3.ザミル王子
1.取引
朝。すでに太陽は高くのぼっていた。
(もう、わかりやすすぎるでしょ!)
ラティーナは、先ほどからうんざりしていたのだ。
宿をでて歩いていくうちに、後ろにちょろちょろする謎の人影がいる。
昨夜は、シャーが宿の方まで着いてきてくれて、それから宿のところで彼が「飲みなおしてくる」といって酒場の方に向かったのを覚えていたが……。
実はラティーナは知っていた。
シャーは酒場になど行かなかったのだ。ずっと、宿の周りで寒い夜に野宿をしながら、そこにいた。窓から覗き込んだ時、彼が毛布を一枚かぶって寒い中でそれでも、満足げに寝ているのを彼女は見ていたのだった。
「ちょっと、シャー! 朝っぱらからなに人を尾行してんの!」
後ろの影にいうと、影はびくりとしてそれからゆっくりと近寄ってきた。
「え、あ、ああ、ばれてたの~? オレさ、昨日お金ないから宿に泊まれなくって」
かぶっていた毛布をくるくると巻きながら、シャーは後をついて来る。昨日はそれ一枚で過ごしたらしい。
「そんなの一枚で寝てて寒くないわけ?」
「残念ながら、オレほど貧乏だと野宿にも慣れてましてね~はい~」
ニコニコ笑いながらそう答える彼に、ラティーナはつんと冷たい態度をとる。
「ばっかじゃない?」
ひどいなあと表情で語り、シャーは毛布を巻き終えると背中に背負った。
「ねぇ、ラティーナちゃん」
ててててて、とシャーは小走りにラティーナに追いついた。ラティーナは更に早足になる。
「ねぇ、どこに行くんだよ?」
「あんたに応える義理はありません」
「冷た……。あのさあ、一応言っておくけどね、オレじゃないほうのシャーに会いに行くんだったら、それ、マジ、やめた方がいいよ」
シャーは足を速めるラティーナに追いつくのに、自分も歩幅を広げた。
「ねえってば! あいつさー、ガチで嫌な奴なんだよ。女の子一人で行ったら、無事帰れないよ。悪い事いわないから。ねえってば」
「しつこい!」
ずばりと切り捨てられて、シャーは一瞬呆然としたが、また慌てて着いて来る。
「レンクのところになんか行っちゃダメだよ」
ラティーナはぴたりと足を止めた。そして、振り向きざまきつい口調で問いただす。
「なんで、あたしに干渉するの!」
「し、心配だからに決まってるじゃないか」
シャーは、不安そうな顔でいった。
「……あいつは、ホントに恐い奴なんだよ。生きて帰れないよ」
「いいのよ! 別に!」
やけになったようにふいと顔を背けるラティーナを見て、シャーは少し声を低めていった。
「オレじゃダメ?」
「は?」
「雇うのは、オレじゃダメかな? オレだって、ほら、昨日……見たでしょ?」
シャーは、少しだけ得意げな顔になる。
「それに、秘密を聞いちゃってるのはオレだけなのよ? もう、この際、オレを雇った方が早いと思うけどなあ。共犯ってのは、立派な口封じにもなるしさ」
「ダメ!」
ラティーナがやたらはっきりといった。シャーは、慌てる。
「な、何でだよ? オレ、本当は結構強いし、口は堅いし」
「ダメったらダメ! 昨日酒をおごってあげたわよね」
「ああ。あれ、すごいうまかったなあ」
味覚を思い出したらしく、シャーはひどくとろけそうな顔をする。
「だったら、忘れるっていったでしょ?」
「……だけど、だけどね」
ラティーナがそっぽを向いてしまったので、慌ててシャーはそっちに回る。
「……オレにも手伝わせてくれない? ホントに、ホントに、これはマジで言ってるから」
「あんたの軽い口調でいわれても信用できないわよ」
シャーは、少し詰まった後、何かしら考えてからいった。
「ホントに本気だって! オレ、あんたに協力するよ。これ本当。なんでもするからさ、だからレンクのとこだけはいかないでくれよ、なっ!」
ラティーナの前にまわり、シャーはしつこく手を合わせて頼んだ。
「……あんたってホント、しっつこい!」
ラティーナは鬱陶しそうな顔を崩さない。だが、このまま彼をむげに断るのも、もっと鬱陶しくわずらわしかった。
「……でも、まぁいいわ。……その代わり、しばらくあたしの護衛するだけよ。そのほかはダメなんだからね」
「やったぁ! ありがと、ラティーナちゃん!」
相変わらず、軽い口調で、シャーは言った。
何てかげりのない能天気な奴だろう。
ラティーナは、シャーと付き合うのがばかばかしく思えたが、昨夜の彼の別人のような活躍を思い出してしまうと、まんざら信用ならないわけでもなさそうだ。
けれど、アレは本当に、目の前にいる奇妙で弱弱しい男なのだろうか。あの光景は、本当は夢だったのだろうかとさえ疑うほど、昨夜の凄まじい剣技を見せた男の気配は、目の前の青年には一欠けらも感じられなかった。
それから、仕方なくシャーと街を歩く事になってしまった。
というのも、シャーがどこに行っても、ついてくるからという事もあるのだ。
そうして、シャーをつれて街を歩いていると、様々な人に声をかけられる。街の不良っぽい若者から、それこそ日向ぼっこしている老人達にいたるまで。ほとんど老若男女を網羅している。
シャーには人気があるときかされたが、それは本当に嘘ではないらしかった。また、その慕われ方は、どうみても暴力や威圧から生まれるようなものではなく、彼のそのいい加減な人柄にどういうわけか惹きこまれてといった感じだった。
だが、ラティーナは、そうそう感心ばかりもしていられなかった。というのは、シャーは少し油断をしていると、おばさん達に声をかけられた時に、軽く手を上げて目を細めてにっこり微笑み、
