終.風呂帰りの来訪者

 突然響き渡った甲高い金属音は、しかし、酒場の喧騒に打ち消されて、気づくものは少なかった。

 普通なら、一番騒ぎを起こすはずの目の前の男が、無言だったのもあるし、シャーが座っていたのが隅のほうだったからもある。

 半分鞘走った状態の抜き身は、男が抜き放った小剣で受け止められていた。

「あ、あら……」

 シャーが我に返ったと同時に、男は不機嫌そうにシャーを突き放すようにして弾く。そのまま、マントの中に滑り込ませるように、彼は刀を鞘におさめた。ちょうど座っていた椅子にたたきつけられるように戻されて、シャーは少しきょとんと彼のほうを見上げた。

「ありゃ、おかしいな? なんでいきなりこんなことに?」

「おかしい、で済む話か? 一体何をするか」

 目の前にいるのは、そういえば先ほど話題に上がっていたような気がするジャッキールその人である。さすがにかなり不機嫌ではあるが、この騒ぎを聞きつけられたくないのか、彼もどなりつけたりはしない。だが、彼にしてはやけに早口になっているところで、その心情は予想できるところである。

「とおりすがっただけで斬りかかってくるとは、俺でなければ死んでいるところだ。こんなところで刃物を抜くとは、常識知らずもいいところだな」

 普段、常識やら節度やらとは無縁の彼にそういわれて、何となくシャーはきょとんとしてしまった。

「いやあ、あんたじゃなかったら切りかかってないとは思うけど」

 シャーは苦笑する。

 そうか。先ほどの師の雰囲気を思い出したのは、コイツが近くに現れたからだ。

 シャーは、一応の納得を見た。似ているわけではないのだが、絶対的に冷徹だった師の雰囲気と、ジャッキールが普段から纏わせている空気というのは、大体同じようなものだった。

 彼が近くを通ったので、反射的に切りかかってしまったともいえる。だから、シャーとしては、自分が悪いながらも、ジャッキールの雰囲気が悪いと責任を転嫁してしまいたい気分もあった。

「いや、でも、悪かったね。別に嫌がらせじゃないのよ。それにしても、相変わらず顔色悪いくせに元気だね、ダンナ」

 シャーは、ちょっと皮肉を混ぜた。

「だけどさ、お堅いアンタが何の用よ、ジャッキーちゃん」

「俺が酒場に来ては悪いのか?」

 ジャッキールは憮然として答えた。

「別に悪いとは言ってないよ。下戸でも別に酒場で遊ぶのはたのしーもんだし。いきなりこられると心臓に悪いだけでさ」

 ジャッキールは、目を伏せて鼻先で笑った。

「ふん、俺が入ってきたぐらいで、剣を抜きにかかるようなのは、自制心の足りない証拠だろう。もう少し精進でもするんだな」

「おたくこそ、そんな殺気ビシバシ飛ばしまくりながら歩くなよ。だから、人間どころか虫すらよりつかねえんだ。もうちょっと、生き物によりつかれるような生活でもしたらどうだよ」

 シャーはちょっと絡むような口調になる。いつもは気のいいつもりのシャーだが、どうも本性を知られている相手には容赦がないらしい。

「おちつかねえったらありゃしねえ」

「貴様のようないつも精神の弛緩したやつは、多少緊張したほうがいい」

 ジャッキールは、すげなくいいすてる。 

「あら、お久しぶりね。ジャッキールさん」

 急にリーフィが、声をかけてきた。いつの間に出てきたのかわからなかったが、手にはシャーに入れた茶をのせた盆を持っている。その湯気の運ぶ香りが、場に合わないのどかな空気をつれてくる。

 ジャッキールは、反射的に直立姿勢になると、顔まで硬直させてあわてて挨拶をした。

「こ、これは。こ、こちらこそ、沙汰もなく失礼した」

「お元気そうでなによりだわ。怪我も大分いいみたいね」

「あ、ああ、お、おかげさまで、な」

 やたらとぎこちない彼を横目に、シャーは冷めた口調できいた。

「なんだ、リーフィちゃんに挨拶しにきたの?」

「いや……」

「私が一度来てくれる様にいっていたのよ」

 リーフィが、困ったジャッキールを助けるように間に入る。

「ええ? リーフィちゃんが? どうして?」

 シャーが、いかにも不可解だといいたげな顔で声をあげ、きっとジャッキールを睨む。こういうことには、まるでだめらしいジャッキールは、明らかに動揺したそぶりを見せる。リーフィは、そんな二人に気づいているのかいないのか、平然とした顔で話を続けた。 

