6.危険な香りの覆面道中

 日がおちてしばらくしたころ。

 シャーは、昨夜と同じく、頭に布を巻きつけて少しいつもと姿を変えて街に来ていた。夜の街は、昨日と同じく賑やかだったが、こころなしか人の数が増えているようだった。そういえば、そろそろ休日が近いことをシャーは思い出していた。

「あいつら、遅いなあ」

 シャーはため息をつきながら、やってくるはずのゼダとジャッキールを待っていた。

 ここでぼんやり待っているのも退屈だったが、かといって今日行く目的の店の場所を知らないのだから、とりあえずジャッキールが来るまでどうにもならないのだ。

 間違いなく、ここは彼が指定した昨日のひなびた酒場の前なのだが、それにしても、こんなところで長時間ぽつりと待っていたら不審に思われてしまいそうだ。ただですら、シャーは誤解を与えやすい男なのである。

「おーい」

 向こうから声が聞こえて、シャーはぼんやりとそちらを見やった。向こうから、急ぎ足でこちらにくるのは、ゼダだ。

 ゼダは、いつもよりは地味な上着を着て、普段とは違う被り物をしていた。そんな変装でいいのかよ、とシャーは突っ込みたくなったものの、ゼダは表情を変えてしまうとまるで別人に見えるから問題はないのだろう。

「いやあ、悪い悪い。遅れちまったな」

 口で悪いといいながら、一向に悪びれている風もないゼダの言葉だ。シャーは、不機嫌だったが、肝心のジャッキールの姿も見えないところなので、ゼダを一方的に責めることもできずにいた。

「またねーちゃんを振り切るのに時間がかかったんじゃないのかよ」

 精一杯そういってやったところで、ゼダが珍しく渋い顔をした。

「そういう話ならいいんだがな」

「何だよ。色気のない話なのか?」

「ザフだよ。ザフ」

 ゼダは、珍しくうんざりした様子で首を振った。

「あいつの心配性にも困ったもんだぜ。ちょっとでかけるっていっただけなのに、いちいちどこにいくんですか、お帰りはいつですか、誰と遊びに行かれるのですかってしつこいんだ」

「なるほどねえ」

 シャーは昼間の青年の様子を思い浮かべた。おそらく、今日、シャーと会うらしいことに、彼は気づいているはずだったからだ。

「あいつを振り切るのに時間がかかってさあ。いい加減、子供じゃねえんだから自由にしてほしいぜ」

「ふん、がきみたいな面してよくいうぜ。手を離したらどこにいくかわからねえから心配されてるんだろうが。いーじゃねえか、忠実な部下でさあ」

「それはありがたいんだがな。ああ、いちいちうるさいと参っちまうぜ」

 ゼダは、眉をひそめると、ふと瞬きした。

「そうそう、それはそうとして、その旦那はどこいったんだ?」

「それが見つかってりゃ、こんなところでぼさっと立ってないよ」

 シャーは肩をすくめた。

「ここで待ってろっていわれたんだけどなあ」

 シャーは、改めて周りを見回した。正面には、うらぶれた酒場がぽつんと立っている。間違いなく、昨日ジャッキールとわかれた場所だった。彼はここで待っていろといっていたのだ。

「ダンナ、道に迷ったかね?」

 シャーは、ため息をついた。あの男なら、ありえることだ。なんだか普段はぼんやりしていて、ちょっとどじなところもある。シャーは少し気が抜けて、どうしたものやら考え始めていた。ゼダまできているのに、今日はこのまま退散などと格好のわるいことはできない。

「貴様ら、何をしている?」

 と、背後から声と気配を感じて、シャーはちらりと後ろを振り返った。そして、思わずどきりとして、居住まいを正した。

 そこにいたのは、背の高い男だった。帽子を目深にかぶり、鼻から下を布で半分覆い、黒っぽい長いマントを羽織っている。右目を黒い布で斜めに覆っているので、見えている左目だけが宵闇のわずかな光を受けてぎらぎら光っていた。

