13.紅月の獣ー1

 いつの間にか、夜の帳が下りてきている。

 酒を運び終えて、ふとした合間にリーフィは入り口のところに立っていた。周囲はすでに暗くなっている。飲食店が多いから、あちらこちらで灯が漏れていてこの辺りはまだ明るい方だが、それにしても、もう日が暮れてしまっていた。

 そんな闇の方をじっと見やりながら、リーフィは何やら物思いにふけっているようだった。

「どうしたの? リーフィ姐さん」

 同僚のサミーがいつの間にかそばに来ていて、リーフィの袖を引っ張る。

「誰か待ってるの?」

「あ、ええ、少しね」

 図星だったのか、珍しく苦笑してリーフィは答える。サミーはまだあどけない顔をしかめて眉根を寄せた。

「まぁた、あの三白眼じゃないでしょうね? リーフィ姐さんは、あいつに甘いんだから。ここのとこ、あんまりお店に来なくて、とうとう諦めたのかなって思ってたのに」

「サミー、そんなことを言うものじゃないわよ」

 やんわりと彼女に苦言を呈しつつ、

「いえ、別のお客さんを待っているのだけれどね」

「あ! もしかして、時々来る黒い服着たイイ男の方?」

 サミーはゲンキンにしゃぎながら、

「ちょっと陰気で怖い感じだけど、よくよく顔だけ見てると超カッコイイんだよね。あたし、最近気づいてからすっごく目の保養になってるのよねー」

「あの人はどっちかというと人相や顔より性格の方がいいと思うわよ、サミー」

 かばっているのだかかばっていないのだかわからないことを言いつつ、リーフィはため息をついた。

「後で来ると言っていたから、来るはずなのだけれどね」

「大丈夫大丈夫、そのうち来るって。じゃ、あたしは休憩してくるねー。何かあったらリーフィ姐さんお願い」

「しょうがないわねえ」

 軽くそうこたえて飛び跳ねるようにいってしまうサミーを甘やかしながら、リーフィはもう一度ため息をつく。

 おかしい。遅すぎる。

 リーフィは眉根を寄せて、宵闇を睨んだ。

 ジャッキールは後で来るといったものを翻すような人物ではない。だとしたら来るはずなのだ。そして、彼はもう少しだけメイシア=ローゼマリーを待ってみるといった。日が落ちるとあの街の店はすぐ閉まる。だとしたら、あれからそれほど時間を待たずに彼は帰ったはず。それなら、さほど時間をかけずに彼は酒場に来るはずだった。

 それだというのに、もうずいぶん時間が経っている。

 どこかでシャーかザハークとでも会って、飲んでいるというのならいいのだが。

 しかし。

 と、リーフィは、客の落としていったものを目の高さに掲げる。薄紅色の貝殻のかけら。その色に彼女は見覚えがあったのだ。

 先ほどの客、といっても、もう彼女たちが立ち去ってからずいぶん時間が経っている。

 リーフィが彼女たちのことを覚えているのは、彼女たちがこの酒場では珍しい客だったからでもあったが――。

 

 *


「ありがとう。この街のお料理ってなんでもおいしいんだね」

 飲み物を持ってきたとき、その少女はパンと卵料理をほおばりながら天真爛漫にそんなことを言った。

「ふふ、そういっていただけると嬉しいわ」

 リーフィはそんな風に答えたが、彼女のような女の子が一人で、こんな店に来たことに違和感を感じていた。居酒屋とはいえ、普通に料理も提供しているので、飲まない客が来ることもままあるのだが。とはいえ、さすがに彼女のような若い娘が一人で来ることはあまりないのだ。彼女が旅人風のいでたちであるので、迷い込んできただけなのかもしれないが。

「けれど、珍しいのね。ここにあなたみたいな女の子が来ることは珍しいのよ」

「そうなの? ううん、入り口で同い年くらいの女の子にどうぞっていわれたし、そんな子がいるなら大丈夫かなって」

 それは客の見送りをしていたサミーのことだろうか。そうかもしれない。いや、もしかしたら、サミーがこの子を客引きした可能性もある。サミーはその辺商売熱心だ。

「来てはだめなことはないのだけれどね。ここは、酔っ払いも多いから。まだ時間が少し早いんだけれど」

 苦笑しながらそういいつつ、リーフィはやんわりと尋ねる。

「旅の方かしら。どこから来たの?」

「ええ。ちょっと東の方からよ。王都は初めてなの。本当に賑やかなのね」

「何か目的でもあるの? 観光かしら」

 と聞いてみたのは、シャーやジャッキールが探している娘のことがあったからだ。さすがにここで会うとは思わないが、彼女がシャーを探しているなら、この酒場に立ち寄る可能性はなくはない。

