2.路地裏のミシェ
昼間の強い日差しを避けて、日陰を選んで通りながら、シャーは通りを進んでいた。
まばゆい昼間の街は、その厳しい日差しにもかかわらず、活気に満ちていた。行商人たちが行き交い、露天商は声を張り上げて客の足を止めようと必死だ。
そんな街を横目に、シャーはひたひたと街の中を進んでいた。例のサンダルの足を無造作に運び、露天で買ったおやつをかじりながら歩いていく。
「ここの生地がもちもちしてるじゃんか。なかなか美味だね」
シャーは気のない声でそういいながら、人の流れに逆らいながら進んでいた。何の目的もなさそうに見える彼の歩みだが、ずっと彼の姿を見ているものがいるとしたら、彼が最初から目的をもって街をすすんでいることに気づくだろう。
彼の視線の先に、一人の女が街を進んでいた。まだ若い女で、橙の目立つ色の服が真昼の太陽に鮮やかだった。
(リーフィちゃんは、気にするなってったけど、俺は気にするからね)
シャーは、おやつをぺろりと口の中に放り込むと、速度を速めた。
(なんかこうひっかかるんだよな。あの女)
シャーの視線の先にいるのは、昨夜彼に酒をひっかけていったあの女だ。
すうっと彼女の影が建物のほうに消えていく。
「おっと、まずいまずい。巻かれるわけにゃいかねえんだよな」
シャーは慌てて足を進めて、彼女を追いかけた。路地裏に女の姿が消えたのを確認して、シャーはいっそう足を速めて路地に踏み込んだ。
と。一瞬、白い光がひらめいたのを見て、シャーはすばやく身を翻す。
「わあっ、と!」
「あんた! 昨日の!」
大げさに声を上げて短剣をかわしたシャーは、建物の影に身を隠すように入り込みながら思わず苦笑した。目の前で声を上げたのは、先ほどの女だ。シャーは短剣がかすめた肩のあたりをなでやりながら首をふった。
「あっちゃあ、ばれた? いかんねえ、オレも尾行の腕がおちちゃったよ」
「うるさいね!あんたは目立つんだよ、顔が!」
「そんなひどい。そりゃ、オレみたいな男前、一目見たら忘れらんないんだろうけどさあ」
女は険しい目でシャーを睨んだ。シャーは肩をすくめた。
「ちょいちょい待ってよ。刃物を振り回すのはごめんこうむりますよ、おネェさん。おネェさんにゃ刃物は似合いませんよ」
「何であたしの後をつけたのさ! 答えなよ!」
シャーのおべっかを振り払うように女は短剣をひらめかせていう。
「まぁまぁまぁまぁ、そんなコーフンしないでさあ。何でって、そりゃあちょっと興味があったからさ。おねえさんも美人だしね。オレは、きれえな子には弱いのさ」
「お世辞いったって効かないよ!」
女は短剣をつきつけてくる。シャーは、ひい、と怯えたような声をあげる。
「ちょ、ちょっと待ってってば。なにさ、おねえさん、追われるのに心当たりがあるの?」
思わずどきりとしたような彼女を見て、シャーはにんまりと笑った。
「おっ、ズボシだね? 困ってるなら相談乗るよ。オレ、こう見えても結構紳士だし、信頼も置けるっつうか」
「ふん、あんたに関係ないでしょ! どきな!」
シャーの軽口にいらだったらしく、女は短剣を振って走り出そうとした。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
慌ててシャーは引きとめようとするが、女は一度シャーをにらみつけてそのまま走っていく。
「あの、ちょっと……」
シャーは呼び止めようとしたが、ふいに何かの気配を感じて口を閉じた。路地の向こうから、数人の男たちの話し声がする。
女はそれに気づいたらしく立ち止まる。すぐに声の主たちは、彼女の前に姿を現した。皆屈強といっていい体格の男たちだった。余りきちんとした服装をしていないところからも、彼等の素性が何となく知れるというものである。
彼等は、女の姿を認めると少しだけ安堵したような顔をした。どうやら彼女を探していたらしい。
「ミシェ。こんなところにいたのかよ。探したぜ」
「あんたたちが遅いからだよ」
女は冷たく答え、男たちを見回した。
「あの人の居場所はわかったのかい?」
「わからねえからお前を呼び出したんだろう? なあ、知ってるんじゃねえのか?」
リーダー格らしい男が、女にそうきくが、彼女はふいっと顔を背けている。
