2.麗しき第三王子

 シャーは酒場で時間をつぶすといって、ラティーナを連れて行こうとしたが、彼女は丁重に辞退した。

 そのときのシャーの悲しげな顔を言ったら、腹が立つぐらいであったが、とにかく無視して振り切った自分をラティーナは褒めてあげたいような気分になっている。すげなく振られた彼を酒場に昼間からたむろしている彼の舎弟たちが、哀れみ半分からかい半分に慰めたり、笑ったりしていた。

 本当に、あんなシャーなどに構っている場合ではないのだ。

 ラティーナは、昼に重要な人物と会わなければならなかったのだ。

 シャーと別れてラティーナは決められたとおりに、神殿の礼拝所に行った。

 星と戦と豊穣の女神が祀られているという神殿は、この王都に複数あった。もともと、その女神はザファルバーンの守護神であるとされ、王位継承を指し示す王権を与える神でもあった。シャルル=ダ・フール王もその女神の恩恵を受けて玉座についたとされている。

 その女神の神殿を指定したのは、偶然なのか。それとも敢えて「彼ら」がそれを選んだのか。シャルル=ダ・フール暗殺の成功を祈念するためなのか、ラティーナにはそこまでわからない。

 その時間、神殿には、人があまりいなかった。

 静かで神聖な場所。そのおごそかな空気に包まれ、ラティーナは決められたとおりの作法で祈りをささげた。

 そして、指定された通り、礼拝のあと、ラティーナは神殿の椅子に座って待っていた。周りにはだれもいない。神官ですらも。あまりにも静かだった。

 しかし、やがて一人の男が現れ、彼女の目の前で祈り始めた。一通り祈り終えると、彼はラティーナの横に自然な形で座った。

「使者はあなた?」

 ラティーナは声をかけ、そっと男の顔を覗いて、ふと口を押さえた。

「ザミル王子」

 ラティーナは、意外なところであった人物に少し驚いていた。

 そこにいるのは、少し癖のある黒髪に、穏やかな瞳、整った顔をした優雅な青年だった。

 ザミル=リヴィート=エレ・カーネスという名の、この綺麗な服を着た青年は、彼女の良く知る人物の弟である。

 つまり、この国の王になるはずだった人の弟だ。

「ど、どうして……、あ、貴方が、こんなところにいらっしゃったんですか?」

「あなたが協力していると聞き、使者に役目を代わってもらったのです」

 ザミルは、兄のラハッド王子によく似た、柔和で穏やかな面差しをしていた。それを少し困ったようにしかめながら、ザミル王子は続ける。

「ラゲイラ卿に手を貸しているんだそうですね」

「え、ええ」

 ラティーナが少しいいにくそうな顔をすると、ザミルは哀しげに首を振る。

「危険なことはやめてください、ラティーナさん。兄のことを思ってくれているのはありがたいのですが、このままだとあなたまで反逆罪に……」

「それはわかっています。でも……」

「手を貸すのがいけないといっているわけではありません。あなたが単独行動にでているというので、心配になって……。ああ、安心してください。ここは私が懇意にしている神官さまのいる神殿です。今、人払いをしてもらっていますから、誰も聞いていません」

 ラティーナがいいにくいだろうかと思ったのか、ザミル王子はそうつげた。そして、目を伏せた。長いまつげが哀しげに見える。

「どうか、一人で危険な行動をなさらないでください」

 その言葉はいくらかラティーナの琴線に触れたようだった。彼女は、少しうつむく。

「すみません。でも、あたしは待てなくて……」

「私もラゲイラ卿に協力しています」

 ザミルは言った。

「あなたに力を貸しますから、どうかお一人では行動をなさらないでください。足並みを乱すと、きっとお互いの為にもよくありませんから。特にラゲイラ卿が何をしだすかわからない。あの男は、権謀術数を使わせるとなかなかなんですから」

「はい、……反省はしています」

 ラティーナは素直に答える。

「ただ、シャルル=ダ・フールをどうすれば殺せるか、あたしの手で仇をとってあげたいのに」

 きゅっとラティーナのこぶしが握られた。ふと、ザミルは神殿の上を見る。戦の女神が、そこに大きな剣を掲げて立っている。

「義姉上」

 本来そう呼ぶはずであった言葉で、ザミルはラティーナを呼んだ。びくりとして、ラティーナは顔をあげる。

「……一つ、方法があります」

 ザミルは、ラティーナの目をまっすぐに見ながら言った。穏やかな青年の顔に、いくらか緊張が満ちる。

「今晩、シャー=ルギィズと連絡をとっていただきたいのです」

「ど、どちらの?」

 間違った経験からか、ラティーナは恐る恐る訊いた。

「あの、レンクって言う人のほうでいいんですか?」

「……いいえ」

 静かに、ザミルは言った。

「昨日、あなたが助けられたという人物です」

「な、なぜ、それを貴方が?」

 誰にも話していないのに、と、ラティーナはいぶかしげである。ザミルは首を振った。

「昨夜、あなたを襲ったのはラゲイラ卿の手のものでした」

「えっ! どうして!」

 少なからず動揺する様子のラティーナに、ザミルはそっと声を低める。

「おそらく、あなたの単独行動に歯止めをかけるよう、脅したのではないでしょうか。だから、お気をつけて……」

「は、はい。でも、どうしてあちらのシャーを……」

 ラティーナがいぶかしげに訊くと、ザミルは低い声で答える。

「ラゲイラ卿の話によると、あのシャーという男は、カタスレニア地区を知り尽くしている様子……。彼と会ったものから訊いたそうですが、あのシャーという男は、城に繋がる地下道を見つけたことがあるといいます」

