5.もう一人の兄

 ラティーナの目の前で微笑むのは、上品な貴公子だった。

 くるりと巻いた髪の毛に、大きくて優しい瞳、整った鼻に青白い顔。とても美しい青年だといえるかもしれない。少し顔色が不健康そうではあるが、すらりとした鼻に、穏やかで知的な目、気品を感じる美青年であった。

「あ、あなたがシャルル=ダ・フール?」

 シャルル=ダ・フールらしい青年は、返答しないままゆったりと微笑んだ。

「でも、シャーと、あなたは、ま、まるで別人じゃないの……?」

「ああ、そうか。君はまだ知らなかったのかな?」

 彼はそういって微笑む。その笑みは上品で、ラティーナの敵意を溶かすほどに優しい。

「……だ、だって、そうでしょう? シャーはあなたの影武者をつとめていたと聞いたわ。でも、あなたとシャーでは顔が違いすぎる。……影武者だなんて」

「はは、それは承知の上さ。私と彼が似ている筈もないのだよ。どうやら、もっと詳しく話をしなければ、誤解がとけないのかもしれないな」

 なんだか、印象が違う。シャーは気に食わないといっていたが、到底そんな風な人物には思えない。非常に柔らかい雰囲気を持っていて、こんな状況なのに妙に和んでしまいそうだった。

「ああでもね、君に先に会えて良かったよ、サーヴァンの姫君。一応、ハダートからそういう噂を聞いてはいたんだけどね。君に先に事情を話した方が、”彼”もいいのだろうと思っていたんだ」

「ま、待って。あなたは……」

 ラティーナは戸惑いながら、後退した。顔をじっと見ている内にとうとう思い出した。

 ラティーナは何度か、ラハッドとともにとある人物に挨拶に行ったことがあった。結婚の時の挨拶周りのようなものだったと記憶していて、そのときに数名の王侯貴族と会っている。

 ラハッドは、確か彼のところにも連れて行ってくれたのだ

「今度会う方も、実は”兄”なのだよ。あまり表には出られない方だけれど、私とは懇意にしていただいているんだ」

 そんな風にラハッドは言った。そして、彼に挨拶をした。先ほどからの反応を見ると、どうやら彼は自分のことを覚えていないようだったが、自分は彼のことを覚えていた。

 ああ、やはりそうだ。死んだといわれていたので、もうこの世にはいないのだと思っていた。

「あなたは、もしかして……!」

 その時、突然、扉が開いた。

「兄上、ザミルでございます。……危急の用で……」

 そういいかけ、彼は顔をあげる。

 ラティーナが先に来ていることにも驚いたようだったが、ザミルは明らかにシャルル=ダ・フールの方をみて驚愕していた。

 シャルル=ダ・フールは、静かに落ち着いていて、ラティーナから視線を外してそのままザミルの方を見やった。

「……ザミル、久しぶりだね」

「お、お前は――」

 シャルル=ダ・フールは、すっとラティーナからザミルの方に向き直った。

 病気がちの彼の身体は痩せていて、少し頼りなげにも見えたが、彼には独特の、王者の気迫といえるような雰囲気が備わっていた。

 彼はそのままザミルを睨み付けるようにしてみた。

「騙すようですまなかったが、私は君の口から事実を訊きたいと思っていてね。それで面会することにしたのだ。実際はどうなのだ、ザミル」

 彼の口調はきつくなかったが、何故か詰問しているような感覚があった。

「君はシャルルを裏切ったのか? ……それとも、その噂は私の誤解なのかな?」

 ザミルは一瞬圧倒されていたが、すぐに彼自身を取り戻したようだった。ぐっと唇を噛み、ザミルは噛みしめるように言った。

「……なぜ、お前に言わねばならん?」

 彼は、静かに応えた。

「やましいことがないのならば私に応えられるだろう、ザミル」

「笑わせるな!」

 ザミルはやや声を荒げた。

「お前は、エレ・カーネスの人間ではない! お前は、父が滅びかけの城から拾ってきたただの哀れな子供にすぎぬ。我々と一緒にするな!」

「それはそうかもしれない。だが、これでも私は君の”兄”の一人ではあるんだよ。父は私を子供として認めてくれ、そして君たち兄弟のことを託したのだ」

 彼は、ふうとため息をついたが、開いた大きな目は静かで冷静だった。

「血のつながりなど一滴もないかもしれないが、私には君に訊く権利がある」

「調子に乗るな、レビ=ダミアス!」

 ザミルは、歯がみした。

「そうか、シャルル=ダ・フールが、どうして大人しいのかずっと気にかかっていた。あの男は戦場の狂気を連れ回っているような男だ。そんな奴が病気で公務を休むなどと、最初からおかしいと思ったのだ!」