「さあね、あたしがききたいよ」
女は強い口調でそう言い返す。
「お前もしらねえならしょうがねえな」
「ああ。今あたしも探してるところなんだよ」
女はぶっきらぼうにいって、ふと眉をひそめた。
「それより、変な奴が後を追いかけてきているんだ。何とかしておくれよ」
「変な奴?」
「ああ、そこにいるだろ。三白眼の薄汚い……」
ミシェと呼ばれた女は、背後をみやって指差そうとしたが、途端に目を見張った。背後にいたはずの男が見当たらなくなっていたのだ。
「誰もいないじゃないか」
「変だね。さっきまでは確かにそこに……」
ミシェは、困惑気味に眉を寄せて、あたりを見回した。やはり誰もいない。
男はため息を吐いた。
「まあいいさ。ミシェ、あいつが見つかったらちゃんと俺たちにも報告するんだぜ」
「わかってるさ」
彼にぶっきらぼうにそう答えて、ミシェはそっぽを向いてしまう。だが、それも慣れているのだろう。男は肩をすくめると、他の連中に戻るように言った。
それを見やってミシェは、彼等と同じ方向に歩き始める。
もう一度振り返ってみるが、あの男の姿は見えなくなっていた。彼女は早足に、路地の向こうに消えていった。
「ちぇっ」
狭い路地に小さく舌打ちが響き渡り、路地の建物の隙間から青い布が飛び出した。狭いところに体を無理やりねじ込んだので、不自然な体勢になりながら、シャーはずるりと隙間から這い出てくる。
「いてて。なんだい、いーところだったのに、あんなごつい連中に邪魔されるなんて、オレってついてねーなあ。なんてかわいそうなオレ」
ひっかっかった右足を手で引っ張って抜き取りながら、シャーはため息を吐いた。ひどい目にあったが、あの連中に囲まれるとちょっと厄介である。こういうときは痩せておいてよかったとか、体が柔らかくてよかったと思わないでもない。
シャーは、ミシェの去っていったほうを見た。もう彼女の姿はあとかたなく消えていた。シャーは少し唸っていたが、すぐに考え直して上機嫌になった。
「でも、なかなかいい感じじゃない。彼女とオレ。今度きいたらおしえてくれるかもしれないな」
手ごたえはあったしね、とシャーは再び足を進めかけた。今から追っていけば、うまくすれば彼女の居所ぐらいはわかるかもしれない。
「馬鹿じゃねえのか、お前は」
不意に声が割り込んできた。シャーの動きがぴたりと止まる。
「全然いいところじゃねえな。アレは、相当嫌われてるぜ、テメエ」
「誰だ!」
声が聞こえてきたのは、シャーが入ってきた大通りに面するとおりのほうからだ。シャーはそちらに目をやった。反射的に手が腰にある刀の柄に伸びる。
「おいおい、そうそう慌てんない」
やけに絡んだ口調の人物は、大通りのほうから逆光を浴びて姿を現した。やたらと派手な色の上着が、光を浴びて目に鮮やかだ。彼は顎をなでやりながら、にやりとする。彼はひどく童顔だったが、そんな表情をすると別人のように大人びて見えた。
「久しぶりに見かけたと思ったら、真昼間から女の尻を追いかけてるんだもんな。おもしれえから様子見てたら、案の定振られてやがるし、ははは、なかなか面白かったぜ!」
「てえめえ……」
シャーは露骨に嫌そうな顔をして、そっぽを向いた。
「よお、久しぶりだな」
そこに立って、楽しそうに彼を見ているのは、あのネズミ……、つまり、あの遊び人で伊達男を気取っているゼダだった。
「なんでえこんなところでよ? お前みたいな坊ちゃんが、こんなところに昼間に用があるのかよ?」
シャーがぶっきらぼうにいうと、ゼダは肩をすくめた。
「挨拶だなぁ、三白眼よう。オレだってな、夜な夜な遊び歩いてるだけじゃあねんだよ。昼間に買い物にでてみたら、なにやら見覚えのある青い男が、女の尻をおいかけてこそこそしてやがるもんだから、なんだろうかと気になってきてみりゃあ」
「なんでえ、その言い方は! あのなーっ、オレは別にそんな軽々しい気持ちでさっきのねえちゃんを追いかけてたんじゃないんだぞ!」
ますます不機嫌になるシャーを見て、ゼダは意地悪そうに笑うと、壁に手をかけて寄りかかった。
「ほほー、そうかね? ま、どういう目的かしらねえが、とりあえず、あんな迫り方したら女の方がびびるのは当たり前だろうが。男のオレから見ても十分不審だぜぇ?」
