笑うムルジム

1.いきなり修羅場

 夕方の王都。すでに日の沈んだ後の街は、人の安らぎに満ちていた。徐々に温度が下がり始め、月が少し明るくなってきたころ、普通の人は家で休む時間なのだが、彼といえばそういう時間に動き出すのが常だった。

 今日も王都の片隅で、その男がやけに軽やかな足取りでふらふらと歩いていた。右手に白い花をもってふらふらしているそのさまは、不審といっていいものだったが、彼の顔を見ればこの付近の住民達は驚かないだろう。いつものことなのだ。

 その、ちょっと薄汚れたマントをひらめかせつつ、サンダルで陽気に歩く男は、今日はひどく上機嫌だった。くしゃくしゃのきつい巻き毛の黒髪に、ぎょろりとした三白眼をくるくるまわしながら、彼は鼻歌交じりに街を闊歩していた。

「いやいや、久しぶりだなあ。一週間もあけちゃいないのに、すごく久しぶりみたいだよ」

 そんなことをいいながら、すっかり機嫌のいいのは、いつもどおりのシャー=ルギィズだった。例によって、今日もまた舎弟たちのいる酒場でおごってもらってしまおうという魂胆だった。とはいえ、最近は、リーフィのところが最優先らしいので、あそこにうまく連中がうまくいたらそれこそ幸運なのである。ただ、リーフィのいる酒場は、彼らにとっても溜まり場になっているため、大体いることが多いのであるが。 

 シャーは、というと、このところ色々と野暮用があって、酒場に通っていなかったから、リーフィの顔も見ていない。毎日のようにリーフィのところに出かけていたので、さすがにリーフィも寂しがってくれているのではないだろうか。シャーは、うっかりとそんなあつかましいことを考える。

「シャー、しばらく姿が見えなかったから、どうしたのと思っていたの。なにか病気でもしていないかって……なーんて」

 シャーは、いささか舞い上がった様子でつぶやきながら、軽やかな足取りになっていた。

「心配してくれるんじゃないかなあ、リーフィちゃん。リーフィちゃんは、一見素っ気なさそうだけど、本当は優しい子だし、なんといっても、俺様だけだもんね、あんなにリーフィちゃんとお話できるのは」

 最近、変な自信をつけたシャーだった。

 確かに、シャーとリーフィは、このところ仲がよい。といっても、余人の思うような恋仲というわけでもなく、ただ単に仲がよいのだった。

 本人達、いや、シャーに全く下心がないわけではないのだが、リーフィのほうからすると、同性の友達みたいな感覚であるらしい。ともあれ、リーフィはシャーのことを信頼しているらしく、無表情な彼女だが、シャーにはそれなりに愛想を振りまいてくれるのだった。もっとも、その愛想というのも、彼女をよく見慣れたものでなければ、わかり辛い微々たるものかもしれない。基本的にリーフィという娘は、感情が顔に表れないほうなので、表情がほとんど動かないのだった。

「土産話も色々仕入れてきたし、オッサンじゃないがちょっとしたお花も摘んできたし」

 と、シャーは右手にもっていた白い花を見やった。もうちょっと余裕があったら、それこそ花束を買っていくはずだったが、そもそも金銭的余裕がないシャーにはそれは厳しい。仕方なく、どこかで綺麗なジャスミンを摘んできて、それにきゅっと赤い飾り紐を結んでおくのが精一杯である。

 そんなしょうもないプレゼントだったが、シャーのほうはすっかり舞い上がってしまっていた。もともと舞い上がりやすいたちなのである。

 ともあれ、今日のシャーは割りと意気揚々と、リーフィのいる酒場に向かっていたのだった。

 リーフィのいる酒場には、すでに人がかなりいるようだった。入り口でその気配を感じたシャーは、リーフィが他の客にとられちゃいないかと心配になってきたが、その時は、なんとか自分のほうを向いてもらえるようにするまでだ、と一方的なことを考えて扉を開けた。

 さあ、なんと声をかけたものか。リーフィはちゃんと心配してくれるだろうか。

「何考えてんだよ、あんた!」

 扉をあけたシャーを迎えたのは、突然の女の怒号だった。思わずどきりとして、シャーは入り口付近で足を止めた。先ほどまで酒場はざわざわとしていたのに、彼が一歩そこに足を踏み入れた途端、急に声がやんで、水を打ったように静まり返っていたのだ。