 ザミルは隠し持っていた長剣を取り出すと、それを半分抜いた。ぎらりと白い光が部屋の中に輝いた。

「シャルルだって病気にもなるさ。……それに君だって、彼の顔すらろくに知らないだろう? シャルルは素顔を見せるのを嫌うからね」

「しかし、奴が東征に直接参加していたことぐらいは知っている! 影武者を使っているともいわれていたが、……アイツの持つ気配は異常だった! そうか、貴様だな、貴様がシャルル=ダ・フールの身代わりをつとめて……!」

「や、やっぱり、あなたは……、レビ=ダミアス殿下」

 ラティーナは、少し震える声で言った。

「あなたが、どうしてここに……」

 彼の名は、レビ=ダミアス=アスラントル。

 エレ・カーネス家の人間ではないが、彼はセジェシスに養子に取られた子供たちの一人だ。セジェシスは、実子以外にも養子を何人かとっている。

 レビ=ダミアスは、もともと小国の王太子だった。父を亡くした後で政権闘争に敗れ、母とともに幽閉されていたところに、セジェシスのザファルバーンが攻め込んできた。セジェシスは彼ら母子を哀れにおもい、未亡人である彼の母を表向き妃として迎えることで保護し、息子である彼を養子にした。体の弱いレビ=ダミアスは、それによって命をつないだ。

 レビ=ダミアスは、シャルル=ダ・フールよりも少しだけ年上だった。シャルル=ダ・フールは、血のつながらない兄である彼を慕い、兄上と呼んで彼をたてていた。

 だが、レビは、内乱の最中、行方不明になった。病弱でもあった彼はすでに死亡しているといわれている。

「まさか、まだ生きていたとは!」

「私は君と話し合いたかったのだがな、ザミル」

 シャルル=ダ・フール、いや、レビ=ダミアスはため息をつくと、片手を腰の剣に添えた。

「お前がそのような態度に出るということは、……やはり、お前が黒幕だったということか」

 詮無いことだ、と彼は呟いた。

「だが、お前がここで強硬な策に出るというのなら、私にも考えがある」

 レビ=ダミアスは軽く剣の鍔を親指で押しながら、ラティーナの方を見た。

「ラティーナさん、あなたは下がっていなさい」

 彼は剣を抜き放ちながら言った。

「え、し、しかし……」

 不意に言われ、ラティーナは思わず戸惑う。このような展開になるとは思わなかった。

「レビ=ダミアス! その娘は、シャルル=ダ・フールを暗殺するべくこの城に忍び込んだのだ」

 ザミルは、唇をゆがめて笑った。

「なにせ、ラハッドを殺したのは奴なのだからな!」

「それは誤解だ」

 レビははっきりと言った。

「シャルルはそのようなことができるような人間ではない」

「世迷い言を」

 ザミルは、はっと鼻先で笑った。

「我々兄弟の中で、もっとも戦いに長けたのが、あのシャルル=ダ・フールだろうが」

「ひどいことを。お前はあの子が好んで戦いに出かけたとでも思っているのか?」

「違うのか? ほとんど王都には近づかなかったあの男が」

「ラティーナさん」

 不意に声をかけられ、ラティーナはびくりとする。レビは、そっと彼女の方に目を向けていった。

「後で私が誤解を解こう。だから、今はひとまず下がっていてくれないか。シャルルは君を傷つけるのを望まないはずだ。後ろの扉から私の部屋に出られる。そこから移動しなさい」

 レビの声は優しく、ラティーナは思わずうなずいてしまった。

「ラティーナ! きさ……!」

「ザミル! お前の相手は私だといったばかりだろう! ……さあ!」

 レビはザミルに一度そういってから、ラティーナを急かすように彼女に見た。その視線に、ラティーナは、慌てて後ろにある扉に飛び込んだ。

「シャルルは、お前を最後までかばっていたのに……」

 レビ=ダミアスは顔をゆがめ、抜いた剣をザミルに向けて突きつけた。

「シャルルの手を煩わせるわけにはいかない。私が、代わってお前を倒す」

「お前にできるか?」

 ザミルは、それを嘲笑いながら、すっと手を引いた。レビは、剣をそのまま自分の前にあげながら構えた。ザミルは、薄ら笑いをうかべた。

   