「えっとね、人を探しているの。ちょっと目立つ人なんだけれどな。とってもカッコイイ人で、背が高くて……」

 そこまで言いかけたとき、ふと誰かが入って来て彼女の目がそちらに向いた。

「あ、ニアちゃん!」

 少女は立ち上がる。見れば、入り口から彼女と同じぐらいの少女が入って来ていた。

「ニアちゃん、どこに行ってたの。探してたんだよ?」

「ごめんなさい。ちょっと急用で呼ばれてね」

 ニア、と呼ばれた少女がくすりと笑う。どちらかというと、彼女の方が大人びて、なんというか――、少し危険な感じがした。かすかに薬品のような香りがする。一瞬彼女はリーフィの方を見て、そして冷たい視線を向けると、再び無邪気そうに少女に向き直った。

「ふふ、ちょっと急いで知らせたいことがあってね」

 二人で話になりそうだったので、リーフィはそれでは、と引き下がる。が、妙に気がかりだった。

 リーフィが行ってしまってから、アーコニアは反対の席に座って小声できいた。

「あなた、こんなところで何をしているの」

 そう尋ねると、メイシアはにっと笑って小声で返す。

「敵情視察だよ! 実は、ここ、あの三白眼が良く来るんだって。さっき、店の前にいた子に教えてもらったんだ」

「ふうん、そうなの。それで、こんな店で食事をね」

 アーコニアはやれやれとため息をつきながら、そっと荷物入れから何かを取り出した。

「そういえば、貴方の探していた人、見つけたのよ。手紙を預かってきたの」

「え? もしかして、隊長?」

 アーコニアの差し出した手紙を慌てて手にして、メイシアは目をきらめかせながら中を開いた。紙を広げてじっと目を凝らしているうちに、メイシアは目を潤ませながらぎゅっと手紙を胸にあてる。

「本当だあ! 本当の隊長からの手紙だ!」

「声が大きいわよ」

 アーコニアはくぎを刺すように人差し指を立てる。

「でも、すぐにわかるのね。筆跡とかかしら」

「それもあるけれど。ふふ、あたしと隊長だけが知ってる決りがあるの。それは、隊長の国の言葉で書いてるのよ」

 メイシアはえへへと笑ってもう一度手紙を見る。

 ”親愛なるメイシア=ローゼマリー。”

 そんな書き出しで始まる文面は以下のようなものだ。本来、ジャッキールはもっと難しい文面の手紙を書くらしいが、いつもメイシアに合わせてくれていた。そんな感じの文章に、懐かしい綺麗な字が几帳面に並んでいる。

 ”ずいぶんな間なんの沙汰もなく、貴女には心配をかけて申し訳ないことをした。貴女がこの王都カーラマンにいるのだと聞き、是非、お会いしてお話がしたい。本日の夜、月が南中するころに貴女と会いたい。場所は、貴女の宿からほど近い、川近くの並木道、そこにある紅い船の看板のある店の前。

 そこで一晩待っている。”

 そして続くのが署名。 

 ”貴女の騎士、ジャッキール、または、Erich Gegenbauer”

