8.シャルル=ダ・フール

1.シャルル=ダ・フールは契約す

 ***


 その日は――。

 その日は、じりじりと照りつけるような暑い日だった。

 シャルル=ダ・フールは、彼と対峙していたが、やがてふうとため息をつく。

「わかったよ。あんたがそこまでいうなら、オレが即位する」

 彼はは観念したようにいって、不安そうなカッファに手を振った。

 心配しないでいいから、黙っててくれということらしい。まだ若いシャルル=ダ・フールは、以前戦場にいたときのようには深い兜や仮面をかぶってはおらず、はっきりと顔立ちが確認できた。あの深い兜のせいで、彼の顔をはっきりと覚えている人間は少ない。青く塗られた兜の下で輝いていた目は、今は静かにハビアスを見ていた。

「ただし、条件は三つある」

 シャルル=ダ・フールはそう言って、ハビアスの目を見て指一本を立てた。

「一つ、オレは基本的に政治には関わらない。オレは馬鹿だからさ、オレがそういうの苦手なの、アンタ知ってるだろ? だから、そういうの、あんた達でテキトーにやっちゃってくれよ。オレは、軍事と外交以外はドシロウトだからな」

「あなたはご自分でおっしゃるよりは聡明なお方だ。いいえ、ご兄弟の中でも、あなたほど頭の切れるお方は珍しい。……しかし、あなたが望まぬというなればそれでもいいでしょう。そもそも、我々は。いずれ退位していくはずの国王たるあなたに、そのような政治的手腕を求めるわけではありません」

カッファはむっとしたが、シャルル=ダ・フールはにこっと笑った。

「それじゃあ、一つ目は契約成立だな」

 今度は指を二本立てて彼はいった。

「二つ、オレは政略結婚もしなければ、後宮も作らない。王国の為の結婚なんてしないということだ。オヤジの二の舞はごめんだぜ」

 はははとハビアスは笑う。

「いいでしょう。あなた以外にもセジェシス様のお子さまはいらっしゃる。あなたが世襲を望まないというのであれば、その方の子孫で王位継承は事足ります。外戚のいないあなたなら、カッファさえよければ問題も起こりますまい」

「それじゃあそれも成立だな。カッファ、いいんだろ、別に」

 いきなり名指しされて、カッファはあわててうなずいた。シャルル=ダ・フールは、にやっと笑った。

 そして、その目が一瞬剣呑な光をたたえた。

 この、わずかに青みがかった目を、ハビアスはあまり好きではない。それはセジェシスがこの世で一番愛して追い求めた女に似ていた。そして、あの女の目と同じように、何となく不気味で、そして伝承で伝えられる邪眼のようにすら思えた。

 ふとハビアスは身構える。性格がセジェシスとよく似ているにも関わらず、彼よりも考え深いこの青年に彼ははげしく警戒した。

 そして、彼は指を三本立てた。

「三つ、オレは何かが起こらない限り、宮殿にはいない。オレの好きなときに好きな場所で、好きな行動を取る。ま、お忍びであちこち回ってるよ、ってことだな。オレが本気で街の中に紛れたら、あんた達でも多分見つけられないだろうぜ。でも、それでいいっていうなら……そんな名前だけの王様でいいなら、オレは王位についてもやってもいいよ」

「で、殿下……!」

 カッファが、呆然と呟いたが、シャルル=ダ・フールは表情を変えなかった。

 ハビアスに挑戦的な目を向けたままにやにやしている。

 逆襲だとハビアスは思った。この若い王子は、彼が考えなかった方法で、ハビアスに噛みついてきたのである。ハビアスの強制に対しての、これは報復でもあるのだ。

 本来なら、絶対に許されない筈の内容だった。それを許すのなら、やってやってもいいと彼は言っている。

 思わず、ハビアスはにやりとした。半分は、そんな彼に対する期待と興味のあらわれからきた笑みであり、もう半分はこんな若い小童こわっぱにしてやられたことに対して、少なからずいらだっているからだ。

