12.笑う獺


 月が出ている。

 すっかり暗くなり始めた宵の街外れを、風呂上がりのシャーとアイードは歩いていた。

 温まってきたばかりとはいえ髪の毛が濡れたままなので、ひんやりとした空気が妙に肌寒く感じられる。

「ったく、カワウソ兄さんが風呂なんて行くから、すっかり暗くなっちまった」

 シャーは不満を口にするが、アイードは悪びれた風もない。

「いいじゃないですか。サッパリして気持ちいいじゃないですか? どうせ、これからリーフィちゃんとこの酒場に行くんでしょうし、ちょっとおめかししてった方がイイんじゃないです?」

 アイードはにやっと笑ってこう付け加える。

「こういっちゃなんですけど、お坊ちゃんは濡れ髪の方が多少イイ男っぽく見えますよ。色気マシマシって感じで……、いやなんていうか、カラスの濡れ羽色っていうか……」

「何がカラスだ?」

「い、いえ、気に食わないなら黒猫さんとか……」

「つーかさあ」

 シャーは冷たく視線を背後に向けつつ言った。

「お前のおべっかは、ほんっとココロにひびかねーな」

 突き刺さすように言い捨てて、シャーはさくさくと速度を上げつつあきれた様子で言う。

「もうちょっとマシなこと言ったらどうなのさ」 

「は、ははは、なかなか厳しいことをおっしゃいますねえ、殿下」

 つい殿下などと言ってしまいつつ、アイードは冷や汗をぬぐう。

 それに突っ込みをいれることもなく、シャーは釈然としない様子でため息をつき、

「で、ジャッキールのダンナっぽいの、あの通りでいるって噂、信頼度高いわけ?」

「お疑いです?」

 アイードは苦笑しつつ、

「俺の持ち出した情報、意外と今まで正確だったでしょ? まあまあ、明日そっと回って見ましょうよ」

「うーん、まあそうなんだけどさ。いや、でも、確かにあのオッサンに限って、そんな年ごろの女の子のいく街にいるってのは、さすがに考え付かなかったんだけど……」

 シャーはため息をついて、月を眺める。

 そうか、今日は満月だ。

 ジャッキールは、満月にちょっと調子が悪くなることが多い。そう考えると、やけになっていないか心配にもなろうものだ。シャーには、アイードののんびりとした態度がもどかしく思えていた。

 と、不意にシャーは足を止める。

 浴場から出て酒場までの道。途中、人気のない寂しい道を通るが、特にここはがらんと道が開けている。そして、人の気配がまったくなく、あたりは静まり返っている。

「どうしました?」

 アイードがそう尋ねてきたがシャーは直接答えない。

 先程から違和感は感じていた。何者かに囲まれているという気配は感じていたのだ。しかし、今は顕著に殺気を感じる。相手との距離が近くなっている。

「アイード。気ィつけろ」

「へ?」

 シャーがボソリと囁いた。

 不意に空気が動く気配がした。はっとシャーは飛び退く。

 暗闇から人影が踊り出る。月明かりに白い刃物の光が冷たく光る。シャーは身をそらしながら抜刀し、そのまま相手の刃物を跳ね上げる。

 甲高い鉄の噛みあう音が響き、シャーはそのまま相手を力任せに振り払う。ざっと敵は闇の中に再び姿を消すが、今度は気配を消そうとはしなかった。

 数名の人の気配が、闇の中にうっすらと浮き上がっている。

「ちッ。ったく、なんだよ!!」

 シャーは不機嫌に吐き捨てる。

「刺客っぽい雰囲気ですね」

 こんな場面にいたっても、アイードはのんびりとした調子だ。

 荒事を嫌う彼は、突然の戦闘の気配にうんざりとした様子にはなっていた。どうも緊張感が足りていないが、それでも一応腰の剣の柄に手をかけている。アイードが普段帯刀している剣は、水夫たちが使うようなやや短めの曲刀だった。

 しゅっと空気を切り裂く音が聞こえた。まだアイードは剣を抜いておらず、逆にシャーのほうがそれに反応して剣を振るう。キーンと音がして地面にたたきつけられたのは短剣だった。