「これを書いてくれるっていうのが、あたしと隊長の約束なの。だから、これは本物」

 メイシアは署名をなぞりながら、嬉しそうに言う。

「でも、月が南中するって、多分真夜中ってことなのよね。ずいぶん遅い時間だけどなあ。でも、隊長は朝型人間だけど、むしろ真夜中の方が昼より好きそうだもんね」

 メイシアはほとんど残っていなかった卵料理を慌ててほおばり、飲み物を一気に飲み干した。

「うん、じゃあ、さっそくおしゃれして待ち合わせ場所に行かなきゃ」

「あら、ずいぶん気が早いのね」

「だって、隊長だもん。すっごく早くから待ってるにきまってるもの。だから、あたしも早くいかなきゃ」

 メイシアは席を立ち、リーフィのもとに向かった。

「ごちそうさま。とっても美味しかったよ!」

 お勘定をおきながら、微笑みかける。

「あら、もういいの?」

「うん、さっきおねえさんにきいたこと、解決しそうなの。だから急いでいかなきゃ」

「それはよかったわね」

 視線の先では、アーコニアが彼女を待っている。メイシアがふと尋ねた。

「あ、そうだ。おねえさんは、川の並木道の方知ってる? 運河につながってるあたり」

「ええ、そんなには詳しくないけれどある程度はね。そちらの方に泊っているの」

「うん。それで、その近くに、紅い船の看板のついたお店があるって聞いたの? 知ってるかな?」

 そう聞かれてリーフィはうなずく。

「そうね、たしかにそんなお店があったわ。けれど、少し人気がなくてさみしいところよ。宿なんかがある場所からは少し離れているわ。並木道の南の方かしらね」

「そうなんだ。ありがとう」

 駆け出していきそうな彼女をリーフィは入り口まで送っていく。メイシアが外に出ると、後からアーコニアがついていった。

「あ、そうだ」

 不意にアーコニアの方が彼女を見た。少し挑戦的な視線だ。

「ここって、シャー=ルギィズさんっていう方がいらっしゃるの?」

「そうね。今はいないようだけれど」

 リーフィは何かを感じて、あいまいに答えた。

「彼のお知り合いかしら? 何かご用件があれば伝えておくけれど」

「いいえ、用件というほどではないのだけれど」

 とアーコニアはクスリと笑う。

「できたら、”彼にも”来てもらいたかったかなあ、って思っただけなのだけれどね。またの機会にしようかしら」

 闇に消えていく彼女を見ながら、リーフィは何故か珍しく心がささくれ立つような感覚を感じていた。めったにこんな感覚を覚えない彼女だが、何故か、その少女は”気に入らない”感じがするのだ。

 彼女たちが去ってからも、リーフィはそのまましばらく闇を見つめて、先ほどの感覚は何だったのだろうかと考えていたが、やがてため息をついて戻ろうとした。そのとき、ふと、足元に何かが落ちているのが目についた。

 リーフィはそれを拾い上げてみた。

 小さな桜色の貝殻が数枚。丸く加工されていて、穴があけられている。そこに糸が通されていて、貝殻はそれでかろうじてつながっていた。

「これ……」

 リーフィはそれに見覚えがあった。

 夕暮れにわかれたジャッキールが、大切そうに見せてくれた貝細工の髪飾りに、そんなものがつかわれていた。 


  *


 それからもう数時間ほど経っている。

 月明りで明るい夜。ジャッキールはおろか、シャーやザハークもまだ来ない。

 リーフィはあらためて貝細工を見てみた。

「もし、あの子がこれを落としたのだとして、これがあの髪飾りだとすると、ジャッキールさんは……」

 あの男のこと、そうそう簡単にどうにかなるような人物ではない、が妙に胸騒ぎがする。大体、ジャッキールが店に来るのが遅すぎる。それも不安に拍車をかけていた。

(シャーは、今夜も来るはずなのだけれど)

 リーフィはそう考えながら、月明りに目を凝らす。

(シャー、早く来て……)

 リーフィは、欠けた貝殻を眺めながら思わず彼を呼んでいた。


*


 ギライヴァー=エーヴィルが案内されたのは、窓のない広い部屋だった。窓はないが、ランプがあちこちで掲げられ、室内は昼のように明るい。護衛のキアンからずいぶん遠く離れていたが、別段ギライヴァーは恐れる様子はなかった。肝が据わっているというような人物ではないが、リリエス=フォミカはこの王族のこういうところは少し不気味に思っていた。

「相変わらず、辛気くせえなあ」

 その思惑を読み取ったのか、ふいににやりとしてギライヴァーが呟いた。

「薬の匂いがぷんぷんしてやがるじゃねえか。まさか、また女に変な薬盛ってるんじゃないだろうな?」

「おや、お気に召しませんか? 綺麗所を愛でるのは?」

 くすりと笑ってリリエスが答えると、ギライヴァー=エーヴィルはふんと鼻で笑う。

「ふん、テメエがやると愛でるじゃなくて壊しちまうだろうがよォ。あのなァ、女ってぇのは、甚振るもんじゃなくて可愛がるもんだぜ?」

「ふふ、お優しいですね、殿下は」

 リリエスは袖で口を覆いながらくすくすと笑う。

「しかし、今回はご期待に添えるのではないでしょうか。殿下が嫌うような、綺麗なご婦人を壊すものではありません。しかし、とても綺麗なものをご用意しましたよ」

 そう言われて、ギライヴァーは皮肉っぽく唇をゆがめた。

「へえ、俺の目の前には檻と袋かぶった野郎しかみえねえわけだが。これが綺麗所ねえ」

 彼の言う通り、彼の目の前には大きな鉄格子に区切られ部屋が広がっている。そして、中にはリリエスの配下の白髪の青年が立ち、そばには男が頭から麻袋をかぶったまま、椅子に縛り付けられていた。