 シャルル=ダ・フールは帝王学を知らない。彼には敢えて誰もそれを教えなかった。しかし、彼は一流の戦士として育てられ、将軍として戦場を経験し、そして市井の遊び人に身を持ち崩してもいた。本来、王であってはいけない男だ。しかし、面白い男には他ならなかった。

 ハビアスは、胸の内にくすぶる複雑な感情を押し殺しながらくすくすと笑った。

「ふっふっふ。あなたは面白い方だ」

「そうかい? オレから見ると、ハビアスの爺さん、あんたも十分面白いひとだよ」

 シャルルの顔立ちは、セジェシスの一番愛した女に似ていた。その纏う雰囲気は、セジェシス自身によく似ていた。頭の切れるところは母に、明るくて行動的なのは父に――。

 彼がその出自を疑われもせず長子として認められたのは、あまりにすべてが両親に似ているからだった。

「いいですよ、シャルル=ダ・フール殿下。あなたという方を私は多分好きなのでしょうな。やがて、暴君となるかもしれないあなたを、しかし、こんなにも王にしたくなる」

「へぇ、それホント?」

 シャルル=ダ・フールは笑みをゆがめた。

「オレもあんたのそーゆー歪んだとこ、嫌いじゃないよ」

 そういって青いマントを翻し、若きシャルル=ダ・フールは足を進めた。

「それじゃ、契約は成立ね。……オレは王位につくよ。それでいいんだろ、ハビアス」

 カッファが慌てたように彼の後ろをついていく。ハビアスはそれを見送りながら、ふっと笑った。

「それでよろしいのですよ、殿下」

 隠している筈の心のゆがみさえ言い当てられて、ハビアスは、思うのだ。

 

 ――あなたも随分と恐ろしい方ですよ、と。



 ***



 地下水道のしずくの音は耳障りだ。

「は、はっ、……くそっ……! なんて遠いんだ!」

 息を切らして走りながら、シャーはひたすらに出口を目指していた。

 走り慣れた道でも、今日はなぜかこんなに遠い。途中であった敵を一刀でなぎ払いながら進むたび、彼は焦燥にかられる。

(こんな事なら最初から城にいるべきだったか? でも……オレは……、オレは、ただ!)

 どうして自分は城に行かなかったのか。ジャッキールに言い当てられた通り、ここを突破されるのが怖かったからだ。それもある。

 しかし、本当はそれだけではない。ジャッキールが見抜いていない理由が、実は彼にはあった。

 本当は、極力彼女に顔を見せたくなかった。

 城にいる自分などを見せたくはなかった。いつの間にやらラティーナに本気で惚れていた自分は、彼女に真実を告げるのが恐かった。もちろん、真実を知られるのも恐かった。

 そして、わかっていたからだ。行けばザミルと争うことになる事も――

「ラティーナちゃん……!」

 走りながら、シャーは知らずに口走っていた。

「お願いだから、先走りだけはやめてくれ……!」

 濡れたサンダルが道に不思議な音を立てる。前から来る敵をかわしながら、シャーは噛みしめるように呟く。

「悪いのは、オレだ! 全部オレなんだよ!」

「わあああああ!」

 前の男が奇声をあげながら飛びかかってくる。シャーは、足を止めなかった。そのまま剣を抜いて走り抜ける。

「お前らの相手している暇はねえんだよ!」

 危険な行為だとはわかっているが、足を止めるわけには行かない。自分の勘に全てを委ね、シャーは刀を振るった。手応えを確かめる間もなく、相手が倒れたのを見る間もなく、ただ慌てて走り抜ける。

 はっ、はっ、と小刻みに呼吸をしながら、彼は暗闇を睨んで走る。

「誰かがあんたに殺されるべきだとしたら、それはオレなんだよ! だから誰も殺さないでくれ!」

 全速力で風のように走りながら、まだ出口は見えない。


 *


 金属の打ち合う音がせわしなく響いていた。

 ラティーナは、カッファによって庇われる形になっていた。暗殺者だということは知っているのに、カッファ=アルシールはなぜ自分をかばっているのか、ラティーナには全くわからない。

