2.借りは利子つけて返してね
「あー、マジかよ。これ以上待てねえぞ」
ハダート=サダーシュは小声で、しかし、やや焦ったように吐き捨てていた。
「チッ、あの三白眼野郎、まさか失敗したんじゃねえか? クソ、あの野郎、女絡むと、ほんっとうに使えねえなあ!!」
苛立ちまぎれに酒瓶を地面に叩き付けて、ハダートはため息をついた。
これ以上は無理だ。もうラゲイラの側からは、動いてほしいと暗号で命令が送られてきている。準備ができていないだのなんだの理由をつけて待たせているが、もうこれが限界だ。これ以上やると自分も疑われる。
「ちッ、冗談じゃねえぞ」
ハダートは、燃えさかるたいまつの火を見ながら腕を組んだ。油がじりじり鳴るごとに、期限は迫ってきているのだ。冷たい砂漠の風に、とうとう部下の一人が声をかけてきた。
「将軍、もう時間です」
「くそ、……仕方ねえな……」
ハダート=サダーシュは、苦い笑いを浮かべた。
「用意が済み次第、行動に移れ! ……コトと次第によっては、宮城を攻めることになる!」
「はっ!」
両手を組み合わせて敬礼し、部下が伝令に走る。
「よろしいのですか?」
そばにいた士官の一人がそっと訊いた。といっても、彼を止める気もさらさらないようだ。ハダートは、ふっと鼻先で笑うように言った。
「成り行きに任せるしか仕方がないさ……」
今までだってそうやってやってきたからな、と他人事のように言い捨てて、ハダートは、松明から目をそらした。
ざり、と足下の砂が鳴る。きびすを返し、ハダートは自らも”反逆”の為の準備に入る。
(シャルル=ダ・フール……。俺にあんたを裏切らせないでくれ)
どこかでそう思いながら、ハダートはマントを翻す。口ではなんやらいいながら、いつの間にやら”彼”に相当入れ込んでいる自分に気づいて、彼はやれやれとため息をついた。
冷たい夜の静かな街。
その夜を自らの燃えさかる火で、地獄のようにする時がくるのかどうか、ハダートには、今のところはわからない。
*
ジャッキールが地下道を抜けた頃には、その勢いは圧倒的に侵入してきたザミル側にあった。
外側のハダートがどう動いているかはわからないが、少なくとも、城の中では頭を押さえられた形になり、伝令がうまく行き渡らなくなっている。混乱した状態では、護衛の兵士達も動きが悪い。中には降伏する者も出てくる。
(やはり、まだ、内部の体制がうまくできていない)
ジャッキールは内乱から復帰してそう経たない宮殿の状態に対して、自分とラゲイラの読みが当たっていたことを知る。まだシャルル=ダ・フールは地盤をかためきれていないのだ。このままいけば、容易にことが運ぶのだろう。
「シャルル=ダ・フールの居室は、殿下が押さえているとか。……我々は城の他の兵士の懐柔に回ります」
「そうか」
シャルル=ダ・フールの居室前の廊下まで、すでに彼らはやってきていた。
その周囲を見張る役目を仰せつかったジャッキールには、今現在の中の様子はわからないが、大体の予想はついていた。
(あの三白眼、いったいどこに消えた?)