 扉を開けて飛び込んだところは、シャルル=ダ・フール本人の居室だった。薄水色の絨毯がひかれ、思ったより質素で落ち着いた印象だった。

 ラティーナは、この状況に少なくとも混乱していた。

 シャルル=ダ・フール本人はそこにおらず、いたのはレビ=ダミアス。いったい本当のシャルル=ダ・フールはそれではどこにいるのだろう。

 そして、先ほどのレビ=ダミアスの言葉を思い出す。彼はラハッドの死がシャルル=ダ・フールのせいではないといった。

 レビ=ダミアスの人柄は、ラハッドからもよくきいていたし、一度会ったときにも優しく祝福してくれた。ザミルの言葉よりもよほど信頼できる彼の言葉が、そうであったのだとしたら、真実はいったい何なのだろう。

「陛下! 入ってよろしいですか!」

 不意に声がしてラティーナは縮み上がったが、先ほどの部屋はザミルがいて戻ることもできない。

 できるだけ隠れようとしたが返事がないのに、相手はずかずかとこちらに入ってくる。その男は中年の男で、ゆったりとした服装から文官だということがわかった。

 しかし、男は腰に帯刀していた。シャルル=ダ・フールの寝室は厳戒な警備の中にある。弟のザミルでも帯刀が許されないぐらいなのだ。シャルル=ダ・フールの前でも帯刀が許されているのは、彼の絶大な信頼を受けている人物ただ一人ときいている。

 それは、後見人でもあり、彼の教育係でもあった、宰相カッファ=アルシール。

 だとすれば、目の前の男がカッファなのだろう。

 カッファは入ってくると、先客がいることにも、それが女性であることにも驚いたが、彼女の顔を見て何か思い当たったのか、こう言いかけた。

「むっ、もしやそなたはサーヴァンの……」

「カ、カッファ=アルシール!」

 ラティーナは思わずさっと短剣に手をかけた。

「待て、そなたがここにいるということは、ああ! よもやレビ様!」

 カッファは慌てて手を広げた。持っていた書類が散乱したが、彼は気にしなかった。

「待て、ラティーナ=ゲイン=サーヴァン! 剣を引いてくれ! 一刻を争うのだ!」

 文官にしてはやや訛りのある軍人口調で、彼はいった。

「レビ様に会ったのだな? もしや、レビ様は、私に黙って誰かと会っておられるのだな?」

「そ、そうよ、あの人は今、ザミル王子と……」

「ザ、ザミル殿下!」

 カッファは驚いて、その名を口にした。

「馬鹿な、ラゲイラの後ろについていたのは、ザミル様だというのか!」

 ラティーナは答えなかった、カッファは何かに気づいたらしく頭をかかえた。

「しまった! だから、レビ様には話を通すなといっていたのに!」

 慌てた様子で、カッファは腰に下げられた新月刀に手を触れた。ラティーナはびくりとしたが、カッファはラティーナを斬る為に剣を抜こうとしたわけではない。

「すまぬが、そなたはどこかに隠れていてくれ! 」

 カッファはそういい、隣室に駆け込もうとしたが、その瞬間、わあっという複数の男のわめき声と、壁を蹴るようなけたたましい音が聞こえた。ラティーナははっとした。

「駄目! そうだわ! シャーの教えてくれた脱出口から、ラゲイラの私兵が!」

「なに!」

 カッファは慌てて、シャルルの部屋の中の壁の一角を見た。

 壁が少したわみ、ドンドンと蹴り上げられている。すぐにそこは破れ、武装した男達がわらわらと部屋に溢れ出てきた。

「な、なぜ、貴様らがこの場所を知っている!」

 カッファは飛びかかってくる兵士達をよけながら、その一人に足払いをかけた。動きにくい文官の服の裾を破き、彼は刀を抜いた。

「ここをどこだと思っている! 陛下と王室を侮辱することは許さん!」

 元近衛兵のカッファ=アルシールは、戦場には慣れている。彼は、剣を抜いて、目の前の侵入者達を睨(ね)めつけた。


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