「ちょうど、あの時預かった服の繕いが終わるころなの。そのころに寄って欲しいっていっていたのよ」

「いや、すまないとおもっていたのだが」

 ジャッキールが所在なさげにいったが、リーフィは笑顔を見せた。

「あら、気をつかうことはないわ。こういうのは、私の趣味なんだもの」

「あ、そういうことなわけ」

 シャーが、少しほっとして浮かした腰を下ろす。

「そうなの。あ、もしかしたら、もうお帰り?」

「い、いや」

 きかれて、ジャッキールは、相変わらず戸惑いつつ続けた。

「せ、折角来たのだから、いっぱいいただきたくおもうのだが」

「そうなの。それじゃあ、服は帰りに渡すわね? それじゃあ、なにか用意してくるわね。シャーと一緒の席にすわって、シャーと一緒にお酒を飲んでおいて」

「えっ! リーフィちゃ……、ちょっとなんでオレがこいつと……」

 シャーが何かいいかけたが、リーフィはもはやきいていないようだ。

「じゃあ、少しいってくるわね」

 リーフィは、シャーの前にいれてきたお茶をおいてすすめると、また酒を取りにあわただしく席を立っていった。と、不意に振り返り、一言きく。

「何でもいいかしら?」

「あ、ああ、特に好みは……」

「どきどきしながら注文してんじゃねーよ、おっさんが」

 ジャッキールの緊張した様子に、小声で毒づき、シャーは、やれやれとため息をつく。リーフィは、たったと行ってしまって寂しいが、リーフィの性格もわかってきたので、まあ、仕方がないかなあなどとシャーはため息混じりに思う。

 それはともあれ、今日は舎弟がいない日でよかったかもしれない。彼らの前で、ジャッキールみたいな物騒がマント着てうろついているような男と話したくない。思わず地が出てしまいそうだ。

 とはいえ、ジャッキールのほうも、多少は気をつかっているらしいところはある。本当はシャーの本名も知っているくせに、彼は自分のことをアズラーッドとしか呼ばないし、なんとなくではあるが、それなりに自分をまともに見せようという努力が見えないでもない。その割に効果があまりないのであるが。

「ちょいと、不服だけどまあいいや」

 シャーは、口を尖らせつつ酒を注ぐと、ジャッキールの前においた。

「何が不服だ」

「男と飲むのは趣味じゃないんだよな」

「普段取り巻きをつれて飲んでいる男の言葉とは思えん」

 ジャッキールは、片眉をひそめてそんなことを言う。

 そりゃあそうだが、とりあえず、あんたみたいなヤツと飲むとはおもわなかったんだよ。

 シャーは、その言葉はとりあえず飲み込んでおいた。

「まあ、ちょっとだけならいいけどね。ただし、オレはお金ないよ。ダンナがおごってくれるなら、飲んであげてもいいけどさ」

「いつもその調子で遊んでいるのだろう。全く」

 ジャッキールは、いつもの、しかめつらしい様子でそういうと、杯を手に取り、口に含んだ。

「おーや」

 ふと、シャーは、驚き混じりの声をあげた。大きな目をしばたかせながら、彼はぽつりという。

「ありゃ、あんた、酒飲めたんだ」

「……貴様が酒を入れてくれたのではないのか?」

 シャーは、両肘をつきつつ、ジャッキールをねっとりと横目に見た。

「入れたのは嫌がらせにきまってるじゃんか。なんだ、てっきり、下戸だとおもってたんだけどな」

「意地の悪い男だ」

 ジャッキールは、苦笑も浮かべず、少しむっとした様子でシャーのほうを見た。

「しかし、貴様が、どういう感覚でそういうことになったのかはしらんが、別に飲まないといった覚えはない」

「そういわれればそうだっけ」

 シャーは、他人事のように軽く答えながら、相変わらず珍しそうにジャッキールをみやる。ジャッキールは、別に表情も変えずに酒を飲みながら、不意に思い出したように付け加えた。

「まあ、実際の話、貴様ぐらいの年のときには、俺は下戸だったがな。付き合いでしか飲んだことがなかった」

「ああ、そのくらいで、人生捨てちゃったから酒でごまかしだしたわけ?」

 そういったとたん、ジャッキールの目が、シャーのほうをぎらりと向いた。シャーは、反射的にがたがたと後退する。

「おお、こわ……。今の目線だけで一人二人殺せそうだな、ホント」

 シャーは、怯えたそぶりをみせつつも、そんな風におどけて言う。

「ほんっと、凶悪な目つきするよねー。そんな面してるから、一向に身が固まらないんでしょ」

「人のことが言えた口か」

 ジャッキールは、いかにも不快そうに眉をひそめた。

「オレは若いけど、ダンナは、そろそろアレなお年じゃない。そろそろ、更生しないと、嫁がきてくんないよ?」

 シャーは、口元をにやけさせながら相変わらず横目に彼を見た。嫁とかなんとかいわれて、こういう話が苦手なジャッキールの顔には、すでに動揺が走っている。まじめな男はからかうと面白い。とはいえ、彼の場合、余りからかいすぎると命にかかわるのだが。