「アイード、さがってろ!」

 シャーは、一度アイードを見やる。

「お前、風呂屋まで戻ってろ!」

「え。えええ? いやしかし……」

 唐突にシャーにそんなことを言われ、アイードは戸惑った様子になった。

「お坊ちゃんを守るのが、俺の役目ですからして……」

「お前がいると気が散ってやりづらいんだよ!」

 シャーはそう言い放って、飛びかかってくる刺客たちに剣を振るって牽制する。

「い、いやあ、でも、で……じゃなくてお坊ちゃんを置いていくのは、さすがにどうも……」

 シャーはやや苛立った表情を隠さない。

「そんなに気にするんなら、誰かココに連れて来い。こいつらは、絶対人が多いところじゃ襲ってこねえんだからよ……っと!」

「うひゃあ」

 飛びかかってきた刺客をかわすのに、シャーはアイードを突き飛ばしつつ、うまくいなす。刺客を剣の柄で張り飛ばしながら、シャーはぎらりとアイードを睨んだ。

「コイツら、どうせ女狐のとこの犬だ。でも、お前がいると気が取られて厄介なんだよ! 自分の身だけなら守れるんだろ? オレは守ってやれねえぞ」

「そ、そう、ですかぁ」

 アイードは苦笑した。

「そんなにお邪魔でしたら、それではお言葉に甘えて、援軍呼んでくるようにしますよ」

 そういってアイードは剣を抜かないまま、後退姿勢にはいったがシャーから返事が来なかった。

 代わりに気合の声と共にざっと土を踏み、自分から刺客達の隠れる闇に踏み出していく。キンという冷たい鋼の打ち合う音が響き、闇の中に火花が散る。最初から刺客はシャーだけを狙っているらしく、アイードを襲う気配はなかった。

 ふう、とアイードはため息をつく。

「それなら、ま、そういうふうにさせていただきますよ」

 アイードはそうつぶやくと、踵を返して今まで来た道を戻り始めた。

「ったく、あの腐れ三白眼が」

 背後で戦闘の気配を感じつつも、のんきにぶつくさいいながら、アイードは来た道を返していく。

「人のこと足手まとい呼ばわりとは、大概じゃないか。俺だって一応七部将の一人だってわかってるくせにさあ! 自分の身ぐらい守れとか、なんなんだよ」

 そう吐き捨てて、ふうとため息をつく。

「まあ、いいんだけどね。どうせ一人でも大丈夫だろうし、暗殺専門みたいな連中相手にするのは、俺はアンタほど得意じゃないから、どっちかてえと、”こっち”担当の方が御の字なんだよね」

 はたと立ち止まったアイードの前から、人の声が聞こえた。

「こっちから、来てる奴のことは、アンタどーせ気づいてないんだろうしさあ」

 アイードは苦笑する。人の気配は近づいてくる。その話の内容が、とぎれとぎれに耳に入ってきた。

「しかし、連中、信用できるんです? 挟み撃ちするとかなんとかいって」

「しらねえよ。だが、アーノンキアスの兄貴がそういうんだから、俺達に選択権はねえだろ」

 十人ほどの男たちが路地の暗闇の中から姿をあらわした。

 水夫らしい屈強な男たちだが、一人特に体格の良い男がいる。まだこのあたりは船着場から近く、水夫がうろついていても何もおかしくはないが、彼らは少し柄が悪く素行がよくなさそうだった。

 彼らはふとアイードの姿を目に留める。

「兄貴、例の男といた赤毛のやつですよ!」

 と、弟分らしい小男が声を上げた。

「おう! お前、一緒にいた三白眼の野郎はどこだ?」

「ちょ、ぶしつけにいきなり何なんだい?」

 いきなり凄まれてしまい、アイードは思わず苦笑いだ。思っていたより展開が急すぎるが、あわてても仕方ないけど、アイードはゆったりと構えることにした。

「なんだかわからないけど、お前さんたち、俺に何か用があるみたいだよね?」

 アイードは懐に手を突っ込んで財布から紙幣を引き抜いた。

「良かったら、金で解決しないかい?」

「はあ? なかなかおもしろいことを言うな、あんた」

 いつの間にかアイードは囲まれていた。ずいと兄貴分が顔を近づけ、アイードに凄む。

「いや、アーノンキアスとかさっき名前を聞いたから。アーノンキアスの親分のところの方なら、ちょっと話も通じるかなって思ってね。今日のところはこれで帰ってくれないかな? 俺、風呂上がりでね、汗かきたくないんだよ」