 一瞬、シャーはその声が自分に向かって飛んできたものだと思ったぐらいだったが、それは勘違いだった。ちょうど注目の中心、声はそこにいる二人の女のうちの片方に投げかけられたものだったから。

 そう、そこには女が二人立っていた。二人とも若い女である。

 一人は、シャーのいる位置からも顔がはっきりと見えた。細身のすらりとした、一目見てもわかる綺麗な顔立ちの女は、見慣れたリーフィだった。相変わらず表情が薄いので、彼女の顔から何が起こっているのか推察するのは無理である。

 問題はもう一人……。気の強そうな見慣れない女が一人いた。年齢はリーフィとそれほども変わらないように思う。ちょっと丸顔で、リーフィよりは少し幼くも見えるのだが、少しきついめの化粧のよくにあうかわいい子だ。赤い装飾のある服をまとっているが、どうもリーフィとは同業者のように思えた。酒場か妓楼かなにかで働いているのではないだろうか。

 事情が飲み込めないこともあって、シャーはしばらく入り口で固まっていた。

「いい加減、何とかいったらどうなの!」

 女は黙っているリーフィに業を煮やしているようだった。リーフィは、一度瞬きをしたが、どことなく気後れしているようだった。彼女に随分なれたシャーには、今でこそわかるのだが、リーフィは驚いているのである。しかし、女にはそれがわからないらしい。無理もなかった。リーフィの表情を読み取るのは、なかなか熟練が要ることなのだ。

「一体、何のことをいっているの?」

 リーフィは、比較的おっとりとそう口にした。それが女の気に障ったのか、女ははっと眉を上げると、傍の客が飲んでいた酒を酒をいれた入れ物ごと取り上げた。

「ちょ、ちょっと!」

 慌ててシャーが間に入った。突然現れた乱入者に、女は不快そうに眉をあげる。それに少し気後れしたものの、シャーは息をのむと改めてリーフィの前に立ちながら、彼女を見やった。

「お、お嬢さん、何があったかしらないけど、いきなりそんなこと乱暴だよ。ねえ、ここは、ひとつ、まぁーるく収めるということでさあ」

「あんたには関係ないだろ!」

 女はぴしゃりといった。その反応は予想していたが、ここまで即反応されるとは思わず、ややひるんでしまう。

「そ、そりゃあそうですけんど」

 シャーは、女に睨まれて少し慌てつつ、どうにかとりなそうとする。

「しかし、こっちの子は事情もわかってないみたいだし」

「うるさいね!」

 女はかなり気分を害しているようだった。

(こりゃあ、出てきたの失敗だったかな)

 シャーは思わず苦笑いしてしまうが、一旦出てきた以上はひくわけには行かない。

「ま、まあまあ、そんなこといわず。それじゃ、ねえ、オレにちょっとお話をきかせてくんない? ほら、オレ、結構ここいらに顔きくし、人間話合いで解決するのがいちば……」

 ん、と続ける前に、女の手から酒瓶が飛んでいた。

「シャー!」

 黙っていたリーフィが声を上げる。バリン、と床で酒瓶が砕け散り、中のぶどう酒が周りに飛び散った。

「いたたたた、目が、目が染みる」

 女は、はっとしてシャーのほうを見た。その瞬間、わずかに体をのけぞらせていたシャーは、なにやら顔をおさえている。

「いてて、まともにかかっちゃったよ。思いっきり、目開いちゃった」

 そういって、シャーは手を離す。額から赤い液体がたらたらと流れ落ちている。それをみて、女はびくりとした。思わず静まり返った酒場の中を見回したあと、彼女は耐え切れなくなったように駆け出した。扉を力任せに開ける。