まさか死んでいることもないだろう。あのシャー=ルギィズでも正面から突破しようとすれば、ただでは済まないだろうが、そんな無謀なことをしでかすとも思えない。
廊下をざっと見回ることにして、ジャッキールはゆっくりと歩き始めた。
今は戦闘状態にあるものは、廊下にはいない。すでに戦闘が終わった様子に、ジャッキールは、自分の居場所が完全になくなったことを確信した。
ここはすでに戦場ではない。それは、寂しいことであったが、彼の未練を断ち切らせてくれる力強い説得力を持っていた。
自分は、戦場ではないこの場にいる必要がもうないのだ。
不意にジャッキールは、目を反対側の廊下に走らせた。走り込んでくる兵士の一団が見えたからである。しかも正規の宮殿の護衛の兵士ではない。彼らが連れてきたラゲイラの私兵達だ。報告でもしにきたのかとおもったが、そうではない。
彼らの身体から放たれる殺気のようなものが、ジャッキールの心に警戒を与えた。すでに抜きはなっている剣をわずかに引き寄せて、彼はそちらの方を見た。
兵士達は、彼の周りを取り囲むようにざっと散った。
「何の真似だ?」
細い目をさらに細め、ジャッキールは相手を睨むようにしていった。
「ここの指示権は俺にあるはずだ。貴様らに勝手な行動をされるいわれはない」
「今まではな!」
部下達の後ろから声がした。その声だけでも十分に誰であるかがわかったので、ジャッキールにはまだ笑う余裕があった。
「なんだ、貴様か。ベガード……」
ジャッキールは静かにいった。松明の光を浴びて現れたのは、間違いなくベガードである。
「何の用だ。貴様には別働隊の指揮を任せたはずだがな」
それに、とジャッキールはやや皮肉っぽく笑った。
「あの三白眼にやられた傷はいいのか?」
「う、うるせえ! 司令官面するな!」
ベガードは、いきなり怒鳴りつけた。ジャッキールは、肩を軽くすくめる。相変わらず暗い声で彼は落ち着いたままだ。
「別に司令官面をしたわけではない。暫定でもなんでも、貴様は今は俺の配下だろう? 違うのか?」
「裏切り者の言うことをきく義務はねえ!」
ジャッキールははっと顔を上げた。ベガードはにんまりと笑った。
「お前は、あの青いマントの三白眼と何か取引をしやがったな! それでわざと逃がしたんだろう! 俺は見てたんだ!」
「馬鹿を言え!」
さすがに、ジャッキールの声色が変わった。目を細めて睨み付ける。
「俺は、取引などしてはいない! 言い訳などするつもりはないが、俺の役割はあの男を足止めすることだ。その役目については十二分に果たした。その上で、俺はあの男に対して礼を返したまで。それが裏切りと取られるのなら仕方がないがな!」
しかし、とジャッキールは続けた。
「俺がいなければ、ここを制圧する前に、あの男は宮殿に上がっていたはずだ!」
「今更言い訳とは情けねえぜ! ジャッキール!」
ベガードは、懐から紙切れを取り出してさっと掲げた。美しく装飾された上質な巻紙であるそれが、王族の出す命令書だということは、おおよそジャッキールでも予想がついた。
「お前を処刑してもいいとの、ザミル様の言いつけだ。はは、宮殿で死ねるんだ。お前みてえな野良犬にとっちゃいい枕だろうが!」
「ふん、あの坊ちゃんの命令か。それなら、話は早いな」
なるほど、ラゲイラの監視を離れて、気に入らない自分を消しにかかったのだろう。ジャッキールは、にやりとわらった。
「だとしても、俺も、甘く見られたものだな」
ジャッキールは、嘲笑いながら剣に手をかけた。ジャッキールの腕のほどは皆が知っている。兵士の間に戦慄が走った。
「これぐらいの人数で俺が殺せるとでも思ったか? 貴様ら、全員地獄に行く覚悟はしてきているのだろうな!」
「ふん、これだけじゃねえ! 増援はいくらでもできるんだ!」
「俺は貴様が助けをよんでいる間に、貴様の胸を抉ることぐらいの芸当はできるぞ」
暗く低い声で、影を落とすように笑みを浮かべながら、ジャッキールはベガードに告げた。そして、その黒い長身をゆらりと揺らめかす。剣の柄を握る指にそうっと力を込めながら――。
「まったく、俺も……、舐められたものだ、な!」