 アイードはやや気圧されつつも、人好きのする笑みを浮かべて紙幣を差し出す。と、小男がそれをすっと引きぬいた。思わずアイードは、ちょっと、と声を上げる。

「これっぽっちで、うちの兄貴を買おうってのか?」

「い、いやあ、足りないってんなら、後日追加して払うけどさ。暴力沙汰より、金で解決したほうがいいかと思ってね」

「暴力沙汰にねえ」

 ニヤニヤしていた兄貴のほうが、不意に表情を変える。がっとアイードの胸ぐらを掴み、彼は笑った、

「俺も穏便に解決できりゃいいんだけどよ、実は、お前と三白眼の奴をボコボコにのして連れてこい、っていわれてんのさ、兄貴から」

「へ、へえ、ざ、残念だなあ。俺、人から恨み買う覚えはないんだけど」

 アイードは、やや笑みを引きつらせつつ、

「いやさあ、そこんところをお金の力でどうにか……、ならないかなあ? あ、なりませんね。ハイ」

 どうみてもなりそうにない顔をした男たちに囲まれて、アイードは思わず苦笑いだ。

「本当、勘弁してくれよ。風呂上りだからさ、服も汚したくないし、汗もかきたくないんだってば。勘弁してくれってば」

 その様子を見て、兄貴分の男が思わずにやりとした。

「まあ、多少もらったんだから、手心ぐらいは加えてやってもいいぜ。武器は使わないでおいてやるし、俺一人でやってやるよ」

 兄貴分がそういうと、男たちが囲みを緩やかに解いた。

「やれやれ、結局汗かいちまうじゃねえか」

 アイードはため息をふかぶかとつく。

「それに、ステゴロか」

 ぼそりとつぶやいた彼の言葉を耳にしなかったのか、兄貴分は早速笑いながら拳を振り上げる。アイードはそれを冷ややかに見やった。

「久しぶりすぎてやり方忘れてるかもしれなくてさあ。気乗りしねえな、まったくよ」

 ふっとアイードは、彼らしくもなく唇を歪めて静かに笑った。



 *



 船着き場の近くの酒場は、足止めを食らっている船乗りたちの姿が目立った。

 とはいえ、活況という様子でもないようで、少し大きなこの酒場にも、なにやら官憲らしいものがぞろぞろと訪れて、何やら首実検している様子なので、飲んでいる客もおとなしくしている。

 彼ら二人も目立つ人間には違いなかったが、どうやら探しているのは船乗りの類らしく、どう見ても船乗り風ではないこともあってか、意外にもあっさりと解放されていた。

「しかし、ものものしいな」

 ザハークがぼそりというと、向かいの席にいた蠍のジュバがにやりとした。

「ああ、ファザナー将軍の手のものさ。ここいらはあいつの縄張りだからね」

 ささやくように蠍のジュバが言った。

「もともと、運河と両側の河口周辺はファザナー一族の縄張りだったからな」

「ほう、そうなのか」

 軽く相槌をうつと、ジュバはうなずく。この間まで、まったくこの王都のことを知らなかったジュバだが、住み着いてからずいぶん情報を集めたようで、今やその知識はザハークをしのぐほどだ。

 ジャッキールを探しながら船着き場などをうろついていたザハークだが、いい情報が全く得られずに途方に暮れていた。夜には酒場でシャーやリーフィと情報交換を行うのだが、あの三白眼にしても有効な情報をつかんでいないように見える。

(まったく、普段は他人にさんざん落ち着きがないだの言うくせに、自分の方が落ち着きではないではないか)

 ザハークは珍しくくさくさした気分になりつつ、ふと思い立って知人の蠍のジュバを頼ることにした。ザハーク自身は、底知れない部分はあるにせよ、本人自体は愛嬌もあるので傭兵仲間もそれなりにはいるのだが、人付き合いの苦手なジャッキールに好意的な古くからの仲間というのは少ない。その点、蠍のジュバは、彼にも割合好意的な変わり種といえる人間だ。情報通でもあり、ジャッキールの情報を聞き出すには適役だった。

