3.ラゲイラ卿の策謀

 シャーの軽い口調の裏に隠された、その言葉の意味と不穏な気配に、男たちは気づかなかったようだ。

 明らかに彼の外見を見てなめてかかっていた。

「うるさい!」

 男の一人が飛びかかってきた。さすがに飼い犬呼ばわりには腹を立てたと見える。

「計算どおり……でもないけど」

 シャーはぼんやりと呟いた。

 男が無造作に振りかぶった刀を下ろした。

 ラティーナは思わず目を閉じる。

 が、シャーの悲鳴は聞こえなかった。かわりに鋭い金属音が聞こえ、ラティーナは驚いて目を開いた。

 シャーは抜いた刀でそれを跳ね返していた。

 男の腕があがる。がら空きになった胴を見逃すはずが無かった。

「はは、行くぜ!」

 シャーは、そのまま、ざっと足を摺らせながら、相手の懐に飛び込む。男が絶望的な表情になるのと対照的に、シャーは、してやったりとばかりに微笑む。

 鈍い音がし、シャーの刀の柄が男のみぞおちに埋まった。男は悶絶しながら、がくんと膝から倒れる。たん、と軽く飛びながら、シャーは着地して反転する。猫のような、妙にしなやかな動きだった。少し低めに構えたシャーは、刀をやや斜め下に下げながら、手を柄に添える。

「……やるかい?」

 先程まで酔っ払っていたはずのシャーは、ふらりともせず、そこにびしりと立っている

 。ラティーナは、ただ、口をあけてその様子を見ているだけしかなかった。そこにいるのは、先程、自分に脅されて泣きべそをかいていたシャーとは別人だった。口元は、普段と違って少し歪みのある微笑が浮かんでいる。

「き、貴様!」

 男たちが全員ざっと剣を抜く。月の光が、奇妙にしろく金属を輝かせる。月の光は冷たく、冴え冴えとしていて、ますます静けさをもたらすようだった。

 シャーのサンダルが、ざり、と砂のたまった、石で舗装された道の上を摺って音を立てる。ピィンと張り詰めた異様な緊迫感が一瞬そこを支配していた。そして、その止まった一瞬は実に長く感じさせる。

「行くぞ!」

 いきなり、黒装束の一人が動いた。張り詰められた空間に堪えきれなくなったのだろう。一人が動けば、つられて全員が動く。

 シャーは、ふっとふらつくような足取りで左足を後ろに回した。

 男の繰り出した突きは、それであっさりと流された。シャーは、そのまま、刀を払った。軽くうめきを上げ、黒装束が倒れる。何かの飛沫が飛んだように見えたのは、おそらく血だろう。シャーは返り血を浴びるのを嫌って、反射的に身を翻す。

 そのまま、次に切りかかってきたもののわき腹を真横に薙いだ。同時に体を沈め、後ろから斜めに振り回された剣をかわす。そのあと、そのまま上に刀の柄で後ろの男のあごに強烈な当てをくれてやった。男たちが倒れるが、シャーはあらかじめわかっていた事とばかりに視線を向けず、残りの動向を目の端で追う。

 一瞬、残ったもうひとりがラティーナを人質に取ろうと彼女の方に回り込もうとしているのがわかった。シャーは、マントにすばやく右手を突っ込み、何か先のとがった細いものを取り出して男に向かって投げつける。

「うわっ!」

 右腕に短剣が刺さり、男は思わずひるんだ。気がつけば、シャーはもうすでにそこに走りこんできていた。そのまま勢いに任せて、男を蹴倒してシャーはそのまま、サンダルを履いた足で男を踏みつける。すっと切っ先を男の首に突きつけた。