「俺のことは別にかまわんだろうが」

 ジャッキールは、ようやく咳払いしてそういってのけるが、何となく視線をシャーから外したままだ。しかし、彼はすぐに気を取り直し、例のやけに真面目な口調でつげる。

「それよりも、貴様のほうが問題だろう。いい加減ふらふらしていないで、もう少しまっとうな……」

 ジャッキールが、例のごとくずらずらと説教をならべたてはじめたのをきいて、シャーは、ひっそりと首を振った。

「あーあ、ジジイは説教がすきで困る。自分は好き勝手人殺ししまくりなくせに、何をいまさら口うるさく……」

 シャーが小声で毒づいたのが聞こえたのか、ジャッキールは説教をとめると、きっと彼の方をにらんだ。

「何か言ったか?」

「べつになーにもいってません」

 もしかして、酒を飲むと余計説教臭くなるのだろうか。それほど酔ってもいない様子だが。いや、きっと元々説教魔なだけに違いない。

「大体、貴様というやつは、若者だというのに不健全だ。もっと若者らしく……」

「ああ、そうですね。どうせ、オレはアレですよ、アレ」

 適当に答えつつ、シャーは苦笑いした。

(酔ったらくだまきそうだな、このオッサン)

 続くジャッキールの説教を上の空に、シャーはそんなことを考えていた。一回のせてどこまでも飲ませてみても面白そうではあるのだが、かといって、本当に延々と説教されたらいやなので、ちょっとだけ迷ってしまうシャーなのだった。




 危うく、ひたすら続きそうだったジャッキールの説教をかわしたところで、妙に沈黙が続く。

 いつの間にやらリーフィも、戻ってきていたのだが、だからといって話が弾むわけでもなく、妙にぼんやりと静かになってしまったのだ。変な落ち着きがあって、空気自体はけして気まずいものではない。それぞれが落ち着いて、くつろいでいるといった様子だ。もともとリーフィもジャッキールも、それほど多弁ではなく、自分から話を振るほうではないので、自然とそうなるのだろう。

 シャーは、そんな間の抜けた沈黙に苦笑した。別に居辛いわけではないが、口数の多い彼は、何となく場を盛り上げなければならない、変な使命感に駆られてしまうことが多かった。

「さっき、思わず昔のことを思い出しちゃってねえ」

 誰にともなく、シャーはそう言った。

「思わず、野蛮な一面が外にでちゃったよ」

 さっき、というのは、ジャッキールに飛び掛ったことだろう。その話が出たところで、リーフィとジャッキールの両方が、静かに視線だけうごかして、シャーの方を見た。シャーにとってありがたいのは、彼ら二人が取り立てて気まずそうな顔をしなかったことである。おかげで、彼も軽い気持ちで続きを口にすることができた。

「どういうわけか、師匠の夢を見てね」

「師匠って……、シャーの剣のお師匠様?」

「そ」

 リーフィにきかれて、シャーは苦笑まじりに答えた。左手に顎をのせて、右手で杯をつつきながら、彼は大きな目をリーフィに向けつつ続けた。

「とんでもねえクソジジイでねえ。ろくなもんじゃなかったぜ。オソロシー奴だったよ。ジャキジャキと比べても、どっこいそっこいな感じだったもん」

 思わずジャッキールが、神経質そうに片眉をひそめたのを、目の端で確認しながら、シャーは続けた。

「何の夢だというのだ。穏やかな夢ではなさそうだな」

 ジャッキールが、少々不機嫌そうに口を開く。それは予想できていたので、シャーはにんまりとしながら、例の三白眼をちろりと彼に向けた。

「当たり前だよ。アンタの殺気のせいでみるような夢さあ、ロクでもねえ夢だよ」

 むかし、と、シャーは続けた。

「オレが、まだ餓鬼のときにね、夜起きだしてみると、師匠が一人で剣の修行をやっていたのさ。その様子が、あまりにも鬼気迫っていてな、オレは、何故か恐くなったんだよ。その人間が、本当にオレが知っている師匠なのかどうかわからなくなってな」