 蠍のジュバがハダート将軍に仕えていることはジャッキールから聞いていて、連絡手段もわかっていた。呼び出してみると、主人のハダート将軍がいなくてヒマだったこともあり、すぐに応じてきて会うことになったのだ。

 ザハークは宗教上の理由もあってあまり酒をたしなむことはなく、今日も珈琲をすすっていたが、ジュバは遠慮なく飲んでいた。

「ああ。ファザナー家は今じゃ、ジートリュー一門に加わっているが、もとはただの私掠船上がり。海賊まがいだった。しかし、権力をつけるにしたがって、やっぱ、名門の血ってのが欲しくなる。それでジートリュー一門の遠縁と通婚していたんだが、先代でようやくジートリュー一族の姫が嫁いできた。今の当主はジートリュー家に特異な赤毛で生まれてきたってハナシさ」

「赤毛? ふむ」

 ザハークはひげを軽くなでやりつつ、何か思い当たったような顔をする。

「ま、のんびり者のファザナー将軍も、さすがに今回は本腰入れてるんだろう。自分が王都防衛のかなめなんだから、そりゃー、これぐらいしねえとな」

「のんびり者か」

 ザハークは少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「のんびり者というか、当主はカワウソみたいな感じの、どっちかというと頼りない男なのでは?」

「ははっ、カワウソってあだ名されてるの、よく知ってんな。ハダート将軍もそう言ってたぜ。あそこのやつはカワウソで頼りないってさ」

 ジュバは楽しそうに笑いつつ、不意ににやっとした。

「しかしよ、実はこの船着場界隈であの男を悪く言う奴はいねえぜ。荒くれ者の水夫どもにも、相当人気のある男さ。だから、ここで何かもめごと起こすと、あの男に筒抜けだぞ」

「ほう、そうなのか?」

 きょとんとするザハークにジュバは頷く。

「ああ、実はな。偉ぶらないで自分でこの辺りをよく見回ってるし、困ってると惜しげもなく施すし、性格も頼りないけど気さくでいい奴だってさ。慕われてるせいで、情報流す奴の数も多いのよ。ま、ハダート将軍にとっちゃ、不安要素の多いお坊ちゃんでしかないんだろうし、実際、それは将軍としての能力とはちょっと違うんだけどな」

 ジュバは、酒の入った杯を片手にぶらさげながら続ける。

「まー、あのカワウソも意外と苦労人らしいからよ。そういうので、庶民からは同情もされてるしさ」

「苦労人? いや、まあ苦労しそうな性格ではあるし、名家ならいろいろ大変だろうがな」

「そう、なんだかんだファザナー家の当主ってだけで大変なものさ。でも、カワウソは当主にしては若すぎるだろ。先代が夭折してるってのは、よくある話なんだが、あいつの場合はちょっと特殊でね」

 ジュバは顎を撫でやる。

「もともとファザナー家は私掠船の親分上がりだってのは、さっきもいったが、先代はまだそっちとのつながりが断ち切れてなかったらしくてよ。若い頃に悪い連中と遊んでたらしいのさ。で、ジートリュー家の姫をもらう前に、すでに女がいたって話」

「ふむ。でも、そういうことならよくある話ではないか。家のために結婚したといいたいのだろう?」

「ここから先がよくある話じゃねえんだよ」

 ジュバは盃を置いて手を振った。

「先代は女が諦めきれなかったと見えて、結婚後のある時に失踪してな。女のところに行っちまって、二度と帰ってこなかったのさ。海賊共のいざこざに巻き込まれて死んだともいわれている。しかし、残されたあのカワウソのお坊ちゃんといえば、そりゃあ悲惨さ。あいつは赤い髪こそ母方のジートリュー家譲りだったが、顔なんかは親父によく似ててな。あの不埒ものの臆病者の息子だ、だからいつまでたっても能無しなんだと、散々身内から陰口たたかれて育ったものさ。あいつが当主になるときだって、身内なだめるの大変だったらしいんだよな。まあ、ジェアバード将軍が口をきいたので収まったみたいだけどさ」