「な、何か御用ですか……」

 反射的に萎縮しつつ、シャーはそうっと訊いてみた。男は見えている片目を瞬かせた。

「わからんか。俺だ」

 男は、口を覆っている布をぐいと下げた。 と、シャーとゼダは同時に、あ、と声を上げた。

「ジャッキール?」

 奇妙な格好をした彼は、あからさまにむっとした様子になっていた。

「そうだ。ずっと待っているのに、貴様らときたら一向に来ないものだからどうなっているのかと思った」

 どうやら、ずいぶん前から待っていたらしい。この男の性格を考えると、約束の時間の相当前から待っていただろうから、余計に待たされて憤然としているらしかった。とはいえ、シャーはそんなことに興味はない。改めて、ジャッキールの服装を頭の上からつま先まで眺めてみる。普段は黒一色のことが多い地味なジャッキールには珍しい格好には違いない。朱色に幾何学模様の入ったスカーフを頭巾のようにして顔を覆い、こじゃれた装飾のある帽子をあみだかぶっている。黒いマントもよくみると、黒の糸で花をすかして刺繍していて、普段の彼からみるとずいぶんと洒落てはいるのだが、普段が普段な彼がそういう格好をしているとなんとなく奇妙に思えた。

「何だよ。その格好は」

 笑いをかみ殺しつつ、シャーはきいた。

「何? もちろん、変装だ。なんだ、貴様等は。そんな面の割れる格好をしてきて、どうにかなってもしらんぞ」

「変装って何もそんな厳重な格好しなくてもさあ。なんか、どこかの世を忍ぶ正義の味方って感じじゃんか、ジャキジャキ」

 シャーは思わずにやついていった。あまりからかってはいけないと思いつも、どうしても目の前にからかう対象がいるものだから、ついつい調子に乗ってしまう。

「そうだな、正義の味方って感じだよなあ」

 便乗してゼダが笑う。

「普段は悪役みたいな格好しているから、そんな格好してたら誰かわかんなかったぜ」

 シャーが手を打った。

「あはは、まったく! 誰かと思ったぜ」

「世直しの何とか頭巾とか何とか仮面とかそういうのやってそうだなあ」

「あ、ダンナなら似合いそう。ひゃはははは、いいね、それ!」

 調子に乗って、二人は顔を見合わせてにやりとした。

「もう、いっそのことそのまま正義の味方でもやったら?」

「ああ。ダンナは顔が怖いから、そうやってるほうが子供たちにももてるよ、きっと。なんとか頭巾のおじさんとかいわれてさあ」

「わはははは、似合いすぎるぜ」

「ひひひひひ、たまんねえなあ」

 二人は盛大に笑い声をあげる。黙って聞いていたジャッキールだったが、いきなり目を見開くと、拳をあげた。

「調子に乗るな!」

 ジャッキールの拳が同時に頭に降り注ぎ、シャーとゼダは思わず悲鳴をあげた。

「痛てっ!」

「貴様らのために案内してやるのに、なんだその言い草は! 遅刻してきて、なんだ、貴様等は!」

 ジャッキールは、頭をおさえる二人を見ながら、いかにも憤慨して言った。

「お前らが案内してほしいというからだったのだ。俺は、いいのだぞ。俺は! それとも何か?」

 いきなり、ジャッキールの目が、宙を泳いだ気がした。同時に、口角がひきつる。

「今から死ぬか?」

 最後の一言で、いきなり、ジャッキールの口調が変わったので、シャーは思わずどきりとした。そうっと彼の顔を覗き見て、シャーはさあっと青くなる。

「な、何を藪から棒なこと……」

「黙れ! 行くのか、死ぬのか聞いているのだ!」

「あ、ちょ、ちょと、ダンナってばやだねえ。そんな、すぐ本気になっちゃうんだから」

 シャーはそうやってごまかしながら大げさに首を振った。

 話がかみ合っていない。マズイ。第一、ジャッキールは、もう腰に下げた剣の柄をひたひたと指先で叩きだしていた。

「お、おい……」

 ゼダがややおびえたような声でシャーの注意を引く。

「お、おお。わかってるよ」

 シャーは、一人でぶつぶつ言い出したジャッキールを刺激しないように、小声で答えた。

「やべえ。あのダンナ、今日はマジだぜ。逆らうなよ、ネズ公」

「言われなくても、あんな目が逝っちまった奴に誰が逆らえるって言うんだ」

 それもそうか。と、シャーは納得しつつ、あまり目をあわさないように、ちらりとジャッキールの目を盗み見る。やはり、今日はマズイ。どこか焦点が合わなくなってきている。最初はわからなかったが、今日は会ったその時から既にジャッキールは、準備万端だったらしい。