 シャーは、杯の酒で唇を湿した。

「まあ、寝ぼけてただけなんだよ、本当のこといえば。でも、オレが敵と見まがうほどに、師匠は確かに恐かった。思わずこっちに気づかれたときに、オレは反射的に持っていた剣に手を伸ばしたのさ。それで、師匠に飛び掛ったってわけよ」

 急に周りのざわめきが耳に入った。向こうで、楽しげに笑う男たちの声が聞こえる。

「それで」

 途切れた話をつなぐように、ゆったりとジャッキールが口を開いた。相変わらず明るくもない声だった。

「飛び掛った後は?」

「餓鬼のオレがかなうような相手じゃなし。一太刀浴びせる暇もなく、ボコボコにやられましたとも。オレが寝ぼけて飛び掛ったのがいけないんだけどね。あのジジイ、手加減というものをしらないからなあ」

 シャーは、苦笑いした。

「その後で、自制のきかないやつが刃物を持つなって、散々怒られちまったよ。痛い目みるわ、怒られるわでオレはひどい目をみたぜ」

 まあ、と、シャーは、一息ついた。

「別に今でもあまり自制のきかない男なのかもしんないけどね、オレは」

 そこで少し間があいた。今度は、大きな笑い声がまわりでおこることもなく、ざわざわと人々のさざめきがきこえていた。

 ジャッキールも無言だし、リーフィは無表情に黙っている。シャーは、言ってはみたものの、何となく反応が恐くなってきた。

「なるほど」

 ふと、ジャッキールは杯をおくと、腕を組んだ。案外普段は、おっとりとした動作もするらしいジャッキールは、十分なほど間をとりながら彼を見やった。戦闘のときとは違って、冷静な目のジャッキールは、別に優しくもないが、なにやら思慮深そうな光を宿しながら、意外なことを口にする。

「貴様は、師が怖かったのか?」

 思わぬことを聞かれて、シャーは一瞬戸惑った。少し顎に手をあてて考えて、ようやく答えを導き出したのか、考えながら答える。

「さあ、確かに怖かったのかも。オレは、あの人が好きだったが、同時に結構怖かったよ。理解のできないところもあったしな」

「なるほど。貴様の師は厳しい男だったのだな」

「そうだね」

 シャーは、ジャッキールの質問の意図を図りかねながらうなずいた。

「だが、師としてはいい師だっただろう?」

「どうだかわからないけど、悪い先生じゃなかったね」

「だろうな」

 ジャッキールは、そこで初めてにやりとした。

「そのときは、どうしてそんなことで叱られるのかわからなかったのではないか」

「もちろん。オレを脅した師匠の方が悪いと思っていたよ」

「今なら?」

 ジャッキールは、シャーを試すような口ぶりで訊いた。

「今なら?」

「そうだ、今なら、思いのほか理解できるのではないか?」

 そういわれて、シャーは少し考えた。いつの間にか杯の酒はなくなっていた。いつの間に飲んでしまったのだろう。

「……さあ」

 シャーは、にやりと唇を歪めながら答えた。

「案外わかるかもしれないね」

 ジャッキールは、返事をせずに目を伏せて酒を飲んでいた。

「ジャッキールさんは、今王都にいるの?」

 突然、思いついたように、今までずっと黙っていたリーフィが口を開いた。それをきいて、シャーが思わず手を打って便乗する。

「あ、そうそう。さっきから気になってたんだよな。なんか、この辺うろついてるみたいな感じだったしよう」

 シャーは、顎に手を当てつつ、にやにやしながらジャッキールを横目で見た。

「いいのかよ、都には色々敵がおおいんじゃあないの~。あいつとかあいつとかに、見つかったら八つ裂きにされるぜ?」

「相手もな」

 さらりととんでもないことをつぶやく。

「別に行く当てもないし、しばらく遠出する気にもならんからな。まだ、この前の怪我も完治してはおらんし」

 しかし、と、ジャッキールは、少し眉間をひそめながら訊いた。

「しかし、何故わかった」

「そりゃ、石鹸のにおいがするからだろ。ねえ、リーフィちゃん」

 シャーは頬杖をつきつつ、リーフィのほうに視線をやる。

「ええ。お風呂に行くぐらいだから、ここにいるのかしらとおもったのよ」

「別に、住み着いていなくても公衆浴場ぐらい……。ここの郊外によい温泉地もあるし、石鹸の名産地も近いので、湯治にもいいと思って……」

「そんなに頻繁にはいかないだろ。ひょっとして、風呂帰りなのかよ?」

「ま、毎日風呂ぐらいいくだろう」

 何故かわからないが、妙に絡まれてジャッキールは、困惑気味に答えた。

「えー? そうなの。オレは別にそんなにはいかないけどなあ。金もないし」

 リーフィが、微笑みながら言った。

「ジャッキールさんは、綺麗好きな感じがするものね」

「単に潔癖症なだけじゃない? そもそも髭がないのって、その年でここいらじゃ珍しいよ。ふつーは、ダンナぐらいの人は、髭ぐらいあるもんだろ。大人のおしゃれっていうか、たしなみじゃん?」