「ま、ちょっとカワイイ子もいるみてえだけどさ。ちょっと俺の好みにゃ、若すぎるんだよな」

 と、檻の外でたたずむアーコニアをちらりとみやって、ギライヴァーは軽くにやりとした。

「それは失礼しましたね、殿下」

 リリエスは苦笑する。

「でも、”彼”は本当に美しい人物なのですよ。ただ、ちょっと特別に狂暴なので。今は光に敏感になっていますから、余計な刺激を与えたくないのです」

「リリエス様あ」

 不意に白髪の青年が、彼に呼びかける。

「どうしたのです、ネロ」

 ネロと呼ばれた青年が、やや心配そうな顔で言った。

「なんか、大丈夫なんですか? 言われた通り水飲ませてから余分なクスリ吐かせて、新しくクスリぬってあげたんだけどー。それから反応なくなっちゃってて」

 青年ネリュームは、困惑気味にアーコニアを見た。

「もう、ニアが薬の量多めにするから、やべえことになっちゃったじゃん」

「私のせいだっていうの?」

 むっとアーコニアがネリュームをにらみつける。

「おやめなさい。ネロ、彼には鎮静する薬も与えていますから、しばらくはおとなしくなっているだけですよ。ご安心なさい」

 にこりとリリエスは微笑み、そういわれてネリュームは安堵の表情を浮かべる。

「それだとよかった。でも、リリエス様、なんかお客さん呼んできたけど、なにするの?」

 ちらりとギライヴァーを見やってネリュームはそう尋ねた。

「ちょっとした余興をお見せしようと思いましてね。ネリューム、袋をとってもいいですよ」

「えっ、大丈夫なんですか?」

「少しくらいなら大丈夫ですよ」

 それじゃ、とネリュームは、男にかぶせていた袋をはがした。飛び込んできた篝火の光に、一瞬、男は動揺したようなそぶりをみせたが、ネリュームの言う通り、あまり大きく反応しない。さるぐつわをかまされた男は薄く目を開いていたが、どうも焦点が合っておらず、正気とは思えなかった。

「へっへえー」

 とギライヴァーが近くにあった椅子に無断で座りながら顎鬚を撫でやる。

「まったく、おめえも大概面倒な野良犬に惚れ込んだもんだよなァ。確かに、綺麗な面ァした奴にちがいねえが、ずいぶんと面倒な奴だぜ」

「おや、殿下。彼をご存知で?」

「ソイツ、ラゲイラの親父が昔抱えてた用心棒だろ。あの親父が何かと入れ込んで、どこにでも連れまわしていたからよく覚えてるぜ。しかし、なにさせたいのか知らねえが、何か聞き出したいなら時間の無駄だぜ。あのラゲイラの親父が入れ込むだけあって、コイツ、半端な根性してねえから」

 ギライヴァーは、椅子の背もたれにだらしなくもたれつつため息をついた。

「かわいそーじゃん、殺すんならすっぱり殺してやんなよ。まー、もう目だけ見りゃ、死にそうだけど……。なんか丈夫そーだからよー」

「ははは、ご安心を殿下。私も彼のことはよく知っています。本当は色々彼に聞きたいこともあるのですが、死んでも答えるような男でもありませんので。第一、その前に何かするとすぐに狂うお方ですからねえ。尋問するこっちに危険があっては困ります」

 リリエスはため息をつく。

「今だって薬で抑えていますが、そろそろ切れてもおかしくないころなのですから」

 リリエスがそう言ったとき、ふいに反対側の扉の方からがやがやと声が聞こえた。扉が乱暴に開けられて飛び込んできたのは、屈強な男二人だった。

「なんだよ、ここは!!」

「いきなりこんなトコ連れてきやがって! 話が違うじゃねえか!」

 いささか興奮気味の彼らをみて、ネリュームがため息をつく。

「おい、ニア。またコイツらにも盛りすぎたんじゃないだろうな」

「失礼ね。コイツらにはそんなに与えてないわよ」

「まあまあ、おやめなさい二人とも。そもそも、普通はこうなる薬なのですからね。アレでああなるエーリッヒの方が異常なんですよ」

 リリエスがそういって二人をいさめる。それを見てギライヴァーが、皮肉っぽく言った。

「へー、何かよ。じゃあ、リリエス=フォミカ様お得意のおクスリの大宣伝ってワケかい」

「さすがは殿下です。ご理解が早い」

 リリエスは満足げに笑いながら、

「あれは使った人間を興奮状態にさせ、過大に自信をつけさせることで戦闘能力を上げるものなのです。まあ、使い方や量によっては、相手を狂わせることもできるのですが……。わたくし共の間では、”紅月こうげつの雫”と呼ばせていただいております」