「うー、うるせえっ! ひとのことはほっとけ! いいんだよ、オレはオレのやりかたでっ!」
何かわからないが、やけにもてるらしいゼダに言われて、私情もからんでシャーの怒りはどんどん燃え上がっていく。それがゼダには余計面白い。
「ま、おめーが、女にどれだけキモがられようとオレは興味ねえんだが」
ゼダは、余裕を持って笑いながらシャーのほうを見た。
「生憎と、おめえさんがあの女を追いかけてた理由のほうに興味があってよ。話はきいたが、リーフィがらみなんだろ?」
図星をさされて、一瞬うっとつまったシャーだが、すぐさま体勢を整える。
「リーフィちゃんをなれなれしく呼ぶな、このネズミ野郎。お前にはカンケーない話だよ!」
「そりゃそうだな。オレにはまるでカンケーねえ話さ。だが、オレはリーフィのことは気に入っているし、ちょっとした借りもあるしな。それに、オレはお前が追いかけてたあの女のことも知ってるんだぜ?」
気に入らない様子で話をきいていたシャーだが、最後の「あの女のことを知っている」ときいて、思わず不機嫌な顔を崩した。
「あの、ミシェっていう子のことを知ってる?」
「おうよ。だから、余計興味が湧いたのさ」
ゼダは白い歯をちらりと覗かせた。
「ちょっと知ってる酒場の女なんだよ。それがどうしてリーフィと揉める原因があるのか、気がかりでねえ。さっき、ああ聞いてたところをみると、おめえも、ろくろく理由がわからねえようだし」
「ああ、昨日いきなりやってきてリーフィちゃんに因縁をつけてたんだが、リーフィちゃんには心当たりがないんだってさ」
シャーは、顎をなでやった。
「それで、ちょっと理由を聞こうとおもって調べてみたんだけど、あの調子だしさあ」
「なるほどなあ」
ゼダは、ため息をつきながら両手を組んで、背を壁にもたせかけた。
「リーフィは、美人な割りに無愛想な女だが、逆にそういうところが他の女に嫌われにくいと思ったんだがな」
「うーん、そうなんだよな。オレもリーフィちゃんは人の恨みを買うような子じゃないと思うし」
ちょっと冷たい感じなので、誤解はされることはありそうだけど。と、シャーは付け加えて、癖の強い髪の毛をいじりだす。
「それじゃ、あの女から事情を聞けばいいんだろ? 酒場に夜にいって、さりげなくきいてみりゃいいんだ」
「おお、それは名案……」
といいかけて、シャーは、急にむっとした顔つきになった。いつの間にやら、ゼダに自然に事情を話してしまったことに気づいたのだ。
「なんだよ。おめえには関係ないんだろ。何なれなれしく首をつっこんできやがるんだよ!」
シャーが、そっぽを向いてそういうと、ゼダは面白そうに唇をひきつらせた。
「ほほう、そんな口きいていいのかよ? 今回の件については、オレが必要じゃねえのかい? 店を調べるくらい、お前にもできるだろうが、あの女から話をきくのは、ちぃーっとテメエっちには荷が重いんじゃねえか?」
「そ、そんなことないだろ!」
むきになるシャーの前で人差し指を振って、ゼダはにんまりと微笑んだ。
「おいおい、さっきあれほど警戒されてたのを忘れたのかよ。それが酒場にまで追いかけてきているとしたら、おめえ、不審者としてまず追い出されて袋叩きだな」
「ううっ」
ゼダに横目でじっとり見られ、シャーは思わず唸った。ゼダが、勝利の笑みを浮かべる。
「おめえの顔は、大体怪しすぎるんだよ。それにな、女の子に話をするときは、刺激しねえように優しく、そんで遠まわしにいかねえと。お前みてえに初対面で図星ついちゃあなあ」
「う、うるさいうるさい!」
むきになってシャーは大声をあげたが、考えを変えたのか少し唸って腕を組んだ。じろりとゼダを睨む。シャーとしても、この男に頼るのは腹が立つのだが、確かに自分があの娘に嫌われているらしいことはよくわかっているのだ。
「本当に、テメエなら、あの子から事情をきけるんだろうなぁ、ネズミ」
「おうよ」
ゼダは自信たっぷりに答えた。
「まあ、俺に任せとけって」
ゼダはにやりとすると、ふらりと身を起こした。
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