5.茉莉花の髪飾り

 

 朝はそれほどでもないが、昼になるとぐっと気温が高くなる。王都の人々も、朝はまじめに仕事に精を出しているが、暑い昼間には仕事にならないので、開きだした茶店や酒場でのんびりすごすことも多くなる。

 シャーはというと、朝昼の動向のつかめない男であるので、いったい何をしているのやらわからない。彼と付き合いの深い舎弟たちでも、昼間、彼が何をしているのか知るものはいない。働いているわけではなさそうだと、周りの人間には思われている。大体、彼は夜になるとひょっこりと酒場に現れる。昼間から現れることはまれだ。

 ただ、リーフィと何か話があるときは、リーフィが仕事にでてくるような時間を見計らってふらりと酒場に現れることもあった。

 その日も、きつい日差しを避けるように、日陰をうまく歩いて、シャーは酒場の軒下に野良猫のように入り込んでいた。

 この酒場もすでに始まっているが、リーフィが出てくるのは夕方からが多いので、そういう時は大体別室でくつろいでいることが多い。今はまだまばらな客と、数人の女の子たちが飲み物を運んでいるようだった。ということで、シャーは、リーフィのいるらしい別室の窓の下に入り込んでいるのだ。リーフィは、どうやら専用の控え室を与えられているらしかった。

 ちょうど、いつも彼女のいる部屋は、路地裏に接していて日陰が多くて人がいないから、シャーはそこにちゃっかり座り込んで、えさをねだる猫のような声を上げた。

「リーフィちゃあん、いる?」

「あら、シャー。そんなところにいるの?」

 声をかけてみると、ぱたぱたと足音がして、窓からリーフィの白い顔がひょいとのぞいた。つくりもののようなリーフィの顔で、そんな風に無造作な動作を取られると、なんとなくその無防備さにどきりとしてしまう。

「まあ、酒場に入ってくれればよかったのに」

「そんな。リーフィちゃん、まだお店に出る時間じゃないのに悪いよ」

 どうやら室内にはリーフィしかいないようだった。店に出るまでの少しの時間、化粧を直したりしてくつろいでいるところなのだろう。

「それに、オレ、お金もないことだし、正面から入ったら女の子たちに怒られちゃうじゃんか」

「ふふ、それもそうかしら」

 リーフィは、わずかばかり微笑んだ。

「で、こういうところから失礼しているってわけさ。だめかな? いや、リーフィちゃんは外に出てこなくてもいいよ。いろいろ準備もあるだろうし、外にでてきてもらっちゃ申し訳ないしね。ここでちょっくらお話させてよ」

「まあ、気をつかわなくてもいいのに。でも、せっかくそういってもらえるのだもの。それじゃあ、お言葉に甘えるわね」

 リーフィはそう答えると、顔をひっこめたが、少ししてすぐに戻ってきた。きょとんとしたシャーに、リーフィは身を乗り出して、はいと水の入った杯と甘いお菓子を渡す。

「でも、そこでお話してもらうだけっていうのも気の毒だわ。もらいものだけど、食べていって」

「リーフィちゃん、ありがとう」

 リーフィは、そういって顔を引っ込めたが、シャーはリーフィの優しさにじんときてしまって思わずため息をついた。

 そのまま、シャーは壁にもたれかかったまま、リーフィにしゃべりかけた。

「あれから変わったことない?」

「あれから?」

 シャーは、菓子を一口かじって、リーフィにもう一度きいた。

「ほら、あの女の子がきてからさ。昨日は何事もなかったの?」

「何もないわ。あの子も店にもきてないみたいだし」

「そっか。それじゃ、やっぱり人違いだったのかな」

「そうかもしれないわ」

 リーフィの回答には、よどみがない。うそはないらしいが、顔が見えないのでシャーも少し自信がない。とはいえ、顔が見えたところで、リーフィはそう簡単に表に感情を表してなどくれないのだが。

「それじゃよかったね。オレ、ちょっと心配してたんだけどさあ」

 シャーは、安堵した表情を浮かべて窓の方を見上げた。冷たい水を口に含むと、日陰の涼しさと背中の壁の冷たさが心地よい。シャーはそのまま壁に身を預けてだらりとしたままいった。