「昨日もああだったのか?」

「いいやあ、昨日はもっとぼんやりした陰気でうらぶれたおっさんって感じで」

「だったら、なんだよ、ありゃあ」

「さあ、危ないところにいくから、それにあわせてくるとかなんとかいってたけどさあ」

 それでテンションを合わせた結果がこれということなのだろうか。

 そう話していると、ジャッキールの見えている片目がぎらりとこちらを見た。

「何をごちゃごちゃいっている! いくのかいかんのかどっちだ!」

「い、いきますよ、いきますって。で、でも、ダンナ、ちょ、ちょっと気合が入りすぎじゃないですか……」

「貴様が案内してくれというから、今日はそれなりの準備をしてきたのだ!」

「じゅ、準備ってなんだよ」

「さ、さあ、人でも斬ってきたんじゃ……」

「むしろ、ハッシッシとか」

「あーそれかも」

 思わず納得しかけたとき、ジャッキールの耳に入ったらしく、思わずきっと彼らを見た。

「そんなものやるか! 貴様らとは気合の入れ方が違うのだ! さあ、さっさと俺について来い!」

 ジャッキールはそういい捨てると、さっさと歩き出す。シャーとゼダは、首をすくめつつ、そろそろと彼についていくことにした。おっかないが、あのままの彼を一人にしておくわけにもいかない。今回は、シャーのほうから頼んだこともあるのだ。

「今日は血を見そうだな」

 シャーは、ゼダにささやく。

「俺たちに被害がおよばなきゃこの際よしってことにしよう」

「さっきからぐだぐだと! 無駄口をたたいている暇があったら、さっさと動かんか!」

「は、はいはい。すみませんでした」

「行くぞ!」

 とりあえず、今日は逆らわないほうがよさそうだ。シャーとゼダは、そろそろと仲良く並んでジャッキールに付き従って歩いていった。




  * *

 

 ジャッキールにつれられて、シャーとゼダは、いつのまにか怪しげな路地裏に入り込んでいた。周りにけして好意的ではなさそうな怪しげな男たちが、座り込んでこちらをにらんでいる。

 誰かの領域に入ったらしいことは確かだった。

 華やかな王都には、それ相応の暗黒部分も備わっていた。

 王都には、数人の悪党の親分が支配しており、彼らの中には王家と接近して内乱の時に動いた人物もいたという。

 たとえば、シャーと同じルギィズの姓を名乗るシャー・レンク・ルギィズは、とある王妃と結託して王家の陰謀に一役買ったといわれている。そのほかにも、ジェレッカやハーキムなどという名前の男たちが町を分割して支配していた。しかし、この前、ジェレッカは、レンク・シャーとの抗争で暗殺された。そのまま、縄張りはレンク・シャーに吸収されるかと思われたが、結局それはならず、ジェレッカの残党たちに、レンク・シャーの対抗馬であるハーキムに譲り渡された。ハーキムは、まだ若いらしいが、レンク・シャーに対抗できる人物としては、多分に期待されているらしかった。

 そして、そのハーキムの領域に、恐らく近づいている事は確かだった。

「おいおい、ここは」

「そうだ。ハーキムの縄張り内だ。お前らは、レンク・ルギィズと揉めているからあえて外した」

「あれ、ダンナそんなこと知ってるの?」

 シャーが、ひょいと彼の顔をのぞきながら言う。相変わらず、何かのきっかけでぷつんと一線を越えてしまいそうな気配はあるものの、先ほどより少しは冷静になっているようなジャッキールだった。