「それは確かに気の毒だな。親ばかりは選べんからな」

 珍しく同情したような感想を述べるザハークだ。それをジュバは物珍しそうに見ながら苦笑した。

「まあ、そういうことでな。ということで、意外にこの界隈の奴らは奴に協力的だというぜ。まあ、それが武器になってんだから、悪いことばかりでもねえのかもしれねえけどさ。っと……」

 ふと、ジュバが声を潜めた。

 視線の先を見やると、先ほど店の中を調べに来た兵士たちに一人、どうやら上級の士官らしい青年がまぎれていた。

「ふふふ、噂をすれば影ってか。……見ろ、あの金髪の美形は、カワウソの副官だぜ?」

 そう言われてみると、確かに巻毛の金髪の美青年だ。繊細な顔立ちで男にしては小柄だが、しゃっきりとしてなかなか凛々しい。何か情報をきいて思うところがあったのか、真剣な表情になっていた。

「意外とデキる奴でさ。……ここいらで潜伏してる海賊の情報をかぎつけたみてえだな」

「潜伏している海賊? うむ、ダルドロスとか、アーノンなんとかとかいうやつが来ているとか耳に挟んだな」

「ああ、水門の方はどうしても警備が難しい面があるからな。しかし、ダルドロスってやつは十年も前に死んじまったって言われてるので、誤情報だと思うがよ、もう一人のアーノンキアスってやつが入り込んでるとしたら、カワウソにはちょっと面倒なのよ」

「アーノンキアスというのは、有名な海賊なのか?」

「奴というより、あいつの親分がな。”大蛸のラーゲン”っていうやつで、一昔前アーヴェの総督だった大海賊が死んだ後、跡目を事実上継いだ奴なのよ。今のアーヴェはラーゲンに支配されているというわけ。だが、ザファルバーンはラーゲンのアーヴェ総督を認めちゃいねえからさあ。両者は敵対関係なわけだよ。アーノンキアスはそいつの直属の部下ってわけだ。だから懐に潜り込まれたとすりゃ、カワウソは顔色変えて探すだろうよ」

「そういうことか。だが、カワウソはともあれ、あの副官はしっかりしているようだな。ちょっと安心したぞ」

 ザハークは、視線の端で金髪の青年を見やりながら言った。

「見かけは華奢だがカワウソの部下にしては、ずいぶんと覇気がある男のようだ」

 その言葉を聞いて、待ってましたとばかりにジュバがにやつく。

「ははー、それが男じゃねえんだな」

 ジュバは面白そうに小声で言った。キョトンとするザハークに、ジュバは告げた。

「ありゃあ、女だぜ? 女だと思ってみりゃ、なかなか別嬪だろう?」

「女?」

 ザハークが意外そうに声を上げる。確かに、男にしては小柄で綺麗な顔立ちをしている。男というにはやや体格がおぼつかないが、水軍の荒くれものたちを統率する副官が女性というのは異例な気がした。ザファルバーンにも女将軍はいるが、それほど数は多くはない。

「珍しいな」

「ああ、カワウソの奴が特別に取り立てたって話。意外に思い切ったところがあるもんだぜ」

 といいつつ、

「ま、女だと知ってるやつのが少ないらしいがな。男だと思われてた方が、海の上では便利だろうしな」

 そこまでいって、ジュバが、あ、と声をかけた。

「そういや、サギッタリウス。お前、俺にエーリッヒのことを聞きたいとかなんとか言ってたな」

「うむ」

 ザハークは思わず苦笑する。兵士に職務質問されたせいで話がそれて、そういえばまだ本題に入っていなかった。

「実は、奴が昔戦場で連れていた娘が、王都に来ていてな」

「あー、覚えてるぜ。あの強面でカタブツのエーリッヒが、何女奴隷連れてんだと思ったからよ。しかし、なにさせんのかとか見てたら、いきなり字を教えだして、家庭教師かよってこっちが笑っちまったがな。で、奴はそれを探してるのか?」

「うむ。そうらしくてな」

「やめとけやめとけ。あんな娘っ子、どこにでもいるぜ。そりゃ、ちょっとかわいいコだったがよ。王都の中にまぎれちゃ、探しようねえよ。むしろエーリッヒやお前の方が目立つからさ。向こうが本気で探してりゃ、向こうからくるって」

