理していたら、先代のものと思われる古書が大量に出てきた、魔術書らしきものも混じっているから対応してほしい、という内容である。

 古い魔術書の場合、中身の方陣が中途半端にかすれていたり、汚れていたりすることがある。放置していると術が暴走しかねないので、それを防ぐために、書物を処分する前に、中身の方陣を消すのがふつうなのだ。つまりロトは、この方陣を消す作業をすることになったのだった。ちょうど、マリオンがヴェローネルにとどまっていたから、手伝いを頼んで――さっそく二人は、仕事にかかったのだった。


 作業は朝から始まって、昼過ぎまでかけてようやく終わった。途中から、知り合いの少年少女や薬屋までが、親切半分面白半分で作業に加わる始末である。ヴェローネルの魔術師を総動員した、といってもよかった。ともあれ無事に、古書は処分に出せるようになり、魔術師たちは報酬やちんを受け取って解散した。


「あーあ……疲れた。あの作業は、本職の人でも緊張するだろうな」

 マリオンが、あくびを噛み殺しながら呟く。ロトは無言でうなずいた。二人は今、商店街を並んで歩いている。昼時を過ぎた通りは、春のあたたかな日差しを受けて、まどろんでいる。品物を並べるしょも、客を待つ商人のまばたきも、心なしかいつもより気だるげに見えた。

「ま、無事に終わったんだ。ひとまず当分、こんな依頼は来ないだろうし。それより、付き合せて悪かった」

「え? そんなの、気にしなくていいわよ。疲れたけど、楽しかったし。だいたい、まだここにいるのは、あんたが無茶しないか見張るためだし」

「……そうかい」

 ロトが顔をしかめると、マリオンは反対に、軽く笑い声を立てた。

「それにしても、便利屋って本当、いろんなことやるのね」

 感心したふうに呟いた彼女は、それから、ロトの腕にしがみついた。

「ねえねえ、ほかにはどんな仕事するの?」

「あー? そうだな、この時期だと……」

「――あ、いたいた!」

 幼馴染の質問に答えようとしたロトの声は、別の人の声にさえぎられる。快活な一声は、静かな通りによく響いた。

「ロトさん、探しましたよ。いや、今日中に会えてよかった」

 反対側から駆けてきたのは、やたら明るい男だった。顔立ちこそグランドル人には珍しくもないものだが、彼がまとっているのは、やたら質のいい服だった。人々がひそかに黒服と呼んでいるそれは、明かりを受けて、てらてらと光っている。

「ほーう。役人さんが、今日はいったい何の用だ?」

 ロトは、わざと意地悪く言い放つ。市庁舎職員との関わりは多いが、彼らがからむとだいたいろくなことにならないのだった。すぐにでも「帰れ」と言いだしそうな青年を前に、けれど今日の職員は、人のよい笑みを崩さなかった。

「まあまあ、そう威嚇なさらないでください。あ、それと、いつも先輩がすみません。見かけによらず迷信深くて、呪いとか怖がってるんですよね、たぶん」

 彼の言葉に、ロトとマリオンは顔を見合わせた。それから再び、ロトはにこにこしている職員に目を向ける。

「あんたの先輩って、あの鉄仮面か。まあ、それは別にいいよ。それよりご用件は?」

「そうそう」

 職員は、明るい声とともに両手を打った。

「今年のほむらまつりの日程をね。お知らせしにきたんです。市庁舎前に張り紙してた期間、あなたを一回も外で見かけなかったので、念のため」

「……ああ、そんな時期だな」

 職員が、はいー、と言った。マリオンは首をひねる。

「ほむら祭?」

「この時期にヴェローネルでやる数少ない祭。街のどまんなかで盛大に火をいて、それを囲んで踊ったり歌ったりする」

「陽気なお祭りですよ。ヴェローネルには珍しく」

 青年の説明に、職員がしれっと付け足した。市庁舎の人間がそれを言っていいのか、とロトは思ったが、言わずにおく。一方のマリオンは、火か、などと呟いて、難しい顔をしている。

 沈黙したマリオンをよそに、職員はロトに話をはじめた。

「今年のほむら祭は四月十八日に行いますー。だいたい二週間後ですね」

「そっか。それで広場に丸太が積んであったのか」

「はい。もう設営は始まってますんで」

「で、俺はまた、力仕事を手伝えばいいのか?」

「そうですね」職員はうなずいてから、言葉を切る。そして、思い出したように、顔の前で手を振った。

「あ、でも、無理にとは言いません。任意ですよ、任意」

 あせったような口調だった。いぶかって、青年は首をかしげる。

「なんだ。えらく気ぃつかうな」

「ええ。薬屋さんからうかがいましたけど、ロトさん、病み上がりなんでしょう?」

 ロトはまばたきし、それからゆっくりうなずいた。ようやく納得する。病み上がり、とはつまり、先日まで意識不明で生死の境をさまよっていたことを言われているのだ。原因は単に魔力の使いすぎだが、はたから見れば重病人に見えただろう。ルナティアの助けがなければ確実に死んでいたのだから、危ない状態だったのも確かだ。

 それでも、ロトはかぶりを振った。

「気にしなくていい。今は仕事ができるくらいまで回復したからな。今年もありがたく参加させてもらう」

「ありがとうございます」

「礼はいらんさ。こっちにとっても、大事な収入源なんだよ」

 ロトが冗談めかして言うと、職員は少年のように笑った。

 お礼とともに去っていく職員を見送ってから、マリオンが、ぽつりと呟く。

「十八日かー」

「……確か、四月いっぱい、いるって言ってたよな」

 ロトは、急に静かになった幼馴染を一瞥いちべつする。彼女は、うん、とささやいた。三つ数えたあとにうなずいた彼女は、唐突に、ロトを見上げてきた。

「ねえ。その手伝い、あたしも参加していい?」

 虚を突かれて、青年は目をみはる。マリオンの表情がいつになく真剣だと気づくと、ほろ苦い笑みを広げた。

「別に、俺は構わねえけど。どうしたんだ、急に」

「便利屋さんの仕事、もうちょっと見てみたいからね。それに――」

 マリオンは、ほの暗い笑みを口もとにいた。

「いい加減、火嫌いを治したいと思ったのよ」

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