 味方はカッファと騒ぎを聞きつけてきた近衛兵が一人。多勢に無勢だった。カッファがいくら一人で頑張っても、この数は倒しきれない。

「うおおおお!」

 カッファは、剣を一閃して、相手を打ち倒すと、ラティーナを背にかばいながら後退した。

「近衛兵はどうした!」

「そ、それが……みんな表を警護しているんです! 私だけは中を……! おそらく、まだ気づいていません!」

 そして、この近衛兵を外に出してももう無駄だ。

 敵は、すでに廊下にも出ている。この近衛兵一人走らせたところで、情報が伝わる前に殺されてしまうだろう。扉は厚く、おそらく外にいる連中にこの騒ぎは聞こえない。それに一部を除いた近衛兵の連中にも、シャルル=ダ・フールの部屋には何があっても入るなと普段から厳しく伝えてある。

 シャルル=ダ・フールがレビ=ダミアスと入れ替わっているという事実は、極秘にされている。それを知られないように、彼への接触は最低限のものだった。

「失敗だ! まさか内から攻めてくるとは!」

 カッファは唇を噛みしめた。そして、ラティーナをちらりとみた。彼女はびくりとしたが、カッファの目に敵意はなかった。

「そうか、言っていたな、あの方が……情報を……」

 カッファは少しだけため息をつく。

(あの方が道順を言ってしまったならば、仕方がない)

 あの時、全てを彼に押しつけた報いだ。だが、それでも彼が自分を恨んでそうしたのではないことは知っている。

 この娘に大方恋をしたのだろう。あの人はそういう人なのだ。今までもそうだった。彼の恋情は、時に彼の身を滅ぼす。そういう恋しか彼はできない。

 カッファはそう言うところも含めて、彼のことを好きだった。だから、責める気にはなれなかった。

「サーヴァンの姫君、陛下を許していただきたい」

 侵入者が続々と増えるなか、カッファは静かに言った。

「あの方は、常にラハッド様のことを気にかけていらっしゃった。急には信じられんかもしれないが、陛下はラハッド様の件に関しては関係はない。……ただ、あの方は、止められなかった事に責任を感じ、哀しみに沈んでいらっしゃった。それこそ、しばらく食事も満足にできないほどにな」

「ど、どういう意味なの?」

 ラティーナはラハッドのことを持ち出され、やや感情的になった。カッファは静かにいった。

「陛下は、あなたの想像以上に心を痛めておられるのだ。責任をとれとおっしゃるのなら、私が全て取る。だから、陛下を許してやってはくれまいか」

 カッファがそういった直後、わっと刺客達が襲ってくる。カッファは長い刀を構え直すと、雄叫びをあげながら彼らに立ち向かっていった。

 ラティーナは、呆然と彼らの戦いを見守っていた。隣室からも剣を交える音が聞こえる。

 まだ、レビ=ダミアスとザミルの勝負が続いているのだ。

 レビ=ダミアスは、銀色の流れを受けては返し、そして、忍び込むようにして切りつけていた。

 ザミルは存外にレビ=ダミアスが強いことに、やや焦りを感じていた。病み上がりのレビの顔色は、あまりよくないが、彼は息を切らしながらも、確実に狙いすました場所に切り込んでくる。

(やるな……!)

