3 双子の姉弟

 日が傾きはじめた頃、店の奥から、きゅうううん、という鳴き声がした。セオドアと向かいあって話しこんでいたロトは、突然聞こえてきた甘ったるい声に驚いて、顔を上げる。隣で座っていた娘も、椅子を鳴らして立ち上がった。

「レーシェ!」

「馬鹿、こんなところで走るな。転ぶぞ」

 目を輝かせ、走り出そうとする娘を、ロトは慌てて止める。そわそわしている彼女をなだめながら、無造作に置かれている木箱をまたぎ越えて、仔狼がいるはずの小机の方へ急ぐ。横からひょっこりと、セオドアもついてきた。

 灰色の毛玉が目に入る。ロトがそう感じたときには、すでにその『毛玉』は動いていた。小机を飛び降り、転がるように娘の方へと突撃をかます。彼女はたたらを踏みつつも、魔物の仔を受けとめた。灰色の狼は、娘の顔に鼻をこすりつける。

「レーシェ、よかった。元気になったのね」

 娘は灰色の毛に頬をすり寄せ、くしゃくしゃになでる。

 微笑ましい光景を離れたところから見ていたロトとセオドアは、目を合わせて苦笑した。

「早かったな」

「ああ。すげえ回復力だぜ。さすが魔物、というべきかね」

 ロトの呟いた一言に、セオドアは頭をかきながら答えた。

 

「ありがとうございました」

 薬屋の戸口で、娘がたどたどしい感謝の言葉を口にした。魔物の仔レーシェはというと、ロトの足もとでぶんぶん尻尾を振っている。

 恐縮しきりの娘を前に、セオドアが歯を見せて笑った。

「いいってことよ。今後は毒矢に気をつけとけ」

「はい」

 強くうなずいた娘の頭をいささか乱暴になでると、セオドアはさっさと自宅へひっこんでしまった。扉の閉まる音を、肩をすくめて聞いたロトは、そばの狼を気にしつつ、『彼』の主人を見る。

「よかったな。送っていこうか?」

「いいえ。そこまでお世話になるわけにはいかないです」

 娘は、顔の前で両手を振る。ロトが「そうか?」と返して首をひねれば、彼女は眉を曇らせて、石畳に伸びる自分の影をにらんだ。

「あの、お礼がしたいです。けれど、私、お金というものを持っていないのです」

「そんなの気にすんな。テッドだって金取るつもりでやったわけじゃないだろうし、俺なんて道案内しただけだ」

「でも」

 娘は何かを言いたそうに、唇を動かした。眉間にしわを寄せたロトは、どうしたもんかと頭をかく。

 そんなときだった。閑散とした商店街にそぐわない、せわしない足音が近づいてきたのは。いち早くそれに気づいたレーシェが、耳と尻尾をぴんと立てた。ロトも顔を上げて、元来た道をにらむ。道の先、点のように見えた人影が、あっという間に迫ってきた。


「サリカ!!」


 叩きつけられた怒声は、少年のものだった。二人は反射的に顔をしかめ、レーシェはぴくんと震えて後ずさりした。

 間近で浴びせられた、怒鳴り声。ロトは、声の主をまじまじと観察した。声を荒げ、肩で息をしていたのは、予想どおり少年だった。とはいっても、子どもと大人の境くらいの年齢であるらしい。娘と同じ、風変りな毛皮の衣をまとい、黒髪は短く切りそろえている。彼の端正な顔を見て、ロトは息をのんだ。思わず、娘を振り返る。

――それほどまでに、二人は似ていた。

 当の娘はというと、少年の姿に気づくと、唇をとがらせた。ふてくされたような表情をはじめて見たロトは、またも驚いて固まる。その間にも彼女は、少年の方へ顔を突き出していた。

「シオン、うるさい。まわりの人もレーシェも、驚いてしまうじゃない」

「驚いたのはこっちだ、馬鹿姉! また勝手に街に出て! しかも、具合の悪いレーシェまでひっぱりまわして、どういうつもりだよ!」

「そのレーシェを治してもらうために街に来たのよ。よくしてもらったわ」

 シオンというらしい少年は、切れ長の目で石畳をずっとにらむ。その向こう、主人と青年の間を行き来している灰色毛玉に目を止めて、ぽかんと口を開けた。

 レーシェは主人の弟に気がつくと、豊かな尻尾をふさりと振る。

「本当に元気になってる……」

「でしょう?」

 娘は得意気に胸を張り、魔物の仔をわしわしなでた。少しして茫洋としていた瞳に理性を取り戻したシオンは、ようやく、自分たちを傍観する青年の存在に気づいたらしい。彼も、小さな黒茶の瞳が自分の方を向いたので、顎を少しだけそちらへ動かした。

「誰だ?」

 短く問うた声には、どす黒い雨雲のような険しさがにじんでいる。ロトは、暗雲を払うように、ひらりと手を振った。

「この街で便利屋をしている者で」

 清々しいほど凪いだ声を投げかけたロトは、それきり沈黙した。眉間に深い縦じわを刻んだシオンは、娘――サリカを一瞥した。

「ほんとの話。薬屋さんを教えてくれたの」

「街の男についてくなって、長老たちがいつも言ってるじゃないか」

「でも、いい人だわ」

「サリカはなんでもかんでも信用しすぎ」

「いい人よ。レーシェに近づいてくれたし、私のことにも気がついた」

 サリカが後ろで指を組み、足をふらふら動かしながら言う。その一言で、ゆらゆらと不安定に続いていたやり取りが、終わった。シオンははっと息をのみ、ロトとサリカを見比べる。そして最後に、地面を見た。主人に触ってもらった魔物の仔が、今度はロトの方にすり寄っていっている。それまで二人の応酬を見守っていたロトは、足にすりつくぬくもりに気がついて、視線を落とした。光の加減で色の変わる、つぶらな瞳を見おろして、気まずさに眉をひそめる。