「うるさい! 俺はああいうのは不潔な感じがして、いやなのだ!」

 思わず、そういいきったジャッキールを見やりながら、シャーは面白そうに笑った。

「ほれほれ、やっぱし、こだわってるんじゃんか。もしかして、風呂があるから、いついてるんじゃないの? 戦闘中は我慢してるけど、風呂がないと生きられないんじゃないのダンナ。そーいや、この前、剣の騒動でふらふらしてるときも、妙にこぎれいにしてたけど、毎日風呂いったり、服の洗濯とかしてたんじゃないの~、逃亡生活中の辻斬り犯の癖に」

「あ、あれは、濡れ衣だといっただろうが! お、俺の日常生活に口を出すな!」

「お! 人の日常には説教するダンナがねえ~。自分には甘いね、ダンナ」

「う……!」

 思わず、詰まったジャッキールをみやって、シャーは勝ち誇った笑みを浮かべた。こういうときはあまり怒っても恐くないので、シャーは、ひーひー笑う。あからさまに冷静さを失ったジャッキールは、かっこうの標的なのだ。からかうと、これ以上ないほど面白いのである。一旦冷静さを失うと、口が全くまわらなくなるジャッキールは、やけに気味酒をあおる。それをみながら、シャーはさらに笑うのだった。

「なんだか盛り上がっているようなので、お酒、もう一本もってこようかしら」

 その様子を見て、何を判断したのか、リーフィがぽつりとつぶやいた。






 結局、ジャッキールは、そのうちに帰っていった。いつの間にかそれなりに遅い時間になっていたので、シャーもいい加減お暇することにして、リーフィと外で話をする。

 歓楽街の夜は、酔っ払いどもが多くて、それなりににぎやかなものだ。たとえ、場末のここいらでも、やはりそれなりに人気があって、周囲ががやがやしていた。

 砂漠の夜の冷たい風が、酔った頭に何とはなくここちよかった。

「それにしても、あのオッサン、今日は変に優しかったな。なんか、悪霊でも憑いたかね。いや、普段のが悪霊がついてる人だから、いい幽霊でもついたのかなあ」

 そんなことを口にするシャーに、リーフィは、ちょっと笑いながら言った。相変わらず表情の薄い彼女である。

「ジャッキールさん、多分、ちょっと悪いなあとおもったんじゃないかしら」

「ええ? 何が」

 リーフィが、急にそんなことをいうので、シャーはきょとんとして聞き返す。

「何に気を遣ってたっていうの?」

「だって、ジャッキールさんのせいで、変な夢を見たんでしょう? シャー」

「ああ、あのオッサンの殺気でね。影響されちまったのかもなあってぐらいだけど」

「それに対して、ちょっと責任感じたんじゃないかしら。だから、ちょっと優しく言ってくれたんだと思うわよ」

 そういわれれば、あの後、少々気まずそうな様子だった。機嫌の悪いときのジャッキールなら、切りかかった時点で返り討ちにされてもおかしくないぐらいなのだが。

「ええー、そうかな。ダンナに優しくされても、不気味なだけだけど。明日大雨が降りそうだよ」

 あえて意地悪く言うシャーを見上げつつ、リーフィは言った。

「あの人、見かけによらず、かなり繊細なひとみたいね」

「困った人だよ。ホント。一歩間違えたら、オッソロシイ殺人鬼なんだけどな」

 シャーは、苦笑しながらそういって、はた、と動きを止めた。

「そーいや、ここにいるとはいったけど、あのオッサン、どこに住んでるんだろ。仕事も見つかってないのに、なにしてんのかねえ」

「そういえば、そうね。向こうの方に歩いていったけれど」

 リーフィが、人形めいたしぐさで首を傾ける。

「……案外、裏長屋みたいなとこで、内職して暮らしてたりしてね……。恐ろしいけど、ありえそうで恐い」

「内職……。確かに、意外に似合いそうね」

 リーフィのぼんやりとした声をききつつ、シャーは、うーむ、とうなった。想像すると笑えるものがある一方、あの第一級のキケンジンブツが、そんなところで平和に風呂に入ったりしつつ、のんびりとうろついているのを考えると、何となく先行きが不安になるシャーであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る