 危ない上に、少々世間とずれているところのある男だが、案外こういうときの読みは外さない男である。

「ふん、同じ名前の非道な男に、貴様のような奴がひとつ絡まないわけがなかろう? ねずみ青年はそれにつられて絡みそうだしな」

「ご名答でございます」

 シャーが肩をすくめて言った。

「確かに、あいつらにはさんざ喧嘩を売ったよ。んでも、ハーキムのとこのが安全ってわけにもいかんでそ?」

「マシだといっている。おまけに、レンク・ルギィズは、王家の闘争ともかかわりがあるのだろう。あまり首を突っ込まんほうがいいと思うがな」

 シャーは、むっと詰まった。さすがにそれを言われると、シャーも弱い。口を尖らせていると、ジャッキールが続けていった。

「ハーキムには、特別喧嘩を売らなければ、当面どうにかなるだろう。今のところ、手は出していないのだろう」

「まあ、そうだけどさあ」

「しかし、旦那も怪しいところよくご存知だね」

 ゼダが口を挟んだ。ジャッキールは、苦笑する。

「ふん、こういう稼業しょうばいをしていれば、いやでも詳しくなる」

 あまり、無駄口は叩かん方がいい。

 ジャッキールはそういいおくと、黙って進み始めた。

 なるほど、さっきとはえらいちがいだ。と、シャーはうんざりした。

 今の返答などは、冷静そのものだ。ただ、それでも、目がどこか泳いでいるので、今日はなにかのきっかけでぷつんと切れるに決まっている。当分ジャッキールには大人しく従っておいた方がよさそうなのである。ただ、どこで切れるかわからないので、その辺、かなり気をつけて口をきかなければいけない。本当に厄介な男だ。

 しばらく歩くと、路上に汚い格好の男が一人座り込んでいた。男は病気の人間のように、無気力を装っていたが、その目は、明らかに彼等を侵入者として値踏みしていた。内心シャーは構えたが、それを見て取ったらしいジャッキールが軽く首を振るのが見えた。ジャッキールは懐から財布を取り出し、銅貨を一枚取り出すと男に投げやった。

「ビザンの酒場に行くだけだ。通せ」

「ああ、それならまっすぐにいけばいい」

 といって男は立ち上がり、ふとジャッキールの顔を覗き込んで、驚いたような顔になった。

「おや、これは旦那。お久しぶりですな」

 彼は慌てて愛想笑いをうかべながら、ジャッキールに道を譲る。

「その青い面をみるととっくに死んでいるかと思っていましたが、まだ首と体が離れちゃいねえとは」

「ふん、そう簡単に死ねんらしいからな」

 憎まれ口をたたきつつ、ジャッキールは小声でつづけた。

「仕事の斡旋ですか?」

「そうではない。少々知りたいことがある」

 ジャッキールは、ふとにやりと笑っていった。

「貴様も相変わらず仕事熱心だな。通りがかる人間の顔などそんなに改めても意味があるのか?」

「これがあっしの仕事でさあ、旦那。後々揉め事が起こったときに、どこの誰が関与していたのか、うちの王様は知りたいとおっしゃる。旦那みてえに、ちょっと変装してきたところで、あっしの目はごまかせないんですぜ。今日は女が六人、野郎は十二人ここを通ったが、その顔全てを覚えていられるんでさあ。それがあっしの特技なんでね」

「ハーキムも用意周到なことだ」

 ジャッキールは、涼しげにいって通り過ぎようとしたが、ふと男の方が声を立てた。後ろのシャーとゼダを見て、警戒したらしい。男は表面上親しげにジャッキールに声をかける。探っているのに違いない。

「おや、珍しい。若えツレが二人とは。旦那にしちゃあ、珍しくて雨が降りそうですぜ」

「その二人も喧嘩を売るつもりできているわけではない。身元は俺が保証しよう」

 ジャッキールがキッパリというと、へへへ、と男は笑い、もみ手をしながら引き下がる。

「旦那にそういわれりゃあ、これ以上は調べようありませんやね」

 たとえ、文句があったって、といって男は醜い顔に苦笑を浮かべた。

「文句をいっても、斬られるのがオチでさあ」

 ほら、ビザンの酒場はあそこですよ、と男は向こうを指差した。暗がりの中、扉から灯りがもれている家がある。見かけは汚く、胡散臭い感じがしたが、中から喧騒がもれてきていて、繁盛しているらしいことはわかる。

 どうやら、ジャッキールが目指す酒場というのは、そこのことらしかった。

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