「うむ、そうなのだがなあ」

(口で言って通用すればとっくにそうしてるんだがな)

 ザハークはそう思いながらも口には出さない。と、ふいに真剣に聞いていない様子も見せていたジュバが、表情を引き締めた。

「さっきの、男みたいな女士官の話で思い出したんだが、逆の奴の話きいてよ。リリエス=フォミカって覚えてるか?」

「……ああ、薬や毒に詳しいやつだったか? 自分で傭兵部隊を持っていたな」

「ああ、男か女かわからねえ面した、あのド変態野郎さ。……あいつはエーリッヒに妙に執着してやがったろう。美しいとかなんとかいってさ」

「そう記憶しているな」

 正直、ザハークにとっても、あまり好ましい相手ではない。ザハークは眉根をひそめつつ答えた。

「アイツが王都に侵入してるって噂、聞いててな。もしかして、エーリッヒの奴が生きて王都にいることをどっかで聞いたんじゃねえかと思うんだよ。そうなりゃ、どうにかしておびき寄せようとするんじゃねえかとおもってな」

 ジュバはため息をついた。

「気を付けた方がいいんじゃねえかと思って、俺もエーリッヒと連絡とろうと思ってたとこだったんだぜ」

「そうか。確かに、奴が絡んでいるのだとしたら、エーリッヒの奴は身辺に気を付けた方が……」

 と言いかけて、ふとザハークは黙り込んだ。

「ん? どうした?」

「リリエス=フォミカ……」

 呟いてザハークは考えを巡らせた。リリエスが彼らといたのは、五年前の戦場のことだ。そこには、メイシア=ローゼマリーがいた。

 彼らは、面識がある。少なくとも、リリエスはジャッキールが連れている女奴隷ということで、メイシアに特別に興味を抱いていた。

 ばっとザハークは立ち上がった。

「おい、どうしたんだよ、サギッタリウス?」

「リリエスだ……。あの娘を王都に連れてきたのは!」

 ザハークは歯噛みしながら吐き捨てるように言った。

「なんだと? おい、そりゃどういう」

「最初から、奴を引っ張りだすために……。すまん、俺は帰るぞ!」

 ザハークは、ジュバにそう言い置く。ジュバが背後から止めようとするのも聞かず、腰の帯に新月刀を押し込むと、酒場を風のように後にした。

 

  

 *



 船着き場近くに、その屋敷は存在した。それは、メイシア=ローゼマリーが宿泊している宿の近くに、そっとたたずんでいた。

 普段は人気がなく、まるで空き家のような場所だったが、今はその持ち主が王都に滞在する間の隠れ家としての役割を果たしていた。

 暗くなったとはいえ、今日は満月だ。

 その中を人目を忍ぶようにやってきた黒塗りの馬車が、その建物の前に止まった。マントの頭巾を深くかぶった二人の男がそこに降り立つと、待ち構えていた男が現れて恭しく彼を迎える。

「ようこそおいでいらっしゃいました」

「は、なぁにがようこそだ」

 皮肉っぽい口調で男はいきなりそう言った。

 頭巾を払いのけてマント長い髪ごとはらいのけ、男はふんと鼻で笑う。

「ったく、俺がしのばなきゃならねえ身分だってえコト、重々わかってるクセしてよ。こんな明るい夜に呼び出しやがって」

 一通り悪態をついた後、彼はにやりとした。

「おめえんトコの親分は、それはそれはおもしれぇ見世物を見せてくれるんだと聞いたが、俺をこんなところまで呼び出しておいて、マジでおもしれえものなんだろうなァ。つまんねえじゃすまねえぞ、おい」