「地下道」

 ラティーナは反芻し、ぱちりと目をしばたかせた。

 何か危急の時に、王族や大臣たちが逃げられるよう、城の内部には地下に脱出口が掘られているという。地下水路になっている場所もあるというが、そうした場所から確かに城には侵入できるのだ。

 ただし、シャルル=ダ・フールのいる宮殿、特に寝室に繋がる地下道は極秘にされており、知るものはほとんどいないとされている。それさえ見つければ、攻め入るのは簡単なのだが…………。

「あのシャーが知っているというんですか?」

「わかりません。ただ、彼は非常にあの街を知り尽くしている。可能性はあるといいます。ぜひ、彼を呼び出し、計画を教えた上で協力してもらいたいのです。そのために近いうちに、呼び出していただきたいのです」

 ザミルの目は、まっすぐラティーナに向けられている。ラティーナは頷いた。

「あさって、シャーとは落ち合う約束になっています。レンク=シャーの住処に行くという名目でですが」

「どちらを通るでしょう?」

「きっと、カタスレニアのはずれの通りを通ると思います。そのときに、彼に……」

「持ちかけてみましょう。……我々も行きます」

 ザミルは言い、少し穏やかに笑った。

「でも、無理はなさらないで。あなたは、私の大切な義姉上なのですから」

 ザミル王子の微笑みは、兄のラハッドにあまりにも似ている。ラティーナは、微笑み返しながら、思い出して少し切ない気分になった。



 *


 ラティーナにあさっての夜に落ち合いましょうといわれて、シャーは少なくとも少し不安だった。まさか無断でシャー=レンク=ルギィズのところにいったのではないかと心配もしていた。

 だが、一周町中をうろついてみたところ、手下の連中もいなさそうだったし、自分とレンクを間違うような娘だから、おそらく町の中も良くわかっていないだろう。

 それにしてもラティーナはつれなくて、あれから全く顔を見せてくれない。

 それで少しシャーは落ち込んでいたのである。

(でもなあ、なんだっかなあ……)

 シャーはお茶を飲みながら思った。

(見てられないんだよねえ、あの子……)

 シャーはそう呟き、もう一度お茶をすすった。その態度を見て思ったのか、後ろからカッチェラが声をかけてきた。

「兄貴……景気はどうっすか?」

 景気というのは、「ラティーナとうまくいったかどうか」ということである。

「ぜんぜんだめー」

 シャーは、茶を飲みながら手を振った。なんだか、間延びした猫の鳴き声のような声である。

「オレねえ……もしかして不器用? それとも、魅力が無いのかなあ」

「不器用というより、単にもてな……」

 カッチェラは、言いかけてため息をついた。さすがに本人を傷つけてしまう。

「なに、そのため息。いま、もてな……とかいいかけたよね?」

 聞こえていたらしく、シャーが苦々しい顔をした。

「いーえ、何も言ってません」

 カッチェラが肩をすくめた。

「やっぱり、押しが足りないんじゃないですか?」

「でも、出会ってすぐだし」

「とはいえ、最初が肝心じゃ?」

「第一印象は最悪だと思うよ~。だってよりにもよって人違いなんだもの~」

 シャーは、はぁとため息をついた。そういう仕草は、きまってシャーが誰かに一目惚れした時にとる仕草だ。もともとシャーは、惚れっぽくできているのだが、かえってそのためなのか、その一目惚れがうまくいったことはない。

「こ、これからですよ!」

 後ろにいたアティクが大柄な体に合わない優しい物言いをした。

「兄貴はかっこいいですって!」

「え! そう! オレ、そんなにかっこいい? 美男子?」

 アティクの言葉に反応し、シャーはがばりと起き上がる。カッチェラは頭に手をやり、不安げにこちらを見てくるアティクを軽くにらんだ。

(調子に乗せすぎ!)

「ねえ、オレってかっこいい?」

 だが、アティクはシャーに肩を押さえられて捕まっている。

「なあ、アティク。オレって美男子だよな?」

 じとーっとしたシャー特有の視線が、それを肯定することを促してくる。

「い、いや、そのっ……」

「違うの?」

 今度はなんだか哀れみを誘う視線だった。アティクは、べそをかきそうな顔になりながら、カッチェラを見るが、助け舟を出してくれそうにはない。

「は、はい。……兄貴は美男子だと思います……」

「そう! そうだよなーっ! オレ、自信ついちゃった!」

 シャーは、ぱんと手をたたく。それを見て、周りのものが肩をすくめた。アティクだけが、自分の失態を呪うように頭を抱えている。

「おかみさーん、酒いっぱいちょうだい!」

 おそらくはアティクの金だろう。それを狙って、シャーは店の女将に声をかけた。アティクはシャーの言う「いっぱい」が「酒をグラスに一杯だけ」という言う意味なのか、「酒をたくさん欲しい」という意味なのか図りかねて、ぞっとしていた。

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