「いいでしょ、今日は彼女とおデートなのよ。あはははは」
と冗談なのか本気なのかわからない嘘をつくからである。その度に、彼の腕をひねり上げるのが、ラティーナにはひどく鬱陶しかった。
「いい加減にしてよ!」
ラティーナが三回目にとうとう、怒鳴った。シャーは、恐る恐るといった風に、右手の指を三本立てる。
「まだ、三回しかいってないじゃないか」
「数の問題じゃないわよ! 大馬鹿!」
「いて!」
腰にけりを入れられて、思わずシャーは前のめりに転ぶ。
「あら、痴話げんか。いいわねえ」
前のおばさんがくすりとほほえましげな目で彼らの様子を見る。ラティーナはさっと顔を赤らめた。
「ち、違います! こんなのと関係ありません!」
「こ、こんなの? ひ、ひどすぎる~」
シャーが、悲鳴のような声を上げた。
「あらあら、シャーちゃんも、もっとかっこよくならないと、彼女逃げられるわよ」
「違うって言ってるじゃないですか!」
「はーい、がんばります~」
ラティーナが必死に否定している間に、シャーが下からのんきな声を上げた。
「あんたも返事してるんじゃないわよ!」
ラティーナはそれに腹を立てて。一発彼の頭をはたいて、さっさと歩き出した。
シャーは慌てて、起き上がるとそれを追いかけたが、ラティーナはすっかりお冠である。何かしゃべりかけてみたが、口をきいてくれない。シャーは寂しそうな顔をして後からテクテクついていった。背後では、おばちゃんたちが、くすくすと笑っていた。まあ、これもいつもの光景だ。
それに、情けない顔で手を振っている間に彼女がどこかにいってしまいそうになり、シャーは必死で後を追いかける。
「ごめんだってば~。……ほら、つい、オレ、ファンの声援に応えなきゃっておもって」
「なんなのよ、いったい!」
「あ、怒らないで! ほら、オレってあんまりもてないからさ! もてないからさ! 近所のおばちゃんたちが同情してくれるからさ! 時には心配ないってことを見せてあげようと思って!」
手を振り上げたラティーナにシャーは本気で怯えながら、後退した。
「……もう、いい加減にして! そんなんなら、助けなんて要らないわ!」
「……ご、ごめん」
シャーは、申し訳なさそうな顔をしてうつむいたが、その反省はすぐに笑顔に変わった。
「でもさぁ、オレもラティーナちゃんと噂になるんならいいなあって思ったりして」
「あんたはよくても、あたしはよくない」
きっぱり言われて、シャーは再び落ち込む。
「……そ、そう。これから気をつけるよ」
そうは言ったが、明らかにシャーはしょげていた。淡い期待ぐらい持たせて欲しいという顔をしていた。関わるのが面倒なので、ラティーナは彼のほうに顔を向けなかった。
「ね、ねえ!」
シャーが再び、空元気を取り戻して声をかけてきた。
「報酬ってもらえるのかい?」
今度は金のことである。ラティーナは、いい加減、あんたなんかクビよ! と叫んでやろうかと思ったが、なるべく冷静に彼のほうを振り向いた。
「……働き次第によってはね」
「……そ、そ、そんなに睨むことないじゃない」
シャーは、彼女の冷徹な視線に怯える。
「お金はね、無事に任務が達成できたらでいいんだ。単にいっただけだから。誤解しないでくれよ。オレは、金とかそういう目的のために、ラティーナちゃんを助けようとしているわけじゃないんだよ」
訂正するように彼は言った。
「オレは、ラティーナちゃんを守りたいだけなんだよ。なんだか、危なっかしいし」
どうだか、と、言いたげな顔でラティーナはふいと顔を背けた。シャーは、苦笑して頭をかいた。青い破れたマントをひらひら翻して、彼は彼女のあとを追う。ほとんど遊び人の歩き方だ。
「何処に行くの?」
シャーが、再三、声をかけた。怒られるかと思ったのか、その声は驚くほど弱弱しい。
「何度も怒らないわよ」
ラティーナは、少し不機嫌だった。シャーが何度も質問してくるのにいらだったのと、彼が怯えている事にもいらだったのである。
「レンクのところ」
ラティーナが簡潔に応えると、シャーは驚いたような顔をした。
「いかないっていったじゃないか!」
慌ててシャーはラティーナの前にかけて道をふさいだ。
「……アイツのところは絶対にダメだ」
珍しくシャーの口調は強かった。
「ラティーナちゃん言っただろ? 行かないって!」
「でも!」
あんたが頼りにならないからでしょ! とラティーナは、暗に言っている。シャーは、その表情を見て、少しだけ寂しそうな顔をした。
「うん、そりゃ、オレはそんなに力にはなれないかもしれないけど」
「じゃ、どいて」
だが、シャーはどかない。
「でもね、ラティーナちゃん。本当に、レンクには関わらない方がいい」
シャーは、しつこく言った。
「あいつは、王族たちの陰謀に噛んでたっていう噂があるんだ」
「知ってるわ」
ラティーナは冷たく言った。
「だからこそ、手伝って欲しいんじゃない」
「……そ、そうだね、だけど……」
シャーは困った顔になった。それから、少し首をかしげて頭をかいた。あきらめたのか、彼はややげっそりとした顔になった。
「……わかったよ。わかったけど、一つだけ」
「何?」
シャーはゆっくりといった。
「……あいつら、今、確か隣町のやばい人たちの集会に行ってるから、あさっての夜じゃないと出没しないよ」
思わずラティーナは口をあけて、立ち止まった。それは、全く彼女の想定外だった。
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