「へえ、エセ風流な名前にしやがって。また実に厭らしいもん開発してンなあ。その悪趣味極まりねえの、ほんっと、おめえらしいよ」

 ギライヴァー=エーヴィルは、やれやれと言いたげにため息をついた。ふいにリリエスの部下が酒瓶と盃を持って現れたが、ギライヴァーは苦笑して手を振った。

「はっはー、こんな状況見せられて、テメエの出すもんなんか飲めねえってよ。美味い酒ほど何入ってんのかわかんねーじゃん。気持ちだけもらっとくが、俺ァ、遠慮しとくぜ。で……」

 とギライヴァーは右足で片方だけ立膝をして、そこに肘をつきながらリリエスをじろっと見た。

「酒までだそうってンだから、これからそれなりに面白いコトが始まるんだよなあ」

「そりゃあそうですとも。余興があると最初から申し上げておりますのに」

「ふーん、じゃ、早くした方がいいんじゃね? 俺はいいとして、アッチの奴らが待ちきれねえようだけど」

 そういうギライヴァーの視線の先の檻の中で、二人の男が、ここから出せとかなんとかネリュームに食って掛かっている。ネリュームはそれを持て余し気味だった。

「リリエス様あ。ちょっとコイツら面倒なんだけど、俺がもう片づけてもいい?」

「いけませんよ。それはエーリッヒの相手ですから。エーリッヒの戒めを解いてあげなさい」

「えー、ジャキジャキにー? 大丈夫かなあ」

 ネリュームは不安げに彼を見る。

「リリエス様が大丈夫っていってるじゃない。早くしなさいよネロ」

「ちッ、ニアはいちいちうるさいな。まあ、リリエス様がどうしてもっていうなら、そりゃあそうするけど」

 そういいつつ、ネリュームはジャッキールを椅子に縛り付けていた縄をほどき、猿轡を外す。が、ジャッキールは取り立てて反応せず、立ち上がることもない。

「さて、お待たせしましたね」

 リリエスが二人の男に呼びかける。

「そんなところにお呼びたてしてすみません。申し訳ありませんが、貴方たちには目の前の男と戦っていただきたいのですよ。彼に勝てば、ここから出してあげます」

「何?」

 ギラリとリリエスに男の一人が目を向ける。すでに呼吸が荒く、興奮しきっている彼の目は揺れて焦点が合っていない。ジャッキールほどでないが瞳孔が開いていて、篝火の光にまぶしそうに目を細める。リリエスはそんな彼らに臆せずに微笑みかけた。

「大体、あなたたちも暴れたいんでしょう? そこにいる男なら、殺しても構いませんから」

 そういって彼は椅子にうなだれて座ったままのジャッキールを指さした。

「そ、そうか。殺しても、イイんだな?」

 そう反芻するや否や、その暴力的な言葉に刺激されたのか、一方の男の方が触発されたように彼に襲い掛かる。

「この野郎!」

 いきなり男はジャッキールの腹を蹴り上げる。椅子が飛び、鉄格子にあたってけたたましい音を立てる。抵抗することもなく彼は床にたたきつけられたが、もう片方の男が今度は上から蹴りつけた。ジャッキールは血混じりの水を吐き、激しく咳き込んだ。

 だが、まだ彼は反撃する気配がない。一方的な展開に、男たちはついに調子に乗り出していた。

「ははー、なんだコイツ! 見掛け倒しかよ!」

「本当に殺しちまおうぜ!」

 胸倉をつかんで引き起こし、そのまま床にたたきつける。

「リリエス様、このままじゃ本当に死んじゃわない?」

 思わずネリュームが心配そうに尋ねるが、リリエスはにこにこと笑ってそれを見ていた。

「さて、エーリッヒ。そろそろ目が覚めるころでしょう? どうするつもりですかねえ」

 ギライヴァーにだけ聞こえるような小声でいいながら、リリエスは様子を眺めている。そんなリリエスを見やりながら、ギライヴァー=エーヴィルは面白くなさそうに舌打ちする。

 しかし、リリエスが何を期待しているのか、ギライヴァーにもおおよそのことが予想できていた。

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