「あ、ちょっと、君! 血じゃないよ。ぶどう酒だってば」

 シャーは慌てて女に声をかけたが、女はすでに扉から夜の街にでていったところだった。 

「そんな、別に脅かすつもりじゃなかったんだけどなあ。」

 シャーは手持ち無沙汰に、べたべたする髪の毛をなでやり、困惑気味に女の背中を見やった。額から落ちてくるぶどう酒をぺろりとなめてシャーはため息をつく。

「んー、もったいないことするねえ。オレの頭に吸わせたって酔わないじゃないか。どうせなら飲ませてくれたらいいのにさっ」

「シャー、大丈夫?」

 声が聞こえて振り返ると、すぐ傍までリーフィが来ていた。シャーは、軽くうなずくと、静かな店内を見回す。いくらかいた客達は、彼とリーフィのほうを黙ってみていた。

 シャーはそれをみると、いつもの調子で声をあげた。

「ちょっとちょっと、見世物じゃないよ。折角酒場にきたんだから、皆さん、盛り上がっててよ! ほーら、夜も短いんだから!」

 シャーがそう声をかける。何人かはそれで雑談に戻ったようだが、それでも気まずい空気はなかなか消えない。

「仕方ないなあ、キミタチは」

 シャーは肩をすくめて、顔見知りの客のほうに向かうと、なにやら調子のいい言葉を並べ立て始めた。そうしながら、シャーはリーフィにちらりを目をやった。リーフィは割れた瓶をかたづけはじめている。

 シャーは、彼女にちらりと目配せした。リーフィは軽くうなずくと、割れた瓶のかけらを集めて奥に下がっていった。






「まだ、べとべとするみたい」

 奥の部屋で、シャーはリーフィから濡れたふきんをもらって頭を拭いていた。いつもは上でまとめてある巻き毛の髪の毛を下ろしているので、やや鬱陶しそうにしているシャーだった。もっとも、彼のそういう姿は見ているほうも結構鬱陶しいのだろうが、リーフィはそういう反応を微塵ともみせないので、シャーとしてはちょっと安堵するところである。そもそも、シャーは髪の毛がまとまりにくいたちなのだ。だからといって、短髪に切りそろえて、まめに手入れするような人間でもない。それで、手っ取り早く髪の毛をまとめてしまっているのだった。

 ときどき、癖の強い髪の毛の先をつまんでみたりしているが、意外にべとつきがとれないらしい。シャーは、風呂はそれほど好きではないのだが、今回はどうやらいかねばならなくなりそうである。

「シャー、ごめんなさいね」

 隣でリーフィが、申し訳なさそうに、といっても、相変わらず表情がかなり薄いのだが、そういった。

「ううん、気にしないでよ、リーフィちゃん。まあ、風呂に入る口実ができたってだけだからさ」

「本当にごめんなさいね」

 リーフィはそういってシャーの向かい側に座った。

「でも、あのコ、一体なんでリーフィちゃんにあんなに絡んでたの?」

「それがね」

 リーフィは白い顔を少しだけ曇らせた。

「それが、私にもよくわからないの」

「え? そうなの?」

 シャーは驚いて身を乗り出した。

「ええ、私もね、実は会ったことがないの。知らない子なの」

「そうなの? 心当たりがないんだね?」

「ええ」

 リーフィは眉をひそめた。

「雰囲気からして同業者じゃないかしらとは思うのだけれど、顔を見た覚えもないし、このあたりのひとじゃないみたい」

「それはそうかも。確かに見ないコだったよね」

 シャーはうなずきながら、顎をなでやった。

「なんで怒ってたのかとかもわからないの? オレ、途中から入ってきたからさあ、経緯がよくわかんなくって」

「ええ。それが、いきなりやってきて、ふざけないで、とか、あんたのせい、とか、どこに隠したんだとか言われたんだけれど、私には何のことやらさっぱりなの」

 シャーは、軽く唸った。

「いきなりそんなことをいいにくるなんて、人違いなんじゃない? リーフィちゃんって、人に恨まれるような人じゃないじゃん」

「そうかしら。そうだといいんだけれど」

「そうだよ。リーフィちゃんに限ってありえないってば」

 シャーはそういって、ため息をついた。

「こんなことになるなら、あの後尾行しとけばよかったな。どこの誰かぐらいはわかったのにさ」

「ううん、いいのよ」

 リーフィは首を振った。

「そんなことは、もういいの、シャー。彼女、もしかしたら、またお店にくるかもしれないし、そのときはちゃんと説明するから。私もいきなりでびっくりしちゃって対応できなかったのがいけないのよ」

「そんなリーフィちゃんは、被害者なんだからそんな気にしなくても」

 シャーは、ぐいと身をのりだしつつ、にっと笑った。

「何かあったら相談してよ、リーフィちゃん」

「ええ、ありがとう」

 リーフィは、いつもながらにほのかに微笑した。シャーはその笑顔がみたいがために、そろそろと酒場に通ってきているのだった。

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