「我が主人が貴方様を呼び出したのですから、価値がないわけはございますまい」

「ふふん、どうだか」

 男は皮肉っぽく笑った。

「俺は、お前たちみてえに、アイツのこと信用してねーんでね」

「殿下。こんな往来で立ち話をするのは……」

 男の背後についてきていた青年が、そう口を挟む。

「おおそうだったな。ったく、夜の外出はさみぃからなあ。早いとこぬくいトコにいれてもらいてえぜ」

「それでは、こちらへ」

 案内されて男と連れのものが通ろうとしたとき、ふともう一人出てきていた案内人が、連れの青年を止めた。

「お連れの方は、別室にてお待ちいただきます」

「何?」

 青年が思わず気色ばむ。

「殿下一人にするつもりか!」

「よせ、キアン」

 男は剣を抜きかかりそうな青年を軽く制す。

「しかし、殿下! おひとりで得体のしれぬ者とお会いになるのは危険です! あのものは……」

「あー、わかったわかった。おめえのいいたことはよくわかってるって。アイツのことは、俺のがよーく知ってらあな」

「殿下!」

 真剣に聞かない様子の男に、青年はいよいよ苛立たしくにらみつけるが、男は苦笑する。

「安心しろって。何も、いきなり、殺したりしねえだろ。おとなしく外で待ってな、キアン」

「しかし、殿下」

「るせえな。大丈夫だってよ」

 男は肩をすくめた。

「こいつらの雇い主は女狐だが、俺ンとこからも金が出ててよ。……第一、俺を始末するつもりなら、もうちょっと賢いやり方をするだろうぜ、ここんとこの親玉はよ」

 てことでだ、と男はおどけるような口調で続ける。

「てえことで、テメエは安心して、別室で待ってろ」

 キアンは不服そうだったが、主人の彼がそこまで言うのだ。どうなっても私は知りません、と吐き捨てたが、ひとまず待つことにしたようだ。

「そういうことだ。んじゃ、案内してもらうぜ」

 男がそういってせかすと、案内人は彼を奥の部屋に連れて行った。

「へえ、こんなひなびた場所にしちゃ、意外とシャレてるじゃないかい」

「はい、我が主が装飾を指示しました」

「そりゃあ余計にオドロキだぜ。あのド変態の悪趣味野郎にしちゃあ、ずいぶんとマトモでよ。まあ、どうせ、地下室とかその辺はロクでもねえんだろうなあ」

 くっくとあざ笑いながら、男はゆったりと屋敷の中を進む。

 外目よりも広い屋敷の奥に、周囲から隔離されたような部屋がある。そこには窓もない様子だったが、男はそれを予想していたので特に警戒する風もなかった。

 その部屋の前に、華奢な体つきの人物が立っていた。

「これは、これは。ようこそお越しくださいました」

 派手な装いをした人物は、妖艶に微笑みながら恭しく彼を見迎える。

「ギライヴァー=エーヴィル殿下にお出ましいただけるとは、光栄の極みですよ」

「ふっ、はは、おめえも業が深いな、リリエス。まだ死んでねえとはよぉ」

 ギライヴァーは無遠慮に言った。

「その女みてえな陰険なツラまた拝む羽目になるとはな。おめえみてえな極悪な変態は死んでた方が世のためなんだけどな」

「お言葉ですね、殿下」

 くすくすと笑うリリエスに、ギライヴァー=エーヴィルは身分の割にはずいぶんと砕けた口調で言った。

「しかも、今や女狐ンところの色とりどりな奴の下請けだろ?」

「まあ、そのようなものですね。もっとも、女狐は責任を殿下に押し付けたい気らしいですが」

「ふん、あのババアの考えそうなことだ。ラゲイラの親父は気づいてたぜ。お前等ならトカゲみてえにしっぽきっちまえば済むことだから、敢えて乗ってやったらしいんだけどよ」

 ギライヴァーは苦笑していった。

「しかし、そのラゲイラの親父を通さずに、俺に直接連絡が来たってことは、そりゃあ、おもしれえモン見せてくれるんだろうな」

「ええ、もちろん」

 リリエスは、柔らかく微笑む。

「私が長年追い求めてきた獲物が、ちょうど罠にかかりましてね……。殿下にも、きっとご満足いただける面白いものが見れますよ」

 リリエスは、こちらへ、とギライヴァーを奥の部屋に誘導した。

 リリエスについていたのか、彼の後ろをついていくとかすかに花と薬品の香りがした。

 ギライヴァー=エーヴィルは、その優雅で不穏な香りにほんの少し眉根を寄せた。

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