「シャーは、昨日はここには来なかったの?」

 リーフィにそうきかれて、シャーは内心どきりとしつつ苦笑した。

「うん。昨日は、たまたま用事があってね。リーフィちゃんのこと、気になるし、来てあげたかったんだけど」

「気にしないで。いいのよ。実は、昨日私もお店を休ませてもらっていたの」

「あ、そうなの? どうしたの? 体の調子が悪いとか?」

 シャーは眉をひそめた。

「いいえ。女友達に急に呼ばれてね。何か相談があるという話だったわ」

「あ、そうなの~。リーフィちゃんは、頼りがいのあるねえさんみたいだしね!」

 シャーは、安心してそう答えた。

「実は、今日もオレ、ちょっと野暮用があってこられないんだけどさ。リーフィちゃんがそういう様子なら安心したよ」

「シャーも忙しいのね。無理はしないでね」

 リーフィがそう言い添えた。

「あなた、意外に無茶をやったりする人だもの。いきなり疲れて倒れちゃったりしそうで……」

「なはは。そう心配してくれるのはリーフィちゃんだけさ」

 シャーは、照れたように笑って窓を見上げた。ちょうどリーフィが再び顔を覗かせたところだった。化粧直しをしたのか、唇がつややかで鮮やかな赤で彩られていた。青のアイシャドウで淡く彩られた切れ長の目と白い肌と黒くつややかな髪の毛。それを彩る淡い白の髪飾り。

 リーフィちゃんは、やっぱりきれいだな。と、シャーはひっそりと見とれたあと、ふと目をしばたかせた。

「リーフィちゃん、それ」

 シャーは、リーフィが黒い髪に挿している髪飾りを指差した。青いトンボ玉のかんざしに白い花を飾っている。リーフィはかんざしを取るとシャーに見せた。

「ああ、これ。シャーにこの前もらった花を少しここに飾っていたの。いい匂いがするし、かわいいでしょう。ちょっと乾燥させていたんだけれど、さすがにもう今日は萎れてしまっているみたいね」

「そんなあ。一言いってくれれば、また新しいのもってきてあげるのに」

 シャーは、そういって伸び上がると、リーフィの手からかんざしを受け取って、ジャスミンの花を抜き取った。

「気に入ってもらえたみたいでよかったよ。いやね、オレ、こう見えても花がすきなのよ。特にこれはいいにおいだし、リーフィちゃんにもとっても似合うと思って……。いいお花畑を知ってるんだ。また摘んできてあげるからね!」

 リーフィが笑って礼を言うのを聞きながら、シャーは上機嫌でそういってかんざしをリーフィの手に返す。ああ、確かに、リーフィの黒い髪には、白い花の髪飾りがよく似合う。シャーは、そう思いながら、自分の手のひらの萎れたジャスミンをちらりと見た。






 リーフィに、今夜も来られないと別れを告げたあと、シャーは、カタスレニア地区から少し東にいったところの茶店に入っていた。そこで待ち合わせの約束があったのと、少々用があったせいだった。