最後の言葉尻が聞こえると同時に、ジャッキールは剣を掲げて踏み込んだ。近くにいた兵士がまともに一撃を受けて倒れる。
「何してるんだ! やれっていってるだろうが!」
ベガードは自分の大刀を抜きながら叫ぶが、ジャッキールの腕を間近で目撃した彼らにおびえが走るのは当然だ。ジャッキールは戦闘中、時々理性が飛ぶ。そうなると、手が付けられない。
つい道をあける兵士達すらいる為、ジャッキールは、特に苦もなく、ベガードにむかって剣を構えながら足を進めることができた。
「くそっ!」
ベガードが振るった剣をはじき返し、ジャッキールは後ろに飛んだ。
「最初から気に入らなかったんだ!」
ベガードはいらだったように叫んだ。
「なんでお前みたいなイカレた野郎が、ラゲイラ様の信任を得るんだ!」
「こういう商売につくような男が、まともな神経をしているはずがなかろう。貴様もどうせ同じ穴の狢なのだ。大体雇い主の思惑など、俺のような傭兵の知るところではないわ!」
つい、と、蛇のように迫ってくるジャッキールの剣をかろうじてかわし、ベガードは全力をかけてジャッキールの首を狙う。だが、ジャッキールの笑みは消えない。返す刀で軽く力を受け流しながら横に逃げる。
「相変わらず力だけだな、貴様は。力だけでは俺には勝てんぞ」
と、ジャッキールの目が背後に動いた。奇声が聞こえたのだ。後ろにいた兵士達が我に返ったように彼に襲いかかってきたのである。
「大人しくしていればいいものを!」
ジャッキールは、黒いマントごと身体を翻すと、剣をそのまま振るった。飛びかかってきた兵士の刀とぶち当たった瞬間、勢いで相手を倒れさせる。次の標的を鋭い目で探り、決定し、そして剣を振るう。
いつの間にか兵士が増えていた。
ジャッキールは同時に三名の剣を受け、そして、背後の連中にも気を配る。だが、それでもジャッキールの余裕は消えない。修羅場に慣れきっているジャッキールには、もしかしたら恐怖や危機感がかなり麻痺しているのかもしれない。
ジャッキールは薄く笑った。
「ふ、ふふふ、王宮の絨毯を枕に死ねるのなら、確かに、俺にとっては勿体ない死に場所だがな……。貴様ら、俺を地獄におくってくれるだけの力量はあるのだろうな?」
ジャッキールは、まだ疲れを見せていなかった。地下道での戦いで、濡れながら戦った形跡がある彼であるが、まだ息を切らしてもいなかった。
「それなりに期待しているのだ。あまり失望させるなよ」
後ろから飛び掛ってきた兵士をかわし、ジャッキールはそのまま前にいるものの剣を受ける。ひいては返し、受け止めては切り払っていく中で、兵士のいくらかは逃げていったようだ。
(ベガードは!)
ジャッキールは、彼の姿が見えないことに気づく。目の前から降ってきた刃をはじき返し、その男に蹴りをくれて倒したところで、ジャッキールは反射的に振り返った。
ベガードは、ちょうどそのとき、彼に向かって刀を振りかぶったところだった。
ジャッキールはすばやく反応した。そして、振り返ってそのまま剣を横になごうとした。
「……!」
だが、ジャッキールの手は一瞬、ひくりと止まったのだった。その分動きが遅れたのが、自分でもわかったのだろう。
「チッ!」
そのまま、ジャッキールは、体ごと振り返るようにしてベガードに向かった。
だが、この距離はまずい。間違いなく、ベガードの刃先のほうが降りかかってくるはずだ。 だが、それは構わなかった。ジャッキールは振り返りざま、思いっきりベガード目掛けて突き上げた。ベガードの口許が、勝利に大きくゆがんでいた。
と、一筋、青い閃光が目の前に飛び込んできた。ベガードの動きが遅れ、体が傾いた。
先ほどの光は青いものがベガードの脇をないだ光だったのだ。ベガードの剣は、ジャッキールには届かず、そのままジャッキールはベガードを突き上げ、抜いた剣で彼を切り下げた。声を発する間も与えられず、そのままベガードは後ろに倒れ、勝利の笑みを顔に刻んだまま一個の肉塊に変わった。
青い閃光の正体は、闇の中に潜んでいた。
わずかな光のせいか、目が青く光っているように見える。いつの間に盗んだのか、ジャッキールの部下の兜を目深にかぶっている彼は、それを脱ぎ捨てた。