「そんなになついても、飯はやらねえぞ」

 そっけなく言ってみたが、仔狼は離れなかった。尻尾を振りながら、じっと何かを待っているようである。ロトはしかたなくしゃがみこみ、毛に覆われた首もとをこりこりとなでた。狼は、まるで犬のように喉を鳴らす。そうしていると、娘の声が聞こえてきた。

「ほら、レーシェだってあんなになついているわ。森の主のことを信じなくてもいいの、シオン」

 サリカが歌うように言えば、シオンは聞き惚れてしまった聴衆よろしく、それきり何も言わなくなった。相手からの反論がやんだところで、サリカはロトの方へ、とてとてと、歩み寄る。

「驚かせてごめんなさい」

「いや、別にいいけど……」

 立ち上がったロトは、改めて、笑顔の娘と、ふてくされている少年を見比べた。

「ひょっとして兄弟か」

「そうなのです。双子の弟」

「双子か、どうりで」

 ロトは、気取られないように相手の横顔をながめる。彼はまだ未成熟なのだし、髪をのばしたら今度こそこのと見分けがつかなくなる――などと考えていた。くだらない思考を打ち消して、軽くかぶりを振ったロトは、それからまた彼女を振り返った。

「迎えが来たんならちょうどよかったんじゃねえの。二人で帰れよ」

「……そう、かも、ですが」

「なんですねてんだ?」

 ロトは、仏頂面になった娘を呆れてながめる。一方、彼女の双子の弟が、青年の声を聞きつけて、目を見開いた。

「そうだサリカ。用事が済んだならなおのこと、早く帰ろう。村の衆が慌てていた」

「大丈夫だって言ってるのに」

「前向きなのはいいけど、突っ走りすぎなんだ。もっと自分の体のことを自覚しろ」

 弟にぐいぐい腕をひっぱられた娘は、「はーい」と幼子のような返事をした。主人たちが場を離れることに気づいたのか、灰色の狼が彼らの方へ駆けもどる。騒がしい双子を見やり、ロトは軽く手を振った。

「気をつけていけよ」

 はい、と言った娘はそれから、「あ、そうだ」と大声で叫んだ。固まる少年と青年をよそに、前のめりになる。

「私はサリカ、こちらはシオンです。……あなたは?」

 小さな目が、自分を見ていることに気づいたロトは、ああともええともつかない声を出す。間抜けな声をごまかすように、咳払いした。

「――ロトだ」

「ロトさん、です? わかりました。またお礼にきます!」

 サリカは明るい言葉を残すと、シオンに引きずられながら去ってゆく。それをレーシェが、元気に追いかけた。遠ざかる影を見送って、ロトは乱暴に頭をかいた。

「礼なんていい、って言ってるのに」

 ため息混じりの呟きを聞いた者はいない。ただ、生ぬるい空白だけが通り抜けていった。


 扉が叩かれたのは、太陽が地平から空へと顔を出しきり、地上に惜しみなく光を振りまきはじめた頃だった。ロトは、窓から容赦なくさしこむ白光に目を細めつつ、戸口に向かう。歩きながら、首をかしげた。ほとんどの来客は呼び鈴を鳴らすものだから、こんこんと戸を打つ軽い音を聞いたのは、ずいぶん久しぶりだった。

 無意識のうちに飛び出そうになる吐息をのみこみ、いつものように扉を開き、いつものように出迎えの言葉を出そうとする。けれどその口は、音をつむぐ前に固まった。

――最近、なんだか、客に驚かされることが多い気がする。

 当の客を前にして、ぼんやりとそんなことを思ってしまうほどには、動揺した。

 朝の光を浴びながら、閑静な路地に立っていたのは、風変りな毛皮の衣をまとった男女である。足もとには、ちゃっかり、狼型の魔物の仔まで座っていた。『彼』はロトを見るなり、ぶん、と尻尾を振った。

「……何しに来た」

 唖然としたロトは、朝の挨拶もそこそこに、低い声をしぼりだす。二人の来客のうち、片方は恥ずかしそうに笑い、片方はそっぽを向いた。

「お礼をしに来た、です」

 中途半端なグランドル語には、妙な力というか、自信がみなぎっている。ロトはとっさに返事ができず、片手で頭を押さえた。

 どうやってここを突きとめたか、などという疑問は口にするまい。おそらくは、モーガンかセオドアあたりに尋ねたのだ。この街で『ロト』といえば彼ひとりであるから、便利屋を知っている人ならば、簡単に場所を教えてしまうだろう。

 ロトがとりとめのない思考にふけり、押し黙っている間に、サリカの言葉が続く。

「私たちは、『お金』を使わないです。なので、どんなお礼がいいか一生懸命考えたです。そして、決めたのです」

 サリカは、半歩踏み出し、色のついた右手を、青年の方へまっすぐにさしのべた。

「ロトさん。私たちの村に、来てください」

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