「ムルジムなんて奴はしらないなあ」

 待ち合わせの相手の男は、昼間の強い日差しに色の薄い目を細めながらそう答えた。

「そういう名前の奴の噂なんて聞いたこともないぜ」

「やっぱりそうか」

 シャーは、向かいでコーヒーを啜る男を見やりながらため息をつく。

「あんたが知らないなら、やっぱりそう有名な人じゃないんだね。大きな動きもなさそうだし」

「今のところ耳に入ってきちゃいないんだが、俺の知識にも偏りがあるからな。念のため調べておいてやろうか?」

 彼は、線の細い顔にほんの少し歪んだ笑いを浮かべた。大した男前で気品のある顔だが、そうして少し悪く崩した表情もよく似合う男である。

「まあいいよ。経費の無駄遣いをさせるだけだろうからさ。ありがとありがと、随分参考になったよ」

 シャーはそう軽く答えると、男、ハダート=サダーシュを見上げるようにした。彼の方は、苦笑を浮かべている。

「おいおい、俺を昼間っから呼び出しておいてもう用事が済んだのか? 俺が昼間外出するのが苦手なのは知っているだろう?」

「ああ、そうだったっけ?」

 シャーは、この男も余り日の高いうちに外出するのを嫌がるのを思い出した。。色素の薄い彼にとって、この砂漠の天候はなかなか厳しいらしかった。

「そいつは悪いことをしたねえ」

「まったくだ。でも、そういうところを見ると、何かしら手がかりはつかんでいるんだな?」

「まあね。といっても、手がかりってのが、また厄介な奴なんだけどさあ」

「厄介?」

 ハダートが興味深そうな顔をした。シャーは、温かい茶をすすりつつ、やれやれと肩をすくめて、小声で言った。

「あの人斬り包丁が服着て歩いている男だよ。あのオッサン、どうもムルジムって呼ばれる奴のことをしってるらしいんだが、口を割りゃしねえ」

「ああ、あのダンナ」

 ハダートは、にやりとしてからかうように言った。

「なんだ。近頃はあの危ないダンナとも仲良くやってるのか?」

「仲良くする気はないんだけど、何かと便利だし、腐れ縁らしくて何かと出くわすんだよ。ま、それでもいいのさ。意外に色々参考になる情報をくれたりするし、それに、あの人、普段は、アンタよりマトモなところもあるし、やりやすいとこもあるしさ」

「ああ、普段はな」

「そう、普段はね」

 普段、という言葉に妙にアクセントをつけて、二人はそういった。

「ともあれ、あのオッサンの様子をみていると、ムルジムが、そんな大それた話じゃない感じがするから、とりあえずは、地道に追いかけていくことにするよ」

「地道にねえ。あんたには似合わない言葉だな」

 ハダートは意地悪く言った。

「でも、地道に努力するのが嫌いなあんたが嫌に頑張るじゃないか。さては、また女がらみのことだろう?」

 図星を突かれてシャーは、むっと口をつぐんだ。ハダートは声を上げて笑った。

「この前会ったあの切れ長の目のきれーなねえちゃんかな? あれはちょっと高嶺の花すぎないか。あんな格好しているのがおかしいような美人だぜ?」

「なんだいなんだい。その言い方は。違うの。リーフィちゃんとは、とりあえずお友達なんだよ。そりゃ、美人だし、ちょっと無愛想だけどなれるとかわいいから、ちょびっとだけ期待とかしちゃったりするけど、そういうの抜きにしても助けてあげたい子なのよ」

 まあ、余り庇護欲をそそるようなタイプじゃあないんだが。とシャーは、心の中で付け足しておく。リーフィはしっかりしているので、何となく何でも一人で解決してしまいそうだから、いわゆる守ってあげたくなるというのともちょっと違う気もする。

 と、ふとシャーは、何者かの視線に気づいて顔を上げた。少し離れたところから、何者かがじーっとこちらを見ているのだ。シャーは、その男の顔をちらりと見て、少し意地悪に愛想笑いを浮かべた。

「なんだい。誰かと思ったら、若旦那じゃないか。ネズ公のゼダやんは一緒じゃないのかよ?」

「坊ちゃんは、今日はここにはいなさらない」

 むっとした口調でそう答えるとその青年は、シャーの方に歩いてきた。すらりとした長身で、鋭い目をした美男子だ。今日は地味な服を着ているが、それにしても、主人の前でなければ、この男が当の主人に見えるぐらいだった。だが、当の主人には余り似ていない。

 カドゥサの若旦那の忠実なる召使かつ彼の身代わりとしての役目も果たす男、ザフは、シャーに対して警戒心をあからさまに表していた。

「へえ、どこぞで遊んでいるのかい?」

「あんたこそ、一体なんでここに来ているんだ」

 ザフは、顔をしかめた。

「ここは、坊ちゃんがよくいらっしゃる場所だ。まさか、坊ちゃんを何かの騒動に巻き込むつもりじゃ……」

「ご冗談! オレはただの通りすがりだぜ。オレの知ってる店と、あのネズ公の知ってる店がかぶったってそのことだけじゃないか」

 シャーは肩をすくめた。

「坊ちゃんは、あんたみたいな得体の知れない人と付き合わないほうがいいんだ」

「オレもできればそうしたいね。第一、オレがあいつをつきあわせてるんじゃないんだぜ。あいつがオレのところに構いにきてるんだよ。そーいうんなら、お兄さんがあのネズミをとめてやれよ。オレと付き合ったら教育にも悪いだろ?」