他のものは逃げ去っている。ジャッキールは、彼と相対することになった。
「ホトケさんだって三度までなのよ、オレは二度も助けてやったのに」
シャーは、そういって肩をすくめた。そして、ジャッキールのほうをみやって、きょとんとする。
「なんだい。助けてやったのに、不満そうだね、アンタ」
「別に貴様に助けてもらう必要などなかったのだ。余計なことを……」
ジャッキールは、まだ剣をもったまま、腕を組むようにしながら憮然とした。シャーは、思わずにんまりと笑む。
「そんなこといっちゃって。さっきの一発、ホントは、結構後にひいてたでしょ。一瞬、動き止まっちゃったの見たぜ」
ジャッキールは、剣を払って血糊を丁寧にぬぐってから、鞘に直す。だが、その挙動が、何となくかくかくしているのは、動揺している証拠だった。
この男、からかうとどうも面白い。シャーはにんまりとした。
「ほらね。オレは、あの時、思い切りやったぜ。そりゃもうアンタを地獄に突き落とす勢いでな。そう簡単に立ち直られちゃあ、オレも冗談じゃねえってことさあ。ま、立ち上がられた時点で、ちょっとアレだったわけだけども」
シャーは、腰に手を当ててジャッキールのほうを見た。
「ったくムチャするねえ、アンタ。さっきの、無傷とはいかなかったぜ。相打ちするつもりだったろ?」
ジャッキールが少し神経質そうに眉をゆがめる。それがどうにも面白くて、シャーは軽く笑い声をあげた。
「ふはは、単に借りを作っちゃったのが嫌なわけだ。でも、オレには都合がいいね。借りがある限り、当分、アンタ、オレを殺しそうにないもんね」
「そ、それは……。いや、そんなことは……」
ジャッキールは、途端眉根を寄せながら、小さい声で言った。
「にゃはははは。オレも命を狙われやすいたちだから、保険かけとかないとね。それに、オレにやられたのが元で、アンタに死なれちゃ、こちとら後味が悪いからな」
シャーは、ようやく刀を払って、鞘に入れながら、何となく気まずそうなジャッキールの肩をたたいた。
「ということで、今のは一つ借しにしておくよ、ジャッキールちゃん」
「なぜここにいる? 思ったより遅かったな」
ジャッキールは、腹立ち紛れに皮肉ぽい口調でそういった。
「出口はひとつッきりじゃねえのさ。遠回りしてたら遅くなってな。最初は上に上がれなかったんでいらついてたけど、でもいいよ、城の中の状況が大体わかったからね」
シャーはそういい、にやりとした。
「さて、アンタのほうだけど、どうするつもり? 裏切り者認定されちゃったら、ここで生きられないよ」
ジャッキールは無言だ。シャーはにやりとした。
「さすがのアンタでも、殺されるのがわかってるのに律儀に待ってるってのはないよねえ。第一、アンタの性格じゃ、到底、あの性格悪い王子様にはつかえらんないでしょ」
シャーは、小声でこそっとささやいた。
「実は、この先を進むとお庭があるのよ、その大きな木の後ろの城壁にねえ、色の変わった壁があるのさ。そこの裏を丹念に調べてみなよ。多分、お外に出られると思うよ」
「き、貴様……!」
くっとジャッキールは、歯がみした。また恩を押し売られたのがわかったからだ。シャーは見かけに寄らず律儀なジャッキールに、曰くありげな視線を送りながらいった。
「今度、利子つけて返してね」
それじゃ、とシャーは言うと、再び闇に紛れながらどこかに行ってしまった。
ジャッキールは呆然とそれを見送っていたが、やがて深くため息をついた。
「後味が悪いから助けただと?」
ジャッキールは、自嘲気味に笑った。
「馬鹿な奴だな。あれから随分経ったが、相変わらず餓鬼だ」
ジャッキールは、マントを翻した。もはや誰も戦ってもいない回廊を、ジャッキールは一人歩いていた。
ラゲイラとは、結局、あまりよい決別の仕方を出来なかった。だが、それも仕方がないことだ。
ジャッキールは、しかし、少しだけ晴れ晴れした気分にはなっていたのだ。中庭からは空高くに月がのぼっているのが見えた。それに目を細めつつ、彼は苦笑した。
「しかし、今回はどうやら俺の完敗だな。
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