「ちょいときくけど、おたく、どこから来たの? どこの飼い犬さん?」

 口調がふざけているが、シャーの声はあくまで冷たい。男が歯噛みした気配がする。

「ま、いわないだろうな。でも、それでもまあいいだろ? オレは大方わかってるんだけどね」

「何だと?」

 にやりとして、シャーが男に何かささやくと男はぎくりとばかりに身震いした。

「おや、びっくりしたみたいだな? うん、オレの勘も捨てたもんじゃないね」

 シャーはいい、ふっと悪魔のように微笑んだ。そして、ぞくりとするほど低い声で言った。

「伝えておけ。あんまり調子にのると、その内天罰が下るぜ」

 そういうと、シャーはサンダル履きの足を離して、刀を振るった。それから、布で綺麗に拭くと、ぽいと男の前に捨てる。刀を腰間に収めてから、シャーは振り返りラティーナのほうに向かった。

「今回は手加減してやったんだ。連中は気絶してるみたいだけど、手当てすれば助かるぜ。とっとと仲間連れて失せな」

 そういって、シャーは急に、気の抜けた笑いに戻った。

「さぁ、帰ろうか。ラティーナちゃん」

 ラティーナは、彼の変貌ぶりに呆然として、先をいくシャーの後を後ろを気にしながらついていく。

 彼らが追って来る気配はなかった。

 そのまま無言で二人は歩いていた。しばらく歩いて、追手の気配もいないことを確認し、ラティーナはようやく口を開く。

「シャー、ちょっと、待って……」

「え? 何?」

 いきなり声をかけられて振り返るシャーの顔は、暗がりにまぎれて表情がわからない。けれど、声や雰囲気はすっかり元の彼だった。

「あんた……。さっきの、すごかったわよ。いったい、何なの?」

 シャーは、あははと軽く笑った。

「ああ、あれねえ。まぐれ、まぐれ。時々さ、ああいうまぐれな事が起こるんだよな」

「まぐれって……」

 軽く応えるシャーに、ラティーナは言いかえす。まぐれであんな風に剣が振るえるわけがないし、大体、雰囲気が……。

「オレねえ、時々酒の力を借りたりして、急に強くなれる人種なんだよね」

「何馬鹿なこと言ってるの」

 何度見てもいい加減な顔をしているとラティーナは思った。

 暗がりでわからなかったが、シャーの顔からはすっかり酒の気が抜けていた。


 

 *


 シャルルを推した七人の将軍は、ザファルバーン七部将と呼ばれていた。

 その中で、最も軍事力を持つのはジートリュー将軍だといわれている。だが、軍事力だけが戦の全てではない。知能をもって戦に望む事が得意なものもいれば、人柄によって部下の士気と忠誠を得るものもいるし、圧倒的な統率力で部下の統率をはかるものもいる。

 七部将といわれる彼らの中で、ジートリューの次に敵に回すと恐ろしいといわれているのは、そうした軍事力以外の力を持つ将軍だった。

 夜、ジェイブ=ラゲイラという貴族の屋敷に、一人の男がひっそりと訪れていた。

 馬でやってきた武人らしい男は、やや早足で屋敷の門をくぐる。頭からマントを被っているのを見ても、これがお忍びであることは間違いなさそうだった。

 案内のものに先導されて、男は屋敷の中に通された。

 豪奢な絨毯のひかれた廊下をゆっくりと歩いていくと、太った立派な服に身を包んだ男が現れた。細い、計算高そうな目をした男だったが、同時に常に穏やかそうではあった。なかなか貫禄のありそうな中年である。彼がここの主人らしい。

 ということは、この男が、ラゲイラに違いなかった。

「よくぞいらっしゃいました。サダーシュ将軍」

「ラゲイラ卿のお招きとあらば参上しないわけには行きませんからな」

 男はそういうと、マントを丁寧にとった。

 様々な人種のいるザファルバーンの人間としても、非常に珍しい銀色の髪がさらりと布から溢れた。

 武官の割には、なかなか洗練された感じの身のこなしである。ほんの少しうっすらと笑っているのが、少しだけ不気味ではあった。この男、なにを考えているのか他人にわからないようにしている。