 ザファルバーンは尚武の国だ。

 その王子達も、ある程度の武芸を心得ている。

 しかし、一番恐ろしいのがシャルル=ダ・フールだ。ほとんどの王子が、土地の剣技を習い、実戦経験を経ていないが、彼だけは異国の剣術を教え込まれて、そして戦場にいった。実際彼がどれほどの腕前なのか、彼はわからない。

『シャルル=ダ・フール=エレ・カーネスでございます。ご機嫌うるわしく、母上様』

 本当の母のいないシャルルは、妃に対してはすべて母上と呼んでいたし、血のつながらない兄に対しても弟に対しても、表向き兄弟と呼んでいた。ごくごく稀に、一度だけ、彼は二人の母に挨拶をしに来たことがあった。しかし、実際に会ったのは、ほとんどそれぐらいなものだ。

 彼は普段も素顔を晒すことはなかった。通常、あの羽飾りのついた青い兜を目深にかぶり、鎧を着て青いマントをたなびかせて歩いていた。そうでない時も剣を帯び、きらびやかな仮面で顔を隠していた。毒を盛られたから、または戦場でけがをして顔が醜いのだといわれていたが、定かではない。将軍の息子の一人としか思われない姿をしており、カッファが迎えた養子ではないかとも言われていた。ザミルですら、彼が当人だと知ったのは随分後のことである。

 そんな彼は、公式の場にほとんど現れず、セジェシス在位中の公式行事にもほとんど参加していない。彼が何を思い、何を考えていたのかはわからない。

 しかし、ザミルが覚えているのは、時々シャルルが見せる荒々しい空気だった。

 痩せた長身をふらつかせながら歩くシャルル=ダ・フールの、兜の下からのぞく眼差しに、その全身から感じられる殺気のようなものに、彼は戦場の空気を見て取った。

 だから不審だと思ったのだ。あの男がよりによって病気などと。身体が弱いなどとどうしてそんな嘘をつくのか謎だった。確かに内乱中、あの男は病気になったといわれていた。しかし、そうだとしても、どうしても信じられないことでもあった。

「ザミル! 行くぞ!」

 レビの声が聞こえ、ザミルは現実に引き戻される。

 真横に薙ぐ彼の刀が、ぎらりと銀色の光を放つ。鋭い剣だった。おっとりとした彼の性格からは読めないほど、それは激しく鋭い振りである。慌てて対応しようとしたが、受けて流せるようなものではなかった。

 激しく刀身を叩かれて、ザミルは剣を手放してしまった。剣を落とされ、ザミルはさすがに青ざめる。

「覚悟しろ! ザミル!」

 レビはそういって、刀をふりあげたが、途端、彼の動きが止まった。

 息を吸い込んだ途端、彼の口から咳が飛び出ていた。

「ッ!! げほっ!」

 突然がくりと肩を落とし、彼は激しく咳き込み出す。やがて立っていられなくなったのか、剣を床に立てながら、けほけほと咳き、身体を辛そうに曲げていた。

 あっけにとられていたザミルはようやく状況をつかんだ。

 レビ=ダミアスは、ぜえぜえと苦しげに息をしながら、ひたすら咳をしていた。レビ=ダミアスこそ、確かに病弱だった。彼は子供のころから、ほとんどをその寝台の上で過ごしてきた。急激に動くことは、彼の体に負担をかける。

「お、惜しかったな、レビ=ダミアス」

 ザミルはようやく安心して、落とされた剣を拾った。レビは、まだ剣こそ手放していないが、咳が続いてまともに喋ることすらできない。

「……う、ザ、ザミル……」

 息苦しそうにレビはぜえぜえと、雑音混じりの呼吸音を響かせている。ザミルは安心しながら、剣を構えた。

「なるほど、剣の腕だけは、大口を叩くだけのことはあったな。だが、それもこれまでだ」

 ザミルはふっと笑う。隣の物音が聞こえてきている。すでにラゲイラの兵隊たちがなだれ込んできているのを彼は知っていた。

「……楽にしてやろう」

「くっ……!」

 レビは、かすかに歯がみした。呼吸が苦しくなって立ってもいられず、座り込むことしかできない。レビは、胸を押さえながら、ザミルを見上げた。

(ああ、シャルル……)

 彼は血のつながらない弟を思い出しながら、ぽつりとおもった。

(すまない……君の役に立とうと思ったのだが、……私では……)

 ザミルは突き出した刃をさっと掲げた。そのまま、真下に振り下ろそうとしている彼の口許には歪んだ笑みが浮かんでいた。

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