3 安らぎのなかの
「これでよし、と」
天井に向かって立ちのぼる光を見てから、マリオンはほほ笑んだ。彼女に腕を差し出していた若い男が、ほっとした表情になる。
「いや。本当にありがとう。一時は、どうなるかと思ったよ」
「早く来てもらえて、こちらも助かりました。魔力と体が同化してからだと、元に戻すのが大変なので」
「最悪、一生石の腕という可能性もありました」と彼女が言い放つと、男は「おお怖」と肩をすくめたが、その後には声を立てて笑っていた。石のような色形からもとの肌へ戻っている腕を見て、本当に安心したのだろう。
お礼を言って出てゆく客を見送った後、マリオンは道具の片づけをした。それが全部終わると、町へ出る。さりげなくあたりを見回して歩いていると、小さな民家の軒先に婦人と青年の姿を見つける。マリオンは足を止めた。
青年は、白い手を彼女の足に添えていた。目をこらせば、光が薄く、煙のようにたなびいて、天へ昇っていっている。
青年が手を離した後、二人は少し会話をしていた。話が済むと、婦人は笑顔で青年に手を振って、民家の中へ入ってゆく。扉が閉まる音がした。マリオンは、残された彼の方へ歩み寄り、肩を叩く。彼は、びっくりした様子で振り返った。名前を呼ばれて、女魔術師はにっこり笑う。
「お疲れ様。そっちは、どうだった?」
「ああ――なんとか全員さばけた。表出した呪いを消すのって、しんどいな」
「あたしの苦労がわかったか」
マリオンが胸を張って言うと、青年――ロトは、肩をすくめた。
人々が石になる、という奇怪な事件が国じゅうで起きはじめてからしばらく。事件じたいは、数日前、魔女の呪いに振りまわされていた女性が国に保護されたことで、ひとまずの決着をみた。ただ、その後大きな問題となったのが、石に変えられた人々をどうするか、ということだ。
それを伝え聞いたとき、マリオンもロトもすぐに手を打った。人脈を活用し、「自分たちは石化を治せる」と、わざと大きく宣伝したのだ。結果、住所をあわせて触れまわっていたマリオンのもとへ続々と人がやってきた。ロトも、すぐ応援に来てくれて、今に至るというわけだ。
本当に疲れた顔をしている幼馴染を連れて家に戻ったマリオンは、彼にお茶を出すついでに、自分も休憩を入れることにした。カップに口をつけながら、青年の様子をうかがえば、彼もまた茶をすすっているところだった。深海色の瞳が、虚空に見えない軌跡を描く。
「どうかした?」
なんとはなしに、問うてみる。するとロトは、頬をはたかれたかのように目を見開いてから、気まずげに顔を伏せた。最近は影をひそめていた悲痛な傷が、整った相貌にのぞく。だいたいを察したマリオンはけれど、黙って答えを待った。
「あいつは――父親への見せしめとして呪いをかけられた、って言ってた」
彼は、カップを皿の上に置く。かたい音をかき消すように、息を吐いた。
「俺は、なんで呪われたんだろうな」
それもあるいは、呪いによる副作用のひとつなのかもしれない。マリオンはぼんやりそんなことを思った。
『
だからこそ――
「それも含めて、今、研究中でしょう。魔女の意図なんて全然想像もつかないし、わかってもわからなくても腹立たしいくらいだけど。でも、意図がわかれば、あるいは解呪につながる手がかりが得られるかもしれない。そう思って、今、頑張ってるんじゃないの。だったら、くよくよ考えててもしかたないわ」
マリオンがあえてさっぱり言うと、ロトは目を瞬いた。瞼を下ろして沈黙し、苦みのまざった笑みを広げる。
「そう、だな。悪い。なんか感傷的になっちまって」
「……ま、たまにはいいでしょ。今回は事件の中身が中身だしね。やりきれないのはわかる」
マリオンは茶器を机に置いて、手を伸ばした。反対側にいるロトの頭を軽くなでると、彼は珍しくうろたえる。
「おい、何すんだいきなり」
「いやあ。最近お姉さんっぽいことしてないなーって」
「そういうこと、気にする歳じゃなくないか」
「いいじゃない」
その後もロトは文句を言ってきたが、マリオンは取り合わなかった。「えらいえらい」と言いながらなでていると、彼は観念したのか、ため息をつく。
大人びた態度なのに、その姿は少しだけ、かつての男の子と重なった。マリオンは懐かしさに目を細める。
もう、彼も自分が守るべき弟というだけではない。彼は今でも、じゅうぶん選んで、もがいて、自分の足で歩いている。そのことに気づいているから、面影を見いだして安堵するのだろう。
浮かんだ思いは棘となって、マリオンの胸を刺す。けれど、かすかな痛みを顔に出しはしない。
いつもの笑みの裏で、自分は自分の足で歩けているだろうか、と、考えただけだった。
「さて。もうそろそろ、帰り支度を始めたら?」
「そんなに急がんでもいいだろ。どうせ、馬車に乗るの明日だし」
「ふふっ。戻ったら、あの子たちの面倒いっぱいみてやんなさい」
「……あいつら、次はどんなぶっ飛んだ話を持ち込んでくるのやら」
昔から変わらないやり取りの中にも、ほんの少しの変化がある。変化の中の幸福に、彼は気づいているだろうか。気づかせてあげられるだろうか。
『ポルティエの魔女』と呼ばれながらも、魔女と呼ぶには優しすぎる魔術師は、そうして今日も一人を想ってほほ笑むのだ。
彼は暗いものを見続ける。
だからこそ、彼女が灯火を掲げ続ける。
天才と名高き魔術師相手に長らくごねて、弟子入りをしたのもそのためだった。
いろいろあって忘れかけていたものが、心の中に湧き出てくる。
彼が影と寄り添わなければならないのなら。自分は光になればいい。
果てのない漆黒の中でも、決して見失うことのない、強い光に。
それは、幼い日の、失意の一瞬から消えることなくあり続ける、強い想いのひとつである。
(完)
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