 ハダート=サダーシュ。それが彼の名前だった。七部将の一人であり、力のジートリュー、知略のハダートと並び称される男である。

「まぁ、中にお入りください」

 ラゲイラは、部屋の中にハダートを通した。ひょろりと高い長身のハダートは、少し身をかがめて中に入った。

 恐らく客間として使われているだろう部屋は、やたらと豪華な調度品が並んでいた。

 そこに用意されていた椅子に座るようにいわれて指示に従うと、ハダートの前に、料理や酒がいくつか振舞われた。

「いえ、もう、お気遣いなく。今日は忍びの身ですから」

 七部将の一人である、ハダート=サダーシュは上品に微笑みながら言った。ハダートは、年齢は三十台半ばから後半にかけて。銀色の髪に薄い青い目をし、白皙の肌を持つ男だった。元はおそらく北方系の人間なのだろう。その容貌は整っており、いわゆる美男子であった。上品でもあり、貴族の子弟を思わす容貌だが、彼の出自は実のところ、よくわかっていない。

 この知略で知られる将軍は、セジェシスの元からの部下ではなく、ある国を攻めたとき、投降してきた者だった。二回ほど主がえをしているだけに、節操がないという噂を立てられており、本人もそれを否定しなかった。

 その彼に更に叛心が沸き起こっている事を気づいたのが、ラゲイラだった。ハダートは、ラゲイラの呼びかけに答え、時々こうしていつ”コト”を起こすか、その相談を交わす仲になっているのである。

「今日は何用でございましょうか? ラゲイラ殿」

 ハダートは、彼にそう尋ねた。

「私をお呼びになったのには、何か理由があるはずですね? あの話にご進展がおありに?」

 ラゲイラは、うっすらと笑った。だが、目は笑っていない。

「あるにはありましたが、好ましいことではございません」

「ほう。ラゲイラ殿が好ましからぬというからには、何か大事が起こったようですな。さては、陛下の密偵でも……」

 ハダートは声を低める。

「かも、しれませぬ。ですが、まだ断定は…………」

「もしや、陛下の傍にいた、あの男が都に戻ってきたというのですか?」

 ハダートの目に、少しの戸惑いがあった。

「ならば、大変なことです。……あの男は、シャルル=ダ・フール王子の為に働いていた精鋭中の精鋭ですからな。彼がいては、いざ、暗殺の段になって、おそらく面倒なことになるかと」

「まず、では……それを消すのが先決かと」

 ハダートはうっすらと微笑んだ。

「それは謀にかけて陥れるのが上策ですな」

 ラゲイラは指を組みなおす。この男が指を組みなおすのは、何か考えているときの癖だろう。

「ではそうしましょう。……何かの時は頼りにしていますぞ」

「ええ。お任せを。私も、あのうっとうしい陛下の顔をひと時でも早くみたくありませぬのでな」

 と、乱暴なことを言う。それをごまかすためか、ハダートは「ああ」といった。

「実はですな、私も彼の王の煮え切らなさには、辟易しておるのです。しかも、彼はどこの馬の骨からわからない血筋の持ち主。正当な前王朝カリシャ朝王家とセジェシス陛下の血を受け継ぐ持つラハッド王子が王位につけばよかったのですが、本当に、ままにならぬものですな」

 ハダートはそう答え、ふっと笑った。何を考えているのかわからないが、ハダートは他の六人の将軍とあまり仲が良くないらしい。自分がこれ以上の地位をつかむためにも、ラゲイラの計画にのるのは、絶対条件ではあった。

 ラゲイラは、それでも用心深く、彼の後ろ盾の王族や貴族の名前だけはハダートにも明かしていなかった。

「ラハッド王子には、お気の毒なことをしました。シャルルと宰相のハビアス殿が謀ったのではないかというもっぱらの噂でございますが……」

 ラゲイラは気の毒そうにいいながらも、断定を避けた。ハダートはもはや何も応えず、ゆったりと上品に微笑んだ。

「いただきます」

 出された酒の杯をそっともちあげて、一口飲んだ。

 一瞬だけ、ハダートがはっきりと薄ら笑いを浮かべたのをラゲイラは見逃していた。

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