 シャーは、少し意地悪っぽい口調になっていた。ザフは、ふんと鼻を鳴らすと店の奥の方に入っていく。シャーは、苦笑するとやれやれとため息をついた。

「おいおい、なんだい、今のは?」

 黙って状況を面白そうにみていたハダートが、いかにも興味津々と言った様子でシャーに尋ねた。

「カドゥサの若旦那……の、影武者だよ」

「カドゥサ? おいおい、そういうとことも付き合いがあるのかよ」

 ハダートは、驚き半分呆れ半分の声を上げた。

「カドゥサといえば、色々強引なこともしてる豪商だぞ。あっちこっちの後ろ暗い話とも縁のある男さ。もしかして、そこの坊ちゃんとつるんでるのか?」

「べっつにー」

 シャーは、口を尖らせた。

「さっきの話きいてただろ。向こうが遊んで欲しいんだよ」

「へえー、どうだかねえ」

 ハダートは、大きくため息をついた。

「まあ、あちこちにツテができるのは悪いことじゃないんだがな。何かの時に使えるし」

「ツテができてもあいつに借りはなるべく作りたくないんだよ。つったく、オレは、あーゆう坊ちゃんは嫌いなんだよ」

 シャーは、すねたようにそういいつつ、ふと我に返ったように背を伸ばした。近くを給仕の女の子が通りすがったのだ。

 や、となれなれしくシャーが声をかけると、一瞬女の子はびくりとしたようなそぶりを見せた。シャーは、思わず苦笑しながら、折りたたんだ紙を小銭と一緒に彼女に渡す。

「そんなに警戒しないでよ。なんにもしないってば。でね、さっき奥に入っていった若旦那んところに、ガキみたいな面した奴がいると思うんだけど?」

「あら、ゼダさんのことかしら。今日はまだいらしていないわ」

 女の子の返事に、シャーは満足げにうなずく。

「そうそう、そいつにこれを渡してもらえないかなあ。おっと、若旦那には秘密だよ」

「ええ、それならいいけれど」

 女の子は、いぶかしがりつつも紙を受け取って去っていく。それを満足げに見やるシャーに、ハダートが頬杖をつきながら聞いた。

「いいのかよ。紙を開いたら中身が見えちまうぞ」

「どうせ、一言しか書いてないからいいんだよ」

 シャーの言葉に、ハダートはため息をついた。

「まあ、それならいいんだが。本物の坊ちゃんとそれで連絡を取るってことかい」

「連絡とりたかねえんだが、事情が事情だからなー」

 シャーは深くため息をつく。

「まあ、こっちに聞こえるほどの騒ぎにならなきゃどうでもいいけどな、俺は」

「そういってくれると助かるね」

「ああ、そうだ」

 ふと、ハダートは、顎をなでやった。淡い色の瞳がきらりと光り、彼は小声になっていた。

「そうそう、あんたの顔を見ているうちに、一つ思い出したんだが。この前、ちょっと気になるタレコミがあったんだった」

「気になることだって? なんだい。さっきは何もないみたいなことをいったくせに」

 シャーが、眉をひそめてそっとハダートに顔を近づけた。ハダートは、かなり小声になっていたので、そうでもしないと聞き取れないのだ。

「いいや、実際何もなかったからさ。何もなかったから、大したことじゃないとは思っていたんだが、念のため伝えておいてやるよ」

 ハダートはそう勿体をつけておいてから、シャーを見やった。

「この前、とある要人の暗殺を頼まれた、文官は周辺に用心しろ、というように連絡してきた奴がいてさ。それでしばらく警戒していたんだが、結局何も起きなかったのさ。何事もおこらなかったし、通報者もそれっきり音沙汰なし。悪戯かもしれないということで、ほとんど片付けられていたんだが」

「何か気になることがあるんだな?」

「ああ、そいつがいうには、あの女狐が噛んでるっていう話だったんだ。雇い主に、女狐が一役買っているとかそういうことだってさ」

「女狐?」

 シャーの目が、きらりと光った。ハダートは、肩をすくめた。

「とはいえ、証拠はない。何もおこらなかったわけだしな。さすがにあのおばはんだって尻尾を出すなんてことは、そうそうしてはくれないだろうよ。だけど、あの女の性格をあんたはよく知っているだろうし、一応そういう噂があることは気にとめておいたほうがいいかもな」

「まさか。しばらく反省していると思ったのに」

 シャーは、少し考えこむような様子になった。

「さあね。ああいう女に慈悲かけたってしょうがねえよ。でも、ま、あんたにとっては、ちょっと厄介な間柄なんだろうけどな」

 ハダートは、難しい顔をしているシャーを宥めるようにそういった。

「ま、それぐらいだ。今のところは、表向き平穏無事ってわけだよ、こっちは」

「それならいいさ。でも、今のは、一応気に留めとくよ。オレも気にはなってたからな」

 シャーはそう答えて、深くため息をついた。

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